【舞踊評】「現代舞踊」とは何か?  そして「Japan Madeの新作バレエ」

江口・宮アーカイヴ『プロメテの火』、NBAバレエ団『死と乙女』

原田 広美

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〔撮影:(株)スタッフ・テス 根本浩太郎〕

江口・宮アーカイヴとは、石井漠らと並び、日本の「モダン・ダンス」の草分け的な存在だった高田雅夫・せい子の門下から巣立ち、やはり夫妻で、日本の「モダン・ダンス」の一時代を築いた江口隆哉(1900~1977)と宮操子(1907~2009)のアーカイヴである。後に、舞踏ファ-ザ-と呼ばれた大野一雄(1906~2010)も、江口・宮に学んだ。

1931年に夫妻となった2人は、1932年から1933年(昭和7~8年)をドイツで過ごした。つまり、第2次世界大戦の前である。渡独の理由は、ドイツ表現主義舞踊(新舞踊=ノイエ・タンツ)を学ぶためだ。それは、まさに世界初にして、欧州で唯一の「モダン・ダンス」の潮流。日本の「モダン・ダンス」の歴史も、数年遅れの、ほぼ同時並行で始発していたのだが。当時の「モダン・ダンス」は、「バレエ」に対抗的な前衛舞踊だった。

「ノイエ・タンツ」の創始者は、ルドルフ・フォン・ラバン。江口・宮が学んだのは、その初期からの高弟で、独立後に大発展を見せたマリー・ウィグマン(1886~1973)。「ノイエ・タンツ」では、この2人と、身体の現前に迫る独自の「タンツテアター」を発展させたピナ・バウシュの師の、クルト・ヨースが、3大巨頭である。ヨースも、ラバンに学び、ウィグマンの弟弟子(おとうとでし)にあたる。

前置きが長いついでに、江口・宮のことを追記すると、宮の方が年下でも、ダンサーとしては先輩で、江口が出会った時に、すでにスターだった。また、私の恩師の一人で、戦後のパリへバレエやモダン・マイム習得のために留学する以前、江口・宮に学んだ及川廣信(「アルトー館」主宰、演出家、ダンサー、プロデューサー、舞踊身体研究家)によれば、江口は「いい男(ハンサム)」で、宮の踊りは「大変にやわらかいものであった」と言う。宮の舞踊身体については、後に考察したい。宮は、短髪のモガ(モダン・ガール)で、日本人離れした手足の長いプロポーションの持ち主、颯爽と生き切った印象は男前である。

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『プロメテの火』は、1950年が初演。1960年に消防法で、火が劇場で使えなくなるまで約100回の上演を重ねた。この江口・宮の代表作(約55分)を56年ぶりに全幕再演した。火は生火ではないが、ドイツ製の舞台小道具(松明)を使用。煙も上がり、本物に見紛う申し分のない迫力。楽曲は、映画『ゴジラ』の作曲も手がけた伊福部昭の書き下ろし。大きなスケール感で、不協和音と流麗さが入り混じり、かつミニマルな楽曲が、ギリシャ神話を現代に蘇らせた作風にマッチした。

今回、最も印象的だったのは、ゲストでプロメテ役の首藤康之の場面だった。これまでの(モダン・)バレエが土台の身体性では、いまだ目覚め得ずに潜在していた身体の感覚が、「ドイツ表現主義舞踊=ノイエ・タンツ」が土台の江口の振付により、解き放たれたのではないか、とさえ感じたほどだ。

それは特に、〈第4景~コーカサスの山巓(さんてん)〉の岩山上で、プロメテ役の首藤が一人、身を斜め奥に構えて横に傾け、右腕を膨らませたアンシンメトリーな、造形的で抽象的なポーズをとった姿で、立ち尽くす場面だった。プロメテが、大神ジュピターから火を盗み〈第2景~火を盗むもの〉、人間に与えたため、岩山の麓(ふもと)では、人々が喜びの踊りをこれでもかと増幅させて行くクライマックス。だがプロメテだけは、人間に火を与えた罪に問われ、岩山上で、鎖で繋(つな)がれた悲壮な姿を曝(さら)していた。

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〔撮影:(株)スタッフ・テス 上野能孝〕

その動かぬ姿に、私は、これまでの首藤に感じ得たことのなかった、存在感が空間に広がり続ける、鮮烈で新たなオーラを見た。首藤は、元「東京バレエ団」のプリンシパル、ベジャールの『ボレロ』を踊る許可を得た特別なダンサー。最近は、今回の相手役のアイオを踊った中村恩恵との舞台や、ベルギーのコンテンポラリー・ダンスのシェルカウイの『アポクリフ』でも、主要パートを担った。だが、それらは、やはり(モダン・)バレエの身体性を土台にしたものであった。

