日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

001 日本列島と日本人

みなさんこんにちは!日本史の勉強をこれからやっていきましょう。歴史の流れはとても長いものですが、一つ一つのエピソードは大変おもしろく興味深いものばかりですので、是非楽しんでいきましょう。

さて今回は、まず最初ということで縄文時代からやりたいところなのですが、我々が済む日本列島や我々日本人の起源って何なのかという内容から探っていきたいと思います。

で、みなさんは日本の歴史を時代区分に分けるとまず最初に来るのは何と覚えましたか?そうですね、まず縄文時代、そして弥生時代でしたね。しかし、高校日本史では縄文時代の前に「更新世」という時代があることを抑えておきます。だから更新世縄文時代弥生時代となりますね。では、更新世ってどんな時代なのでしょうか。

第4紀更新世

正式には更新世の頭に第4紀と表示します。第4紀ということは、第3紀があるのですが、この第3紀とか第4紀というのは歴史の時代区分なのではなく、言ってみれば理科の世界の呼び名なのです。地層とか地質なんかの年代を表す言葉です。そして、人類が誕生したのが第3紀なのですが、この人類が日本列島にやってきて、日本列島もじょじょに形づくられる時代です。

更新世という呼び名を初めて聞いたことがある人も多いのではないかと思うのですが、実はこの更新世にはある有名なニックネームがつけられています。何だか分かりますか?そう!「氷河時代」や「旧石器時代」です。聞いたことあるでしょ?この氷河時代ってどういう時代かというと、近年、温暖化問題が声高に叫ばれていますが、温暖化というのは地球が暖かくなって陸上に乗っかっていた氷河などの氷がとけて海面が上昇し、ツバルだとかバヌアツだとかキリバスだとかそういった南の島々が沈んでしまうのではないか危惧されているのが地球温暖化です。

この氷河時代は氷河ですので地球が寒冷化した減少が置きます。それはどういうことかというと、寒い地域には雪が降りますね。雪が降るがなかなかその雪が溶けずに氷河に陸上として残ってしまう。どんどん雪が積もって氷となって海に流れないから海の水は減るわけです。海の水が出るということは陸地の面積が拡大していきます。そうすると、この我々がよく知っている日本列島の地図なのですが、更新世の日本列島の地図はというとこんな感じです。

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このように大陸と日本が繋がって日本海は湖のようになっていました。これが氷河時代の日本列島の姿です。そうすると、通行自由なわけですので、北から南からいろんな大型動物がやってきます。

動物

ではどんな大型動物かというと、大きい動物それはゾウさんですね。南からやってきたゾウさんと、北からやってきたゾウさんでは少し様子が異なります。北からやってきたゾウさんはマンモス、南からやってきたゾウさんはナウマンゾウといいます。北からやってきたマンモスはやはり寒いので全身が毛で覆われています。ナウマンゾウは全身が毛で覆われていません。

北から・・・マンモス、ヘラジカ

南から・・・ナウマンゾウ 、オオツノジカ

 そうすると、これらの動物を追ってやってきたのが人類です。

人類

では人類、われわれ日本人についてみていきましょう。日本にある化石人骨はいずれも新人の段階にあるということです。化石人骨というのは化石化した発掘によって研究することができる人骨のことなのですが、それらは古くても今まで新人段階のものしか出土していません。新人段階って何かというと、だいたい500万年前から300万年前の猿人、それから180万年前からの原人、ほかにも2、30万年前になると旧人、そして4万年前くらいになると新人が現れてくるのですが、そのうちの新人段階のものしか発掘されていないということです。

そのうち今の静岡県あたりで発掘された人骨として浜北人、あるいは沖縄で発掘された港川人、あるいはこれも沖縄なのですが山下町洞人、といった人骨が発掘されました。

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いずれも新人の段階の人骨です。地図でも確認しておいてください。では更新世の話を進めていきますね。この更新世なんですけども、ニックネームが2つありましたね。一つは大陸と陸続きになった氷河時代、そしてもう一つが旧石器時代というニックネームがありました。ですので、旧石器時代について迫りましょう。

 

旧石器時代

石を打ち欠いた作られた打製石器が使われていた時代のことを旧石器時代といいます。黒曜石という石をカーンって割ったら、割れた先が刃物のようにものすごく切れ味がいいんですよね。国によってはお腹を切ったりするメスのかわりに黒曜石で作ったメスが使われるほどです。

旧石器時代の遺跡

それだけ切れる打製石器なのですが、日本ではかつて旧石器時代の石器は存在しないといわれていたのですが、岩宿遺跡という遺跡から相沢忠洋という人物が偶然にも関東ローム層の地層から発見しました。相沢忠洋さんというのは本来の仕事は納豆の行商人だったのですが、考古学ファンでもありました。そんな相沢さんがある日道を歩いていたら、断崖の赤土に埋まっているのは石器ではないかという発見をしたのです。しかし、専門家たちは「相沢って誰だよ」「納豆の行商人?そんなやつが見つけたものを化石って信じられるかよ。」ってな感じでなかなか信じてくれません。また、見つけた地層が関東ローム層だったこともあり、火山灰を浴びながら石器なんて仕えるはずがないという見解でした。しかし、のちに学術調査が行われることとなり、結果的に旧石器時代の石器であると認められたのでした。この岩宿遺跡というのは更新世旧石器時代の遺跡として代表的ですので抑えておきましょう。あるいはナウマンゾウを追いかけて人々が長野県まで到達したよってことが野尻湖遺跡の調査によって分かりました。この湖でナウマンゾウの化石が出土したわけですね。

旧石器時代の人の生活

そのように、打製石器を使っていたりナウマンゾウを追っかけていた人々の時代のくらしはどうなっていたのでしょうか。それは狩猟・採集生活です。たとえば、尖頭器(せんとうき)といって槍の先につけた石器をつかったり、動物を捕獲したら皮を剥いで切り刻む必要がありますので、ナイフ形石器を用いたりして切断していました。住居はというと、かんたんなテント式の小屋や洞穴に暮らしていました。彼らの暮らしは大型動物を捕獲したり、木の実や貝を集めていたりしたので、どうしても彼らの生活には移動がともないました。ときには暮らしやすい洞穴とかをみつけて暮らしもしていました。いまの私達からすると、動物を追いかけて移住をするっていうのは大変そうですよね。考えてみると、いま我々は夏の暑い日にはクーラーをかけてアイスを食べたりして暑さを凌ぐのですが、彼らの場合は、暑いと感じれば涼しい所に移動すればいいですし、寒いと感じれば温かい所に移動すればいいので、それはそれで合理的な生活をしていたのではないでしょうか。

石器時代

で、だんだんこの旧石器時代も進んでくると、この旧石器時代の中でも中石器時代と呼びます。この中石器時代というのはどのような時代なのでしょうか。更新世旧石器時代末期、中石器時代といわれる時代が訪れます。これはさきほど打製石器はとても切れ味が鋭いんだっていうお話をしましたが、歯が鋭いってことは、すぐに刃こぼれをして切れ味が悪くなるんです。そこで、切れ味が悪くなった箇所の石器だけを取り外して、交換して利用するといったような石器が登場しました。

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このような石器を細石器といい、この細石器を使っている時代を中石器時代といいます。

 

予告

更新世がおわっていよいよ我々が知るところの縄文時代が始まるのが今から1万年前です。今から1万年前に更新世、つまり氷河時代がおわり地球全体が暖かくなっていきます。暖かくなると海面が上昇し、日本は大陸から離れた日本列島が形作られます。そんな時代のお話を次回はしていきたいと思います。

 

 

列島の考古学 旧石器時代

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