飾らない人柄と明るいキャラクターで、モデル、俳優、司会などマルチに活躍を続けてきた田中律子さん(51歳)。芸能活動を始めてからまもなく40年、プライベートでは結婚・出産、離婚を経て、45歳で沖縄に移住。現在は東京と沖縄を行き来しながら2拠点生活をしています。近年は、教育バラエティー「ワルイコあつまれ」(NHK Eテレ)のコーナー「バブルランウェイ」での振り切ったダンス&コントも話題に。田中さんのこれまでのキャリアを振り返りながら、16歳で思い立ち長年の夢をかなえた沖縄移住、40代で迎えた人生の転機、50代での恋愛について話を聞いていきます。

(上)田中律子 45歳で沖縄移住、人間関係は亡き父のギフト ←今回はココ
(下)田中律子 50代の恋は純粋に「好きな人と一緒」で自由

女優とバラエティー、司会業「どれかを選ばないとダメ」と言われて

編集部(以下、略) 12歳の時、スカウトでモデルデビュー後、1990年代は陣内孝則さん主演の学園ドラマ「愛しあってるかい!」(フジテレビ系)で生徒役、「101回目のプロポーズ」(フジテレビ系)では主演・浅野温子さんの妹役など、トレンディードラマを中心に数々の役に挑戦。96年には「王様のブランチ」(TBS系)初代司会に抜てきされるなど、俳優・タレントとしてマルチに活躍を続けてきました。

田中律子さん(以下、田中) 10代から20代前半は、ほぼ仕事一色でしたね。高校入学後はテレビドラマの仕事が始まったので、学校が終わるとすぐにスタジオへ。通っていた堀越高校の制服から、「愛しあってるかい!」の劇中の制服に着替えて、待ち時間にはスタッフさんに勉強を教えてもらうというような日々でした。

 歌手デビューも決まり、いただいた仕事に対して「とにかく頑張らなきゃ」と一生懸命に取り組んでいましたが、無理を重ねて胃潰瘍になってしまったことも。それでも、修学旅行には参加できるよう、周囲が京都ロケの機会をつくってくれるなど、周りに助けてもらいながら楽しい時間を過ごしました。

田中律子 タレント、俳優
田中律子 タレント、俳優
たなか・りつこ/1971年生まれ。12歳でデビュー後、数々のドラマやバラエティー番組で活躍。出産後、ヨガインストラクターの資格を取り、2011年からヨガインストラクターとしても活動。美ら島沖縄大使、久米島観光大使、石垣島さんご大使、NPO法人アクアプラネット理事長、日本サップヨガ協会理事長として、海にかかわる活動も意欲的に行う。旅バラエティー「路線バスで寄り道の旅」(テレビ朝日)、「ワルイコあつまれ」(NHK Eテレ)のコーナー「バブルランウェイ」に出演中

―― さまざまな仕事に挑戦をする中で、当時の田中さんはどのような将来像を描いていたのでしょう。

田中 私の場合、自分で選んでキャリアを築いていったというよりも、いただいたお仕事を一生懸命にこなしていくという時期が長かったんですよね。とにかく走り続ける毎日で、当時は「こうなりたい」という目標もありませんでした。ただ、「101回目のプロポーズ」への出演後、連続ドラマに何度か出演させていただくのと並行して、バラエティー関係の仕事も入ってきたときに、あるプロデューサーさんにこう聞かれたんです。

 「きみは女優とバラエティー、司会業、どれをやりたいの? 選ばないとダメだよ」って。

 私は「女優をやりたい」と答えたのですが、それからすぐ、25歳のときに「王様のブランチ」初代MCの話をいただきました。その流れでバラエティー関係の仕事が増え、結果的にはドラマなどで演じるお仕事は減ってしまったんですよね。

―― 笑顔で人気番組のMCを務めていた裏には、葛藤もあったのですね。

田中 自分が選んだ道ではなかったとしても、「求められている仕事」がある。落ち込むことはあっても気持ちを切り替えて、与えられた場所をいかに楽しみ、一生懸命取り組むかというところに目を向けて仕事を続けてきました。