だから、今回の新たなオーラに、江口の振付けで目覚めさせられた部分があると感じたのだ。また、この場面のみならず、ソロで松明を掲げる〈第2景〉他でも、肩や腕を用いて身体的な空間を造形しては、内へ内へと身体を手繰り寄せるような動きは、首藤の新たな真骨頂となったのではないだろうか。

ここで作品全体を振り返ると、迅速な動きでないにも関わらず、野性味を帯びた身体性の群舞を踊るダンサー達の、茶色の袴(はかま)の裾が床上ですべて繋(つな)がり、大地の匂いを放った〈プロロ-グ〉。

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〔撮影:(株)スタッフ・テス 根本浩太郎〕

江口・宮は、渡独前から「ノイエ・タンツ」と同じく、重力を踊りに取り入れていたと言う。いつぞや「どんなに速く動くよりも、重力に従う方が速度は速い」と、舞踏の石井満隆(バレエや石井漠にも学んだ)に聞いたが、本作の重厚でじっくりした動きが多い中に、そのような峻烈さを含んだ群舞は、〈第1景-火なき暗黒/アイオの踊り〉、〈第3景〉の群舞でも、同様だった。

アイオ役の中村は、牛の姿で登場する。大王の后に嫉妬され、牛の姿にされてしまったのだ。立姿ではあるが、肘にまで続くような手甲、長い尾を付けた姿は、やはり人間から逸脱した姿であり、踊りとしての見せ場となった。最後の〈第4景~コ-カサスの山巓(さんてん)〉は、山頂に繋がれたプロメテと、牛の姿のままのアイオ。人間達が見守る中、山頂の2人は、いつか身が自由になる希望を失わずに生きようと確かめ合う。本作の初演が、サンフランシスコ講和条約の締結を翌年に控えた占領下の1950年だったことを考えると、改めて作品の重みが伝わって来る。

一方、アメリカ文化センターが、マーサ・グレアムの舞踊(アメリカのモダン・ダンス)の講習会を開いたのは、1949年であった。アメリカでは、その後すぐに、それに対抗的なポスト・モダン・ダンスが興り、それが我国に紹介されたのは、1970年代だった。戦後の、そのような舞踊の流れの中で、しだいにポスト・モダン・ダンス以降でないと、時代に取り残されたとする解釈も行われ、現在のコンテンポラリー・ダンスの日本国内の特殊で狭義な解釈の仕方も、その延長線上にある。

だが、「ノイエ・タンツ」が創始された前世紀初頭のドイツは、いくつもの身体解体メソッドが生まれた時期であり、それらをナチスから逃れたユダヤ人達がアメリカに運んだ。

そして同じく、当時のユダヤ人達が運んだバウハウスの構成主義、あるいは欧米には新文化であったアジア・アフリカ文化を下敷きにしたミニマリズム、禅などと共に、それらがポスト・モダン・ダンスに溶け込んだことを考えると――、加えてフランスが、ニコライやカ-ルソンを招聘し、アメリカ経由の「ノイエ・タンツ」を1968年の5月革命以降の「ヌーヴェル・ダンス(新舞踊)」=「コンテンポラリー・ダンス」の土台にすえたことを考えるにつけても――、我国の場合は、特に「ノイエ・タンツ」以降のダンス全般を「モダン・ダンス」という観念を含め、おおむね「現代の舞踊=コンテンポラリー・ダンス」と考えてもよいのではないかというのが、今回の江口・宮アーカイヴを見て、私が強めた思いである。

宮の踊りの身体性については、2015年「ダンス・アーカイヴ in JAPAN」に次ぎ、この日も中村が、赤いセパレーツとロングスカートで踊った宮の『タンゴ』(初演1933年)で見てみよう。背高で骨格がしっかりした印象の中村は、宮のイメージを彷彿とさせる。身体造形のフォルムが際立ちながら、トルソが解体され、解体部分にフワリと浮遊感が漂い、心を打つ。身体のベクトルが強度と脱力の双方に幅広く利いている。このような身体性は、1980年代以降の「コンテンポラリー・ダンス」の時代でも、重視されるものである。

この日は、『プロメテの火』に加え、坂本秀子が踊る宮の『春を踏む』(初演=1943年)を含む短編3作も上演された。『春を踏む』は、帰国後10年の作品で、さらに宮独自の軽みが追求されていた。江口の『スカラ座のまり使い』を木原浩太が踊るのは、2015年に次ぐ2度め。峻烈に足を跳ね上げるなどのダンス身体の他、観客に対してアイコンタクトを交え、笑いを取るピエロ。存在しないボールを投げてキャッチするというパントマイムも融合するなど、自在な舞踊の発想が、強く打ち出されている。今後の現代舞踊にも、時代や自身にマッチしたテーマと共に、このような自在な精神を期待したい。(5月28日)

