2000年代に「かおる姫」の愛称で注目を集めた菅山かおる(44歳)。バレーボール日本代表、そしてビーチバレーでも活躍した菅山にインタビューを行った。前編では、「恥ずかしかったですね」と語る日本代表時代のフィーバーについて聞いた。《NumberWebインタビュー/後編に続く》

 現役時代、「かおる姫」という愛称で一躍、時代の人となった元バレーボール日本代表選手の菅山かおるさん。インドアからビーチバレーボールへと転向し、その後、結婚、出産を経験した。結婚相手の西村晃一氏もまたインドアからビーチバレーボールに転向後、50歳となった今でも現役でバリバリ活躍中である。トップアスリートであり、日本代表という同じ経験を持つ稀有な夫婦だ。

 現在は二児の母となり、子育ての真っ最中だとか。どのような生活を送っているのか聞きたいと、取材をお願いした。現在44歳のかおるさん、現役時代と変わらぬスリムな体型と、柔らかい笑顔で待ち合わせ場所に現れた。

◆◆◆

 まずは去年から再開したというインスタグラムの話題から会話はスタートした。

「これまでは子供が小さかったこともあって、あまりお友達に会って遊ぶこともなく、とにかくずっと家にこもっていたので(笑)、更新しようにも話題がなかったんです。でも子供が一人で習い事に行くようになって、わたしの手を離れたので、外に出てお友達に会ったりする機会は増えました」

 12歳になる長男は、元日本代表の木村沙織さんがアンバサダーを務める大会に出場。木村さんとは久しぶりの再会を喜び合ったという。

 かおるさんが初めて日本代表のユニフォームに袖を通したのは2005年のことだった。ちょうどメグカナコンビ(大山加奈さん、栗原恵さん)の活躍で、アテネオリンピックで5位入賞を果たした直後。女子バレーボールの人気が沸騰していたころだ。現在はネーションズリーグと名前を変えた『ワールドグランプリ』でかおるさんは日本代表デビューを果たした。

「“かおる姫”ニックネームは本当に幸せなことでした」

 凛とした佇まいと、色白美肌のビジュアルが人気を博し、試合での大活躍もあって瞬く間にスター選手となった。「かおる姫」という愛称はテレビ局によってつけられたもの。栗原恵さんはのちにテレビ番組で「“プリンセス・メグ”というニックネームは嫌だった」と明かしているが、実際、かおるさんは「かおる姫」という愛称をどうとらえていたのだろうか?

「特に嫌だとは思いませんでした。ただ、恥ずかしかったですね。日本代表に選ばれて、お披露目の会見で一人ひとり選手が呼び出されるときにその愛称が発表されたんですが『えっ? 姫?』と(笑)。わたしの実際の性格はとてもサバサバしていて、姫というよりはオジサン。それを知っている日本代表のチームメートに『姫だって!?』と笑われたことを覚えています」

 そのニックネームのインパクトと、日本代表での活躍もあり、かおるさんの人気はあっという間に全国区となった。

「日本代表に選ばれるまでは、試合に応援に来てくれるのは会社の人やJT(当時の所属先)のファンの方だけ。もちろん、それもありがたかったのですが、それがいきなり、どこへ行っても会う人がみんな『かおる姫』と呼んでくれて、いろいろな人が応援してくれるようになりました。わたしにとっては本当に幸せなことでしたね。『かおる姫』というニックネームのおかげで、あれほどたくさんの人に名前と存在を覚えてもらえたんだと思います」

リベロ転向→代表ではまさかのスパイカーに

 切れのあるスパイクが印象に残るかおるさんだが、実は日本代表でのアタッカーとしての活躍は本人が意図したものではなかった。

 幼いころから日本代表に入るのが夢で、高校卒業後、実業団チームに入った。ただし169cmという身長はバレーボール選手としてはそれほど大きいほうではない。

「もちろん、170cm以下の身長でも国際舞台で活躍している選手はいましたけど、でも、同じタイプの選手はそれほどたくさん必要とされないだろう、と。そこで、リベロに転向するほうが日本代表への道は近づくのではないかと考えたんです」

 2005年のシーズン終了後、リベロに転向して約半年間、全くスパイクを打たずに守備練習のみに打ち込んだ。迎えた第11回Vリーグにはリベロ登録で出場。そこでの活躍が認められ、憧れ続けた日本代表に初めて選ばれたのである。

