ロベルト・エスポジト『三人称の哲学』読書メモ集

ロベルト・エスポジト『三人称の哲学――生の政治と非人称の思想』(岡田温司監訳、講談社、2011)の読書メモをまとめました。Roberto Esposito, Terza Persona. Politica della vita e filosofia dell'impersonale'
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荒木優太 @arishima_takeo

たとえ生きた身体に分かちがたく結びついているとしても、ペルソナは、その身体と完全に一致することはない。それどころか、ペルソナのもっとも固有の要素は、まさしく一致しないところにこそ求められるのであり、それゆえに天上の生にあずかることもできるのである。byエスポジト『三人称の哲学』

2017-09-11 17:18:19
荒木優太 @arishima_takeo

一人称・二人称とちがって、三人称は、人称の内包をもたない唯一のものであり、その点で「非-人称」とも定義しうるものである。byエスポジト『三人称の哲学』

2017-09-11 17:33:26
荒木優太 @arishima_takeo

コジェーヴからジャンケレウィッチやレヴィナスまで、権利が本質的にーーたんに機能上だけでなくーー三人称的なものであることを強調した思想家たちがやったことは、それぞれ異なる視点からであれ、ヴェイユによって提起された要請を再提案することにほかならない。byエスポジト『三人称の哲学』

2017-09-12 13:01:04
荒木優太 @arishima_takeo

「進化論が衰退の必要性を予見していないーーそれどころか、原則として、単純なものから複雑なものへの進歩を想定しているーーのにたいしてシュライヒャーは、進化論を、その起源の方向を転倒させるヘーゲル的な語彙で翻訳する」(エスポジト『三人称の哲学』)。言語学でのネオダーウィニズム的な?

2017-09-12 16:19:58
荒木優太 @arishima_takeo

「人種についてのその著作の出版から十五年おいて、ゴビノーはドイツ語で『個の生のさまざまな表出についての覚書』を出版する」(エスポジト)。この著作でゴビノーは「慣用句的個体」というタームを用いてるらしい。興味アリ。

2017-09-12 17:01:53
荒木優太 @arishima_takeo

生言語学的な研究と、それにつづく社会ダーウィン主義とのあいだの、もっとも影響力のある融合点は、明らかに、ダーウィンの翻訳者であり彼の思想をドイツに普及した最大の功労者であるドイツ人動物学者エルンスト・ヘッケルの著作によって築きあげられた。byエスポジト『三人称の哲学』

2017-09-12 18:37:24
荒木優太 @arishima_takeo

マウトハウゼン収容所において、棍棒が「通訳」と呼ばれていたのは偶然ではない。なぜなら棍棒は、ドイツ語を解さぬ人々にとって、より直接的な翻訳手段として機能していたからだ。byエスポジト『三人称の哲学』

2017-09-12 18:53:02
荒木優太 @arishima_takeo

『三人称の哲学』を読んでいる。十九世紀の生物学・進化論・人種理論の発展がいかに人格(ペルソナ)を脱構築する、脱人格的な死政治へとつながったか。「私ー君」という位格を通底/分断する(と信憑される)ヒト性のコード。

2017-09-12 19:04:45
荒木優太 @arishima_takeo

前に宇野邦一さんに質問したことだが、レヴィナスからみて「器官なき身体」や「脱顔貌化」を操るドゥルーズは反倫理の思想家でしかないだろうが、ではドゥルーズ自身はCsOから出立する倫理を諦めていたのだろうか?

2017-09-12 19:09:01
荒木優太 @arishima_takeo

レヴィナスが論敵とした顔なき思想家ことスピノザから、道徳から峻別された倫理を引っ張ってきたのは、ほからならぬドゥルーズだったのでは?

2017-09-12 19:09:43
荒木優太 @arishima_takeo

私がずっと疑問でいるのは、「器官なき身体」(に連なる概念系)とは、デアルの概念なのか、デアルベキの概念なのか、ということ。「みんな器官あると思ってるけどそんなん嘘じゃん?」って話なのか、「器官は危険なのであるべき(つくるべき)じゃない」って話なのか。よく分からん。

2017-09-12 19:12:52
荒木優太 @arishima_takeo

これに応じて、ドゥルーズの倫理の様相もずいぶん変わるのでは、と門外漢ながら思うのだが。

2017-09-12 19:14:16
荒木優太 @arishima_takeo

「仮面は、ペルソナであるからといって、その仮面を被った者の顔に必ずしも固着していなければならないわけではなく、他人の顔であっても覆うことができる」(エスポジト『三人称の哲学』)。それな。

