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第5章 ゆとりある郷土
第1節 都市集中と過疎化

第3項 過疎化の進行
―進む人口減少―

(1) 過疎法と過疎地域人口
(2) 過疎地域の人口減少
(3) 過疎地域人口の年齢構成
(4) 過疎地域の産業


(1) 過疎法と過疎地域人口
 富山県の2019年現在の過疎市町村の人口は全県の11.3%(2015年国勢調査)を占めている。
 都道府県の中では、富山県は23番目の大きさで、ほぼ中位にある。
 富山県では、人々は富山平野に散らばって住んでおり、山中の過疎地域は他県に比べて極めて少ないのだが、過疎法に基づく過疎地域の人口の比率は、こうした認識と異なっている。


 従来、過疎市町村は、市町村を単位として人口減少率と高齢化比率でを定義してきた。しかし、この定義では、市町村合併で多くの過疎市町村が消えてしまう事態となった。このため、過疎市町村について新たな定義が設けられた。
 まず、従来の@「過疎地域市町村」の定義に加え、新たなA「過疎とみなさる市町村」を設定した。さらに、B「過疎地域を含む市町村」として、従来の過疎市町村でそれなりに勢力のある地域と合併した地域を認定している。
 そして、過疎市町村の人口としては、前二者(@A)の総人口と、最後の地域(B)の過疎地域分の人口が算入されるようになった。
 富山県では、平・上平・利賀を含む南砺市が過疎とみなさる市町村(A)に入り、これで過疎市町村人口が、5万人程度加わっている。
 また、山田・細入を含む富山市が過疎地域を含む市町村(B)となっている。ここで富山市の人口総数を過疎市町村の人口に算入することは無理であろう。


 さらに、2017年に法改正が行われ、富山県では氷見市が加わるとともに、南砺市は上記@の過疎地域市町村となっている。

 いずれにしろ、市町村合併、さらに法改正で、過疎市町村の定義が曖昧になったといえよう。



(2) 過疎地域の人口減少

2010年2015年増減数増減率
富山県1,093,247 1,066,328 -26,919 -2.5%
朝日町13,651 12,246 -1,405 -10.3%
山田村1,789 1,612 -177 -9.9%
細入村1,523 1,342 -181 -11.9%
平村1,072 980 -92 -8.6%
上平村699 639 -60 -8.6%
利賀村661 537 -124 -18.8%
 富山県の過疎地域(かつての定義での町村)の人口は、最近の5年間で、それぞれ約1割、利賀村については約2割の減少となった。なお、この間の県全体での人口の減少は2.5%であった。


 従来の過疎地域市町村の人口の推移を見ると、1980年代は緩やかな減少であったが、1990年代後半以降減少に拍車がかかっているように見られる。
 これは、主として、人口の年齢構成からもたらされており、高い高齢化比率に加え、団塊ジュニア世代が新世帯形成で独立・離村したことも含まれる。
 さらに中核となる産業の縮小による影響も大きい。



(3) 過疎地域人口の年齢構成
 過疎地域の人口の年齢構成の特徴は、高齢化が極めて進んでいることである。65歳以上の高齢者の比率ばかりでなく、75歳以上の後期高齢者の比率の高さも際立っており、高齢者を支える地域での仕組みの維持が難しくなっている。また、55歳未満の比率はどの町村も50%を割っており、若い働き手が極めて少なくなってきていることにも課題がある。



(4) 過疎地域の産業
 地域に住む就業者の産業の業種構成については、地域外への通勤者も含まれるので、そのまま地域の産業として捉えることはできない。しかし、過疎地域で相対的に多い業種は、建設業、宿泊飲食サービス業そして公務となっている。公共事業を含めての行政施策と観光が地域を支えているといえよう。
 これらに対して、製造業、卸小売業の比率は低い。なお、朝日町、細入村、山田村は地域外への通勤がかなりを占めていることが予想される。


 困難ではあるが、これまで自立した中核的産業群が形成されてこなかったことが、露呈しているといえよう。


 過疎地域の範囲を現在の過疎法のように捉えると、その実態が見えにくくなり、過疎の議論が単に財政的支援の手段になっているようである。そして、公共事業の減少等により、経済環境等は一層厳しくなっている。
 実際に、過疎の問題を捉えるには、個々の集落の動向をしっかりと見ていくことが欠かせないのではなかろうか。


 ⇒無医地区等調査


(統計データ)

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(Mar.20,2017Rev.)