大阪の商家

江戸時代の大坂商家の奉公人の暮らし

商家の奉公人は、江戸時代の町人が憧れた職業です。しかし、給金が安いうえに自由もなく逃亡する奉公人も少なくありませんでした。それでも長く奉公すれば、莫大な退職金の給付がありました。また、のれん分けもありましたので、夢のある職業だったのではないでしょうか。

高麗橋にあった呉服店の三井と、お菓子屋の虎屋(摂津名所絵図)

¶ 奉公人の生活
奉公人の勤務時間は、商家によって様々ですが一般的に午前7~8時から仕事をします。終わるのが夜の6~7時なのでの11時間労働でした。但し丁稚は、雑用を片付けるため1時間ほど長く働いていました。自由がなく、昼も夜も外出が禁止されていました。また金銀を所持するのも禁じられています。

¶ 商家の奉公人の休日
休みは、一般に毎月1日、15日、28日の月3回か、2回のが多かったようです。その他には、商家の組合で定めた奉公人の休日があります。そして大坂の商家では正月休みが、12月25日~1月9日。盆休みは7月11~20日ありました。

昼休みは、1時間でしたが4月~8月に掛けて2時間に増えます。他に今の社員旅行のようなものとして、お祭りや、花見に商家一行で、出かけることがありました。

桜見をする商家一行(摂津名所絵図)

¶ 商家の雇用状態
男性の奉公人は、10代前半で丁稚(小僧)になり、手代、番頭(支配人)に昇格する制度がありましたが、奉公人になれても病気や、向いていないなどの理由で解雇されることがありました。実際は、自由がなく逃亡して辞めていく奉公人の方が、解雇されるよりも多かったようです。

女性が商家に奉公する場合は、住み込みで生涯勤めること多く、長年奉公をすれば個室を与えてくれます。結婚すると長屋からの通いになります。また「日雇い制度」や「月ぎめ制度」もありました。

女性の仕事は、掃除、洗濯などの家事を主に行っていました。また、女性が商品を販売する(御用聞きをする)ことはありませんでした。奉公人の結婚相手は、お店の主人が結婚先(お店)を決めるので、恋愛での結婚は殆どありませんでした。

今を思えば、自由のない奉公人の人生ですが、江戸時代の町人は、子供を奉公人にさせたがる親が多かったのです。

実は町人の親が、娘の奉公先で一番行かせたかったのは武家でした。武家の玉の輿になることを願い、唄や三味線を習わせて武家の奉公人になれるよう頑張っていました。商家の奉公は、2番目だったようです。

¶ 商家の給料
商家により給料は違いますが、記録が残る大きな商家の丁稚では、祝儀や小遣いが与えられる程度で給料はありませんであいた。手代になると年4~6両。番頭では年10両と意外と少ないです。

しかし住み込みが多いので、給料の殆どを貯蓄することもできました。また、退職金や、のれん分けでは50~100両が支払われています。長く奉公すれば良いことがあるので、夢を持って我慢していたのではないでしょうか。 投稿者:atomカテゴリー