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〔写真提供:NBAバレエ団〕

久保紘一が率いる「NBAバレエ団」が、「佐渡・鬼太鼓座」「鼓童」の創設に携わった太鼓奏者の林英哲、作曲家でピアニストの新垣隆をゲストに、久保自身もダンサーとして出演し、「ニュージーランド・ロイヤル・バレエ団」在籍中に振付を始め、「NBAバレエ団」でも4作めとなる舩木城の振付で、『死と乙女』を初演した。

内容は、いわゆる(19)世紀末ウィ-ンの、アカデミーから逸脱した分離派の画家クリムトの若き友人にして、同じくエロティシズムを追求し、28才で夭折したエゴン・シーレの晩年の作品をテーマとした。林と新垣が、シーレのファンで、エロスとタナトス(死に冒された乙女)がテーマの、『死と乙女』を作品化することになったのである。この2人は、ほぼコラボレーションで音楽を担当。ただし創作現場では、久保、林、新垣、舩木が一丸となっての作業展開であったと言う。

もそも今回の企画は、久保が林の演奏にインスピレーションを得て、始まった。「コロラド・バレエ団」のプリンシパルを20年間務め、日本人で初めてアメリカの「ダンスマガジン」の表紙を飾った久保は、以前から「Japan Madeの新作バレエ、日本人にしかできないバレエを作り、海外の観客に見せたい」という夢を抱いていたのである。

この日は、3部に分かれ、1部は林を中心に迫力みなぎる和太鼓5人のアンサンブル。冒頭と終わりに、プリンシパルの峰岸千晶が、スクエアの軌跡を描く歩行(振付=宮内浩之)で、登場。白一色のレオタードとトウシューズで全身を覆い、その上に打ちかけた、赤い金襴緞子の豪華な花嫁衣装の裾を引き摺りながらの、慎ましやかな歩行。それは和太鼓の響き共々、日本の美の表象だった(35分)。

第2部は、バレエ団のレパートリ-であるライラ・ヨーク振付『ケルツ』(初演=1996年/「ボストン・バレエ団」)。北欧のケルト民族のバグパイプを用いた民族音楽で、アイリッシュ・ダンス(「リバー・ダンス」を思い出してほしい)の動きを取り入れた、音楽を視覚化したようなリズミカルなバレエ。衣装にもケルト模様が施され、全面に民族色が打ち出されている(25分)。

そして、第3部が『死と乙女』(35分)だった。ダンサーは、久保、プリンシパルの大森康正、高橋真之、竹田仁美、峰岸他、全男女16名。暗闇の中、初めに、舞台奥の上手・下手の高い位置に設置されたバルコニーのような演奏スペースに、ライトがあたる。上手が新垣のピアノ、下手が林の太鼓である。

新垣のピアノは、不協和音を伴う激しい演奏で、いわゆる現代音楽の範疇だが、ジャズのニュアンスも感じさせた。林の太鼓は、低くて太い音のみではない。打面を客席に向けた大太鼓が本人の後ろに立つが、前方に、2つの大太鼓、1つの中太鼓、2つの小太鼓、右手奥には、タンブリンのように6つの面を並べた軽装の太鼓もある。音はスティックを打ち鳴らすように聞こえる硬質高音のものや、音の高低も多く混じり、自在で心地よい。

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〔写真提供:NBAバレエ団〕

このピアノと和太鼓の演奏が拮抗する空間奥に、女性ダンサーが登場する。だが、その後方に、もう一人が重なるように立ち、女性は捉えられているようだ。シーレの『死と乙女』は、黒っぽい絵で、断末魔の「乙女」が、「死」にもたれかかるような構図である。

実は『死と乙女』は、シーレが下積み時代を共に過ごしたモデルの女性を裏切るようにして、裕福な階層の新妻を迎えた年(1915年)に描いた絵で、かつての恋人の精神的な死(実際にも2年後に没した)、あるいは自らの精神的な死もが、意識されていたようにも感じられる絵である。そして3年後には、新妻もシーレも、スペイン風邪で没した。

だが音楽が、太鼓という打楽器演奏と、メロディーよりも和音の強打がベースのピアノ演奏であれば、大抵は物語を追わず、ポスト・モダン以降の、場面をコラージュするシュルレアリスティックな作風になることは予想がつく。ダンスの観客にとって、親密感が最も強いポスト・モダンの楽曲と言えば、スティーブ・ライヒの『ドラミング』であろう。

