(タイムス住宅新聞 2009年6月19日 掲載)

文と絵 平良 和繁 TAIRA KAZUSHIGE

サン・ジョヴァンニ洗礼堂の写真(左)とスケッチ(左)。

 この洗礼堂はドゥオーモ正面玄関に向い合って建っている八角形の建物で、毎日のように通いスケッチ
しましたが、さすがに観光客が多くてスケッチするのも大変でした。ただ、この広場は何百年前から変わら
なく、変わるのは観光客(人)だけで不変的な空間であるのを感じました。

ギベルティの“天国への扉”(写真提供 小河泰隆) 

洗礼堂東側の扉で、ミケランジェロが “天国への扉”
と賞賛したルネサンス美術開幕の作品。
旧約聖書のエピソードをひとつのパネルにいくつか盛り込んで、物語を一連のパネルに統一させて制作されています。  

   

ドゥオーモ正面(左)とドゥオーモ後方部からクポーラを見上げた写真(右)です。
クーポラ(ドーム)の大きさに圧倒され、よくこの時代に建てたものだと感心するほどです。ブルネレスキが賞賛されたのもうなずけます。

フィレンツェの夜景

ミケランジェロ広場からみた夜景。中央にヴェッキオ宮殿、ドゥオーモがあり、アルノ川沿いやヴェッキオ橋(川沿左側)が特に明るく、町並みを照らし出しています。
(ヴェッキオとはイタリア語で“古い”の意味)

ウフィッツィ美術館(手前両脇の建物)からヴェッキオ宮殿を見た写真です。

 この二つの建物は建ち並んでいて後方にはドゥオーモも観ることができ、フィレンツェの象徴を一枚におさめようと撮った写真です。
ちなみにウフィッツィとはイタリア語で事務所の意味で、共和制時代の行政機関(市役所)の事務所だった建物です。

 十数年前、イタリア・フィレンツェに留学しました。

 フィレンツェはルネサンス(14~16世紀)が花開いた地で、まち全体が美術・博物館そのものと行ってもいいくらい、絵画や彫刻などの美術品、建造物などを見ているだけで、歴史の過程が分かるような地でした。

 「ルネサンス」とは再生を意味し、ローマ古典古代文化の復興をめざした運動で、イタリア・ローマ人やローマの基礎を築いたフィレンツェ・トスカーナ地方の先住民エトルリア人の建築思想・技術がこの運動に影響を与え、現代に伝えていると感じました。

 フィレンツェを象徴する建造物はいくつかありますが、特に印象に残っているのが、ドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)広場前のサン・ジョバンニ洗礼堂です。ルネサンス時代より古い建物で、15世紀初めに行われた建物の門扉のデザインコンペで一等を獲得したギベルディの作品「天国への扉」を観ることができます。この作品がまさにルネサンス美術の開幕であり、後にこのコンペに敗れた(実際は辞退)ブルネレスキによる設計の「ドゥオーモのクーポラ(ドーム・二重円蓋)」は「建築家」の地位を最初に確立させたものとなりました。このはじまりを肌で感じ取ろうと、毎日のように通ってスケッチを重ね、この場所に魅せられました。そのほか、イタリアに留学して一番驚いたのは、シエスタ(昼休み)の長さ。2、3時間休むのは当たり前のという習慣に、東京住まいだったわたしは随分と戸惑いましたが、数ヵ月たつと、「働く」「勉強する」「休む」など生活リズムにメリハリが出て、気持ちにゆとりが生まれてきました。

 また、このような生活を送るにつれ、遠い国に来たのにも関わらず、なぜか故郷の沖縄を思い出しました。のんびりとした生活が、「ウチナータイム」のようで、親近感を覚えたのかもしれません。

 「沖縄に似たゆっくりとした生活リズムと、人間の芸術への探求、葛藤、情熱を知ることができる中世美術起源の地、フィレンツェだからこそ強くひかれる」

 今回エッセーを書きながら改めてそう思ったと同時に、まるで昨日のことのようにフィレンツェの香りを思い出すことができました。