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【東京「町」歩き】23区 大田区編 大田区の「町」はチョウかマチか

< 東京都23区 南部に位置する大田区には 62の町名があるのであります >

「【「町」の読み方】あなたが住んでいるのはチョウですか? それともマチですか?」で、日本全国の「町」の読み方について、ちと調べてみたわけですが、全体として「町」の読みは「チョウ」の方が多かったのでした。

でもこの結果は市部や区部の中の「町」は対象外としてのデータでしたので、差し当たって、東京23区の区部の中の「町」の読みについて調べてみようと思い立ったわけです。


市町村合併などによって失われいく地名も少なくない現状ですが、「チョウ」と読むか「マチ」と読むかという以外にも、「町」という字の付かない「町」というのもありますし、知らない町名、不思議な町名というのも少なくないだろうと思います。


東京都23区、第5回目は「大田区」です。

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大田区の面積は68.83平方キロメートル。23区の中で最大の面積。人口が73万8千人余り。


区の木はクスノキ。区の花はウメ。


令和現在の大田区は、昼間の人口と夜の人口がほぼ同じという、かなり特徴的な区です。
大田区の人は動かない、ということじゃなくって、区から出て働いている人と、区に入って来て働いている人の数がほぼ同等。さらに細かく言うと、外国人の数も多く、しっかり把握できていない部分もあるようです。

 


大田区は広いだけあって、区内の雰囲気が場所によって大きく違っている印象があります。


なんといっても大田区の全国区と言えば「田園調布」ではないでしょうか。


1980年ごろ、漫才ブームを引っ張っていった「セントルイス」のテンポのあるギャグ。


「弁が立つ、腕が立つ、田園調布に家が建つ」


一世を風靡したものでしたね。
これに対抗したようにして流行ったのが「ツービート」のギャグ。


「赤信号、みんなで渡れば怖くない」


でした。ビートたけしも若かったです。


もちろん、田園調布はセントルイスのギャグの前から全国区ではあったわけですけれどね。


大正年間から「渋沢栄一」をメインとする田園都市株式会社によって、理想的な住宅地「田園都市」の開発をうたい文句として開発分譲された地域が田園調布です。
東急線田園調布駅の西側に、扇型に整備された街路に沿った住宅地が高級住宅地として知られていますね。


東京の高級住宅地としては、世田谷区の「成城」渋谷区の「松濤(しょうとう)」港区の「白金(しろかね)」「白金台(しろかねだい)」が有名ですが、やっぱりね、田園調布が第一、と言えるんだろうと思います。


一時期「シロガネーゼ」という言葉が流行りましたが、当の「シロガネーゼ」たちから総スカンを喰って、すぐに廃れましたね。


「よろしいかしら。あのですね、こちらは濁りませんのですよ。シロカネでございます」


っていうことらしいです。


多摩地域聖蹟桜ヶ丘の高級住宅地も有名ですが、丘の上の住宅街はほぼ田園調布を模しているように見受けられますね。そういう浸透力を持っている田園調布ってことなんでしょう。


大田区には「天空橋」という橋があります。


多摩川の分流で大田区内を流れる海老取川。この海老取川に架かっている歩行者専用の橋が「天空橋」です。
なんかね、ステキな名前ですよね。


名前の通り、昔は海老漁の盛んだった川だったんでしょうか。今のようなコンクリートの護岸になるずっと前。川に入って海老を獲る漁師たちからすると、見上げるような天空の橋、っていうようなネーミング。かもです。


この天空橋を東側へ渡ると、京浜急行電鉄東京モノレールの「天空橋駅


元は「羽田駅」という名前だったんですが、1998年に羽田空港駅が開業した際に、羽田駅という名前だと旅客ターミナルの最寄り駅だと勘違いされる可能性が高いため、近くにある「天空橋」から名前を取ったらしいです。


空港に近いんだから、むしろ「天空」っていう方がイイじゃん、って思うんですが、ですがですが。
京浜急行電鉄の駅も、東京モノレールの駅も、地下なんですね。「天空橋駅」だけれど、地下、なんです。


名前に惹かれて意味なく降りてみたことがありますけれど、地上へ出ても、特に何があるわけじゃないです。


ただですね、羽田空港がすぐ近くですから、空がね、デッカイです。そういう気持ち良さはあります。


名前の基になった天空橋はシブイですよ。歩いて渡る、人専用の橋っていうのも都内では珍しいと思います。

 


田園調布はチョー有名ですけれど、なんかね、よそ者が散歩するような街じゃないって感じです。ま、これは個人的な思いですけれどね。お金持ちめ~! っていうヤッカミでしょうか。んはは。


羽田空港は街っていっても、ここもまた散歩するような場所じゃないですね。飛行機です。ターミナルです。


これもまた個人的な感覚なんですが、大田区って、23区西側の「下町」だよねって思っているんですね。


町工場もたくさんあって、個人店の呑み屋もいっぱいあって、庶民の街なんです。そです、そこは「蒲田」です。


JRでひと駅西へ行くと多摩川を渡って「川崎」です。


多摩川を挟んだ「蒲田」と「川崎」はずっと昔から下町の歓楽街といった風情がある街でしたが、今は随分変わりました。


川崎の駅前なんかは、ドドーンと再開発されて、デッカイビルが立ち並んでキレイになってしまいました。
キレイになってがっかりすることもないんですが、なんとなくね。。。


