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インタビュー

高見沢俊彦

クラバー必聴! ロックとクラシックの共通項はこれだ!

クラシックには、音楽として楽しむには、よけいなイメージがべったりと張り付いている。権威的だし、無理矢理習わされたピアノでは、全然面白くないバイエルと運指の練習ばっかりで嫌気がさしていたし。だいだい、CD売り場に行くとクラシック売り場のそこだけは、難しい顔をしたオッサンのモノクロ&どや顔ポートレートの目白押しで、恐ろしくて手が出せない、という感じでしょ?

しかし、約400年の歴史を誇る西洋音楽、クラシックの世界の豊かさと面白さは、音楽ファンにとって〈無いこと〉なしてしまうのはあまりも、もったいない。現に、私の専門のクラブミュージックの世界では、多くのプロデューサーやクラバーが、近年、テクノやハウスから横っすべり的にクラシックに魅せられており、上野文化会館と西麻布のelevenの両方に足を運ぶ輩も珍しくはないのだ。

今回、アルフィーの高見沢俊彦が選曲・監修したコンピレーションは、特にクラシック音楽のメロディ部分に焦点をあて、この分野が持つ、美しい旋律の世界がバランスよく選ばれている。往年のジミー・ペイジなどのハード、プログレッシブロックのギタリストを思わせる、メロディアスで華麗なギターソロが身上の高見沢ならではの、〈好み〉がちりばめられていると言ってよい。彼のギターによる、名曲たちをメドレーで綴ったスペシャルトラックは、伸びやかにフィットしており、ロックとクラシックに共通の、西洋音楽ベースの世界観を堪能できる。意外なのは、美メロセレクトならば、絶対に外せないモーツァルトの中で、高見沢が選んだのは、《アイネクライネ・ナハト・ムジーク》のような誰でも天上人の心地になる小品ではなく、ドラマティックで重厚な《レクイエム》より怒りの日の方だったりする。そういえば、今まで全くそう思った事はなかったのだが、この曲はちょっと編曲すれば、プログレの名チューンに数えられそうな、ケレン味と派手さがありますな! シューベルトは『魔王』と《セレナーデ》の二曲がエントリー。初期ロマン派の骨太な情感と転調の妙は、高見沢のセンスと合うのだろう。

ホルストの『惑星』より木星、ドヴォルザーク交響曲第9番『新世界』より4楽章など、どこかで絶対聞いた事のあるメロディーが、その一曲全体の中でどういった音響的なアンサンプルのもとに際立ってきこえてくるのか、に注意を払ってみたい。単なる美メロが、クラシック音楽のアンサンブル表現の中では、そのロマンチック部分が強調されるのか、いや、不穏な暗さの方かを、感性を研ぎすませて感じていただきたいものです。

コンピと言っても、EMIの音源ならではの、第一線ミュージシャンが目白押しで、シューマンの《トロイメライ》は、マルタ・アルゲリッチの一音一音が粒だって美しい、彼女ならではのピアニズムの境地がはっきりとわかり、クラシックにおける演奏家の表現の大きさというものも感じてみても一興だ。


掲載: 2011年10月14日 16:53

ソース: intoxicate vol.93 (2011年8月20日発行)

text : 湯山玲子