新しい何かを始めたい、まだ見ぬ自分に会ってみたい! そう願っても、40代、50代ともなると仕事やプライベートで抱えていることが多すぎて、責任や義務やこれまでの経験が邪魔をする……。そんなときは、まず「やめる」ことから始めてみると、新しい人生の扉が開くかもしれません。経験者に話を聞きました。

 「情報ライブ ミヤネ屋」での宮根誠司さんとの軽妙な掛け合いが話題となり、人気を集めた丸岡いずみさん(51歳)。夕方のニュース番組「news every.」のキャスターを務めていた2011年にうつ病を発症。休養期間を経て40代は結婚、退職、代理母出産、離婚と人生の浮き沈みを経験します。近年は子育てのために仕事をセーブしていましたが、51歳からキャスターの活動を本格的に再開。心理学の専門知識や資格を生かし、教育の分野でも活躍中です。丸岡さんが今振り返る、人生の転機となった「やめたこと」、そこから始まった変化とは?

編集部(以下、略) 丸岡さんにとって、一番の転機になった「やめたこと」は何でしょう。

丸岡いずみ(以下、丸岡) 40歳でうつ病になり、会社を辞めたことですね。帯番組のキャスターを降板することになり、休養中は「これ以上の苦しいことは人生でそんなにないだろう」と思いました。

丸岡いずみ フリーキャスター、メンタルケアカウンセラー
丸岡いずみ フリーキャスター、メンタルケアカウンセラー
1971年生まれ。北海道文化放送を経て、2001年日本テレビに入社。報道記者として警視庁捜査1課などを担当した後キャスターに。08年早稲田大学大学院人間科学研究科修了。10年から「news every.」のキャスターを務め、11年にうつ病を発症。12年に日本テレビを退社、フリーキャスターとして活動。22年松実高等学園顧問に就任。「情報ライブ ミヤネ屋」コメンテーターとして出演中。著書に『休むことも生きること』(幻冬舎)など

体の異変に気づいても、爆走状態を止められなかった

―― うつ病の発症は、東日本大震災での取材活動がきっかけの1つになったそうですね。

丸岡 当時のnews every.では、私が現場に足を運び、取材やテレビ中継をして視聴者にニュースを伝えるというのが番組の特色としてあって。仕事が好きでしたし、周囲の期待に応えたいと思っていました。11年3月に東日本大震災が起こったときは、翌朝から被災地へ。ライフラインが止まる中、約2週間ほぼ飲まず食わずの状態で取材をし、夕方から生中継でニュースを伝えるという日々を送っていました。

 11年の2月にはニュージーランドの大地震、4月に英国ウィリアム王子の結婚式もあったんです。世界各地を飛び回りながら、日本に戻った翌日に数週間単位で被災地へ赴くというように震災以外のニュースにも対応しながら、その後も東京と東北を行き来する生活を続けていて……。11年8月末以降の休養中は実家のある徳島で過ごしたのですが、当時の担当医から、激務と心労、責任の重さが重なり、うつ病を引き起こす典型的な状況だと言われました。

―― 当時、どのような体の異変があったのですか?

丸岡 初夏になるころから体に湿疹が出る、だるさを感じるなどちょっとした不調が続いて。気力と体力には自信があり、初めは「お風呂に入れない日もあったし、疲れているのかな?」くらいに捉えていました。

 私は20代からひきこもりや不登校の取材をしていて、日本テレビの報道記者時代には大学院で心理学を学びました。うつ病の取材経験もあるので、よく眠れない、食欲がないといった症状が次第に出てくると、自分でも「ちょっと危ないな」と気づいてきたんです。体に異変が起きているという自覚はあっても、「(大変な状況に置かれている)被災地の皆さんも頑張っているのだから」という思いや記者としての使命感から、すぐに休むという切り替えができずにいました。

―― 番組を降板するという決断には、葛藤もあったのではないでしょうか?