蒲田もエラクキレイになりましたが、まだまだ個人店が頑張っている街です。


「ハネ付き餃子」って蒲田の町中華が発祥だよって聞いたことがあります。


上述したように大田区の区の花はウメなんですが、江戸時代には「蒲田梅屋敷」が梅の名所として観光客を集めていたそうです。その流れで、区の花をウメにしたんでしょうね。


けっこう昔から繁華街だったんですね。


京浜急行には「梅屋敷」っていう駅が、今でもちゃんとあります。


でもまあ、蒲田といえば、やっぱり「映画の都」として名前を残していますよね。


松竹蒲田撮影所があったのは蒲田5丁目。
1920年大正9年の6月オープンですから、かなり昔のことですね。


城戸四郎、小山内薫小津安二郎成瀬巳喜男等の名監督。伊藤大輔野田高梧等の脚本家。田中絹代高峰秀子等の大女優を輩出して「蒲田調」といわれる、日本映画の一時代をリードした撮影所です。


歴史としてはそんなに長いものではなくって、およそ1200本の映画を製作して、1936年、昭和11年に神奈川県の大船に移転しました。


なんで移っていったか。


映画に音が入るようになって、いわゆるトーキーになったことで、町工場の多い蒲田ではノイズが障害になったらしいです。時代ですね。


松竹蒲田撮影所があった場所には、蒲田の再開発によって「大田区民ホールアプリコ」が建設されています。


それにしても、1936年に蒲田から無くなっていたのに、なんでいつまでも蒲田が映画の都として取り沙汰されてきたんでしょうか。


それはおそらく2本の映画が原因していると思われます。


蒲田行進曲」と「キネマの天地」


蒲田行進曲」は1982年公開。つかこうへい原作、深作欣二監督の角川映画です。


全然蒲田調じゃないよっていう声もありましたが、ビッグヒットしました。階段落ちが有名ですよね。
角川映画なんですから、蒲田調じゃなくたって当たり前ですよね。でもほら、タイトルが「蒲田」ですからね。


主題歌は中村雅俊の歌う、桑田佳祐の「恋人も濡れる街角」いい歌ですよね。
そして挿入歌が、松坂慶子風間杜夫平田満が歌う「蒲田行進曲」でした。


蒲田行進曲」自体は1929年に出たヒット曲ですが、映画はその歌と「蒲田」という街自体をリバイバルさせたんですね。


この映画のヒットによって「蒲田」という街を知ったという人も少なくないんじゃないでしょうか。


♪春の蒲田 花咲く蒲田 キネマの都


日本では花といえば桜、ということになっていますが、この歌の場合は「梅」なのかもしれません。キネマです。


♪生くる蒲田 若き蒲田 キネマの都


なのですねえ。右肩上がりっていうイメージです。1980年代にも流行りました。


ところがですねえ、このヒットに憤慨していた人がいたんですよ。


蒲田行進曲」っていうのは、元々、松竹映画「親父とその子」の主題歌だったんですね。
その松竹の作品を、東映出身の深作欣二が監督して、角川映画としてヒットした。松竹として黙って見過ごすわけにはいかないぞ! って思ったのは、松竹映画の野村芳太郎プロデューサー。


全盛期の松竹蒲田撮影所の映画を作ろうじゃないか、ということで、井上ひさし山田太一山田洋次朝間義隆という凄い顔ぶれを脚本に迎えて、山田洋次監督で制作したのが「キネマの天地」1986年の公開です。


第10回日本アカデミー賞を受賞しました。


この2本の映画のヒットで「蒲田」という名前が新たに印象付けられた感じですかね。
ま、コロナ禍では行けていませんが、蒲田は令和でも魅力的な街、23区西側の下町です。イイ店がいっぱいあります。

 


高級住宅地、飛行場、工場街、呑み屋街、バラエティにとんだ大田区。その町名の数は62。「マチ 4」「チョウ 5」「町が付かない 53」でした。


「マチ 4」
「東嶺町」「西嶺町」「北嶺町」「雪谷大塚町」


「チョウ 5」
「大森本町」「田園調布本町」「石川町」「羽田旭町」「蒲田本町」


「町が付かない 53」
「大森中」「大森東」「大森南」「大森西」「平和の森公園」「ふるさとの浜辺公園」「大森北」「平和島」「昭和島」「山王」「京浜島」「東海」「城南島」「東馬込」「南馬込」「中馬込」「西馬込」「北馬込」「中央」「池上」「田園調布南」「田園調布」「鵜の木」「千鳥」「南久が原」「久が原」「東雪谷」「南雪谷」「仲池上」「南千束」「上池台」「北千束」「東糀谷」「西糀谷」「北糀谷」「羽田」「本羽田」「羽田空港」「萩中」「東六郷」「西六郷」「南六郷」「仲六郷」「下丸子」「矢口」「東矢口」「多摩川」「新蒲田」「西蒲田」「東蒲田」「南蒲田」「蒲田」「令和島」


浅野温子石坂浩二内田樹小林麻美沢木耕太郎柴田元幸鈴木保奈美鈴木雅之長嶋一茂松坂慶子丸山桂里奈松本伊代渡辺満里奈。なんかね、出身者もバラエティにとんでるような。


にしても、交通インフラ業界、航空業界もかなり大変そうですよねえ。なんとか、早く、ねえ。。。

 

< チョウかマチか >

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