 ところが日本代表は海外遠征の最中、アウトサイドヒッターが2名故障するというアクシデントに見舞われる。遠征中のため、ほかの選手を呼び寄せることはできない。困った当時の柳本晶一監督は前年までアウトサイドヒッターだったかおるさんに「スパイカーとして試合に出るように」と指示したのである。そして、スパイカーで出場した試合で活躍し、その後もスパイカーで出場を続けることとなった。日本代表に入るためにリベロに転向したはずが、思いもよらぬ形でスパイカーとしてスポットライトを浴びることになったのだ。

「“姫”じゃなくて申し訳ないな…って(笑)」

 それにしても、写真集も発売されるなど、壮絶なフィーバーぶりだった当時、普段の生活は一変してしまうようなことはなかったのだろうか?

「いえ、特に自分自身は変わりませんでしたね。怖い思いですか? ときどき外出先で『後をつけられているなぁ』と感じることはありましたけど、それほど怖さは感じませんでしたね。いつも応援に来てくれる方は顔も覚えていましたし、マナーの悪い人もいなくて、あれほど応援していただいて、本当に幸せでしかなかったです」

 さっぱりした性格だと自己分析するかおるさんだが、『姫』というメディアによって印象付けられたキャラクターと素の自分とのギャップに悩むことは?

「特になかったですね。ただ、『わたしのことを知っている周りのみんなは姫なんて思ってないんだろうな』って思いながら過ごしていましたけど。どちらかといえば『姫じゃなくて申し訳ないな』って思っていました(笑)」

 ポジティブにとらえていたそうで、プレッシャーも全くなかったとあっけらかんと語った。

「昨日も大友愛と会っていました」

 日本代表での思い出を聞くと、こんな答えが返ってきた。

「わたし、子供のころから自分の頭の中で、自分が代表に選ばれたときの姿を想像していたんです。練習が苦しいときとか、いつ終わるかわからないランニングの最中とか、頑張るために楽しいことを想像しようって……。自分が日本代表に入ってプレーしたらどんな感じなんだろうなぁって。不思議だったのは、ワールドグランプリの日本大会で初めてコートに立ったとき、子供のころに想像していた景色と全く同じだったこと。名前を呼ばれてコートに出て行って、満員の客席から大歓声が上がって……。イメージトレーニングをしていた場面と全く一緒だったので、すごく驚いた記憶があるんですよ」

 もちろん練習は厳しかったが、それでも憧れの代表チームでプレーできるのは幸せだったと振り返る。

 当時、代表でともに闘った選手とは、今でも交流がある。

「昨日も大友愛と会っていました。引退してから10年以上、ゆう(大友)とは会っていなかったんです。住んでいる場所が遠かったし、お互い、育児などで忙しくて。それが、久しぶりに会って、一言話した瞬間に、10年という月日があっという間に縮まって、代表時代のように話せるんです。驚きました」

 濃密な時間を過ごした仲間との絆は今でも強い。

29歳でバレーボールを引退したが…

 そんなかおるさんは2006年の世界選手権で活躍したのち、2008年、29歳のときに現役を引退する。当時は「やり残したことはない」「すべてやり切った」と、悔いは全くなかったという。引退後は「しばらくゆっくりして、バレーボール教室で子供たちにバレーを教えられたらいいなぁ」と考えていた。

 しかしある日、六本木で開催されたビーチバレーボールの大会に解説として招待され、ビーチバレーの試合を見る機会に恵まれた。

 そのときのことを衝撃的だったと振り返る。

「それまで、ビーチバレーって全く見たことなかったんですよ。もちろん存在は知っていましたけど、競技というよりレジャー寄りのイメージが強くて。でも実際に生で見たら、迫力があるし、皆さん、テクニックもすごいんです。『なんだこれは!?』と」

 砂のコートに飛び込んでレシーブを上げるプロの選手の姿を見て、興味を抱いた。そしてその直後、今度はビーチバレーボールの大会にゲストとして出場する機会も訪れた。

「普通に床の上でバレーボールをしていたら、けっこううまいほうじゃないですか、わたし(一同笑い)。それが、全然、ダメなんですよ。砂の上だと体が思うように動かない。何もできないまま試合が終わってしまいました。もちろん試合にも負けました。それが、とにかく悔しくて悔しくて……」

 本来の、負けず嫌いの性格に火が付いた。ビーチバレーボール競技への転向という新しい道が偶然、拓くことになる。

《後編につづく》

文=市川忍

photograph by L)BUNGEISHUNJU、R)Takuya Sugiyama