2017-09-14 10:42:22
荒木優太 @arishima_takeo

生政治は、生政治に対抗する意図をもったペルソナリスムの伝統をもみずからの強制的な機構のなかに捕獲している。byエスポジト『三人称の哲学』

2017-09-14 12:41:40
荒木優太 @arishima_takeo

「奇妙なことに、生命倫理に関する現在の議論において、対立しあう前線に並んでいるようにみえるイデオロギーの陣容は、単一の概念的前提によって結びつけられているにもかかわらず、その交差点がまさに見逃されている」(エスポジト)。「陣容」って原語なんだろ?

2017-09-14 12:46:13
荒木優太 @arishima_takeo

「シンガーは、愚者と知的な人を、動物と正常な人間と同じ関係性においてとらえている。もっとも、シンガーは動物にたいして明らかな好意を示しているのだが」(エスポジト『三人称の哲学』)。へぇー。

2017-09-14 12:57:47
荒木優太 @arishima_takeo

シンガーが不本意にも書き留めているように、「生きるに値する生」という固有の概念をナチス優生学の手引書の概念から区別する必要を感じていることは著者自身にも両者の隣接性が感知されたことを暗示している。byエスポジト『三人称の哲学』

2017-09-14 13:01:35
荒木優太 @arishima_takeo

ペルソナの独占的な装置と深く関連付けながらヴェイユがとらえているのは、権利がもともともっている排他主義的な性格、つまり同時に私的でもあり占有的でもある性格である。byエスポジト『三人称の哲学』

2017-09-14 15:40:38
荒木優太 @arishima_takeo

「ヴェイユは正義を権利から完全に区別している」(エスポジト『三人称の哲学』)。うん、ここ面白いね。

2017-09-14 15:43:07
荒木優太 @arishima_takeo

存在とはまさに、現実的なものと潜在的なものとのあいだのーー秩序と混沌とのあいだの、同一性と変形とのあいだの、形と力とのあいだのーー振動からなるものである。この振動は、存在をそれ自体との永続的な緊張状態に保つことによって、それを生成変化へと翻訳する。byエスポジト『三人称の哲学』

2017-09-14 17:38:26
荒木優太 @arishima_takeo

動物ーー人間における動物、人間という動物ーーとはまずなによりも、多様体、多元性を、そしてわれわれを取り囲むもの、あるいはずっと前からわれわれのなかにあるものとのアレンジメントを意味するものである。byエスポジト『三人称の哲学』

2017-09-14 17:41:15
荒木優太 @arishima_takeo

「たとえば徹底して人格を破壊してきたナチズムの生政治=死政治と、逆に人格を金科玉条のように祭り上げる自由主義の人格尊重とが、実は同じような前提ーー生きるに値する生、生の生産的管理などーーを共有している点にも、エスポジトはわたしたちの注意を喚起している」(岡田温司)。ソレナ。

2017-09-14 17:46:17
荒木優太 @arishima_takeo

「イタリア語の「エスポスト」には、「さらされた」という意味の形容詞と「捨て子」という意味の名詞があるが、その名のとおり「エスポジト」は、まさしくいかなる同一化をも放棄した「捨て子」として、あらゆる異質な声に自己を「さらして」おこうとするのである」(岡田温司)。バタイユ的名は体。

2017-09-14 17:49:11
荒木優太 @arishima_takeo

エスポジト『三人称の哲学』読了。ペルソナ思想脱構築が素晴らしい。後続する、三人称は一人称や二人称と違って人称そのものを危うくさせる非‐人称態論(byバンヴェニスト)も啓発的。ドゥルーズの潜在性で終わるので、決着の点でどれくらいユニークな仕事なのかは微妙な気もするが、刺戟的だね。

2017-09-14 17:56:40
荒木優太 @arishima_takeo

三人称論でのドゥルーズやブランショ(「中性的なもの」)の既視感ある扱いに比べると、シモーヌ・ヴェイユの解釈は一個頭抜けてるのでは? ヴェイユってこういうこと書いてたんだな、と思った。ペルソナ批判…か・ら・の・非人称的なもののブリッジの役として、うまくはめ込んでいて感嘆。

2017-09-14 18:01:11