やがて3組の男女が現れ、男性が女性を各々に別々の形で、リフトする。その様は、バロック的とも言うべき全くに破調な姿で、強い印象を残す。エロスもタナトス(死)も、人生の中で強烈な印象を引き起こす場面を運ぶ要素に違いないからであろう。そのような意味では、シーレの絵画同様に、本作も表現主義的であるが、そのようなアクセントが、全体のポスト・モダン調でアブストラクトな流れの中に、ごく自然に溶け込んでいるのが、現代的であった。

また従来は、音楽を視覚化したようなアブストラクトなバレエでは、感情を抑制するのが鉄則的な考え方であったが、1980年代以降のコンテンポラリーと言われる時代になり、抑制的で平板・東洋哲学的とも言えるミニマルなスタイルの中に、表現主義的なものが顔を出すという秀作に、出会うようになった。本作からも、まさにそのような味わいを感じたのだが、それは東洋的なものと、西洋的なものが、以前よりも両洋で混在する時代になったせいかもしれないとも思う。

ダンサー達が流れるように、コンパクトなジャンプやターンで、さまざまな場面を作っては去り、方や、シーレの絵画の「死と乙女」が、シーツの上に膝をついて身をもたれ合うように、床上に座した何人かが互いに身をかがめているような場面もある。ダンサー達の衣装は、光沢のある赤い長短の袴のようなもので、上半身はそのまま曝している者や、女性や男性の一部も、肌色や白などの布で、体を隠している、というようなテイストの衣裳だった。赤は、シーレの故郷のウィーンを象徴するカラーでもあり、血や命や情熱の色であり、日の丸の赤色でもあると思う。

ミニマルな流麗さの中に、表現主義的な「エロスと死」が顔を出し、それを支えるリズムが、和太鼓とピアノの競演的な演奏であったのも、すべての要素を融合するコンテンポラリーな時代の新作として、ふさわしかったように思う。ますます発展を見せながら、本作が海外の観客の目にも触れる日を願いたい。(5月29日マチネ)

●原田広美(はらだ・ひろみ)
舞踊評論家、著書に『舞踏大全~暗黒と光の王国』他、2016年初夏に『欧州コンテンポラリー・ダンスとは何か~まったく新しい〈身体と舞踊〉の歴史』(仮題)を現代書館より刊行予定。


【公演情報】
江口・宮アーカイヴ「プロメテの火」
2016年5月28日、29日(新国立劇場中劇場)
プロメテの火原案/菊岡 久利
構成・振付/江口隆哉・宮 操子
音楽/伊福部 昭   HP,資料室
使用曲/「プロメテの火」舞踊作品用特別版
演奏/東京交響楽団  指揮:広上淳一
録音/日本コロムビア株式会社
装置・衣装原案/河野国夫
美術・衣装・特殊効果/江頭良年
大道具製作/(有)ユニ・ワークショップ
協力/株式会社ストロベリー メディア アーツ/緒方克彦
衣装製作/小山令子 池田恵美子 蔭山けい子
照明/井上正美
照明操作/エクサート松崎
音響/河田康雄
舞台監督/柴崎 大
宣伝美術/浅井美穂子
ビデオ撮影/(株)ビデオ
写真撮影/スタッフ・テス(根本浩太郎)
Web Creator/川名美津雄 MicroKeys Enterprise LLC
芸術監督 /金井芙三枝
演出助手/中田 杏  内田和子
ダンスミストレス/坂本秀子 吉垣恵美 松本直子
後援/日本女子体育大学 日本大学藝術学部演劇学科 日本女子体育大学附属二階堂高等学校
協力/坂本秀子舞踊団 江口・宮門下生 桑原和美 SAYATEI
協賛/チャコット株式会社
主催/プロメテの火実行委員会 一般社団法人現代舞踊協会
プロメテの火実行委員会/金井芙三枝代表)、渥見利奈、五十嵐瑠美子、池田瑞臣、市毛令子、正田千鶴、関山三喜夫、真船さち子、三上弥太郎
(制作)波場千恵子、坂本秀子、蔭山けい子

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NBAバレエ団「死と乙女」
2016年5月27日/29日(北とぴあ)
主催 :NBAバレエ団 特定非営利活動法人日本バレエアカデミーバレエ団
共催:公益財団法人北区文化振興財団/東京都北区
協賛: サントリーフーズ株式会社/チャコット株式会社/所沢パークホテル/株式会社プレジャーガレージ
芸術監督・演出:久保紘一
作曲:新垣隆
振付:第三部「死と乙女」/舩木城 ・ 第一部「和太鼓」/宮内浩之