千と千尋の神隠し:千尋がカオナシと電車に乗るシーン。込められた意味は?

キャラクター

千と千尋の神隠しでは、印象深いシーンがたくさん登場します。美しい背景の中を走る電車の場面のその一つです。ミステリアスでどこかノスタルジックな雰囲気があるこのシーンは、これから銭婆と話し合いをしなければならない緊張する状況とは少々合わないようにも感じられます。
また、千尋以外にもカオナシなども乗車客もいて、何か大切なことを伝えているようにも思えます。ストーリーの内容から考察してみました。

電車に込められた意味は?

千尋が銭婆に会うために乗ったのは、「海原電鉄」です。水の上を走る電車なので、イメージ通りと言えばそうなのですが、この電車には少々怖い特徴があります。それは、帰りの便がないということです。つまり、行くことはできるのですが帰る手段があらかじめ用意されていないということです。そのため、問題を解決できたとしても安全に帰ることができる保証がありません。では、どうしてこのような設定にしたのでしょうか。

覚悟が必要だから

本気度を試されている。こんな風にも考えられるのではないでしょうか。千尋に限らず、人生に全てをかけて向き合わなければならないことが一度はあるものです。自分のため、あるいは自分の大切な人のため。千尋は不思議な世界に迷い込んでから、いろいろな出会いや試練を経験して成長していきました。大人になるための一つの条件として、覚悟が必要なシーンを登場させたのかもしれません。

先祖への気持ちが少なくなってきた現代人への警告

海原電鉄は、死後の世界にも行ける電車であるとも言われています。そうであるなら、大きな意味を持っていると言えるでしょう。
昔は、お盆になれば遠方の家族達も集まって一緒にお墓参りをしていました。また、お盆以外でも仏壇の前で手をあわせたり、故人との思い出を語り合ったりすることも少なくありませんでした。しかしながら、現代はこういったことをすることが減ってきていますし、仏壇のない家庭も増えているとも聞きます。
帰りの便がないのは、先祖を思う気持ちが少なくなってきたため、故人との間に距離ができてしまったから。こんなふうにも思えます。数えきれないほどいるご先祖様がいたからこそ、自分が存在している。もう一度、原点に戻ろうと言っているのかもしれません。

千尋とカオナシ以外にも乗客はいた。その意味とは?

海原電鉄には、黒っぽい影のような存在が複数乗り込んできます。みな、はっきりと顔が見えませんし、暗い印象を受けます。そのため、すでに亡くなっている人ではないかとも考えられます。ただ、先にご紹介しているように、電車は美しい背景の中を走っていきます。決して暗くもなければ怖い雰囲気にもなっていません。このことから、死に対するマイナスなイメージを払拭し、落ち着いた静かな気持ちで故人はそこに向かうのだと伝えているようにも感じられます。

電車の中から見える景色と駅の名前の意味とは?

本当かどうかはさておき、亡くなると三途の川を渡ると聞くことがあります。電車の中から外を見ると、どこまでも続く海が見えます。川を船で渡る。海を電車で行く。どちらにも水が共通しています。やはり、ここからも黄泉の国への特別な電車であることが想像できます。
また、海原電鉄には駅が7つ出てきます。次に、駅について考察してみましょう。

復楽駅から沼原駅

復楽駅、油屋駅、南泉駅、沼原駅、北沼駅、沼の底駅、そして終着駅である中道駅。全部で7つの駅が登場します。最初の駅の名でもある復楽は、実際にある言葉ではありません。次の駅である油屋は、ずばり楽しむ場所。ここから、油屋までは気軽に行き来(往復)できるといった意味を想像することもできます。
しかしながら、そこから向こう側は少々ようすが異なります。南泉駅の次の沼原駅は、黒い存在達が下車した場所であることから黄泉の国であることが予想できます。では南泉駅はどうでしょうか。油屋で働く人たちが亡くなった際、この電車に乗るのであれば、次の駅が黄泉の国へ行く場所だと心の準備ができないかもしれません。つまり、南泉駅は油屋駅の人たちのために設けられた駅とは考えられないでしょうか。

北沼の底駅から終着駅

銭婆が住む場所は北沼の底駅で、沼原駅の一つ向こうにある駅です。つまり、黄泉の国に行かなかった人が向かう場所です。「沼の底」とあることから、「死ぬことよりもさらに恐ろしい場所かもしれない場所である」とアピールしたかったのかもしれません。何があっても生きると覚悟した物が立ち寄る場所。そんな想像をしてしまいます。
終点の中道駅は、どちらにも偏らず真ん中にいる「中道」からきているかもしれません。人は、人生で多くの学びを得ながら、最終的に中道を目指している。そんなメッセージを送ってくれたのかもしれません。

タイトルとURLをコピーしました