千葉県習志野市津田沼。語り出したら止まらない、最高の地元

著: 習志野氏 

千葉県習志野市津田沼

「どこに住んでいるんですか?」

 そう聞かれたとき「津田沼」と答えるか「習志野」と答えるかでいつも迷ってしまう。津田沼も習志野も同じくわたしの地元を指す地名ではあるけれど、「習志野・津田沼を普及する」との想いでこのエリアの魅力を発信しているわたしとしては、少々こだわりたいところなのだ。

 位置関係を説明すると、チーバくんの下顎のあたりにある「習志野」市のなかに「津田沼」という地区が存在しているというかっこうではあるが、その答えによって相手が連想するものが変わってくる。

 「津田沼」で連想されるのはきっと駅や電車ではなかろうか。JR総武線には【津田沼行】の電車がたくさん走っていて、都内で電車に乗ればその地名を見かける機会は少なくないはず。

 対して、習志野と聞いて連想されるものは、自動車の習志野ナンバーや陸上自衛隊「第1空挺団」であろうか。学生時代に部活にはげまれていた方は、野球部や吹奏楽部の強豪「市立習志野高校」の名前を知っているかもしれない。いやむしろ習志野という地名に聞きなじみがないという方も少なくないでしょう……。

 このように、どちらで答えるかでそのあとに続く会話が変わってくるのである。(習志野高校野球部は甲子園出場の常連で優勝経験もあるから、野球好きの人には習志野在住と答えるとウケがいい)

津田沼駅北口(上)と南口(下)の様子。津田沼は柏や船橋などに次ぐ千葉県の一大ベットタウンの一つである

 ところで、「津田沼」というなんとも湿っぽい地名……、これは明治の時代に「谷津」「久々田」「鷺沼」「藤崎村」「大久保新田」という村が合併し、「谷津」「久々田」「鷺沼」から一文字ずつ取って名付けられたことに由来する。いわゆる合成地名というやつである。これら三村は下総台地末端の谷戸地形の水田開発で成立した村であり、湿り気を感じるのはそれゆえだ。ちなみに現在のJR津田沼駅付近は台地上に位置しており、周囲より少し高い。

JR津田沼駅付近の標高は16m。地形図を見ると、台地上に位置しているさまがよくわかる(出典:国土地理院ウェブサイト 「自分で作る色別標高図」より抜粋

かつての久々田村にあたる場所には、昨年開業100周年を迎えた京成津田沼駅がある。ちなみに、駅西側の踏切は、新京成線も乗り入れたり留置線があったりする影響もあって、地元では「開かずの踏切」として有名である

かつての久々田村中心地に位置するのが、レトロな雰囲気漂う商店街「ワイがや通り」である

 せっかくだから習志野という地名についても説明させてほしい。先ほど、習志野にある「第1空挺団」について軽く触れたが、習志野という土地は旧陸軍とのかかわりが非常に強い。地名の由来についても例外ではなく、陸軍大演習の際に明治天皇が命名されたものとされている。つまり習志野という地名は、現在の習志野市から船橋市の内陸にかけて広がる軍用地一帯を指す地名であったのだ。そのため、習志野駅は習志野市ではなく船橋市にあるし、何なら「船橋市習志野」などという不思議な地名もあったりする。

習志野市ではなく船橋市にある「習志野地名発祥の地」。この辺りの歴史は調べると興味深いので、願わくばこのエッセイを機に習志野・津田沼の違いについて知ってみてほしい

 習志野と津田沼はこんなふうに背景や文脈が異なる”言葉”として体感しており、掘れば掘るほどおもしろい歴史が埋まっている。なので、どうしても使い分けたくなってしまうし、こうして長いうんちくを傾けてしまうわけなのだ。

何にも困らない津田沼

 さて、そんなわたしが住む津田沼というまちだが、千葉県内でも有数の商業集積地であり、とても生活しやすく居心地がいいと感じている。

 津田沼駅北口には『津田沼PARCO』がある。PARCOはいつの時代も津田沼周辺の若者を支えた、今も昔も津田沼のシンボル的な商業施設だった……。というのは、もうじき閉店してしまうからだ。わたしを含め津田沼民にとっては相当なショックであり、閉店が発表されたときはこの話題で持ちきりであった。

 つい先日、12月2日と3日にPARCO壁面全体を使った巨大プロジェクションマッピング『津田沼プロジェクションマッピング ~TSUMUG-TSUNAGU-TSUDANUMA~』が実施され、閉店を惜しむ空気を地元のみなさんとひしひと共有することができた。最後の瞬間、2023年2月末は徐々に迫ってきている。生粋の津田沼民としてPARCOの残りの期間を見守っていきたい。

ペデストリアンデッキ上の観覧エリアに押し寄せた多くの津田沼民と盛り上がることができ、感動もひとしおだった

 PARCOの閉店はとても寂しいけれど……、すぐ近くの新京成線の新津田沼駅北口には『イオンモール津田沼』と『イトーヨーカドー津田沼店』が隣接し、これまたとても便利である。小売りの二強がこうして堂々並ぶさまはなんとも壮観だ。

新津田沼駅を挟んで立地するイオンとイトーヨーカドー。津田沼の象徴的な光景の一つではなかろうか

 また反対側、新津田沼駅南口には『モリシア津田沼』と呼ばれる複合商業施設もある。駅前広場のデッキから、小山のようになっている津田沼公園の向こうにモリシアがあるさまは、(他人にはわかってもらえないけれど)楽しい景観だと思っている。

JR津田沼駅南口からデッキ直結の商業施設モリシア。北口の雑多な雰囲気とは打って変わって広々とした空間利用が特徴的である

 さらに周辺に目を向けると、『ららぽーと東京ベイ』『イオンモール幕張新都心』という国内有数の超巨大ショッピングモールまである。手のうちにすべてがそろうこの便利さにすっかり慣れてしまっているので、もし卒業後どこか別のまちで暮らさないといけなくなったとき、生活していけるかとても不安である……。

 恐ろしいことに、かつてはいま以上に店舗間の競争が激化しており、ここら一帯は「津田沼戦争」なんて呼ばれていたという。駅前にパルコ・イトーヨーカドー・ダイエー・丸井・高島屋・長崎屋・西友が同時に立地していたというとんでもない時代があったのだ。当時の様子をこの目で体験してみたかったものである。

 商業施設群の充実っぷりを紹介してきたが、津田沼駅周辺には大学・高校・予備校も多く立地し、学生街であることにも起因してか書店がとても多い。なかでも『丸善 津田沼店』の広さは桁違いで、専門書の品ぞろえも非常に豊富。大学院生の身分としては地元にこの規模感かつ品ぞろえの大型書店があるのはほんとうにうれしい!

 このように津田沼暮らしは便利だし、ここで生活していて困ったことはない。このまちは最高であふれているわけなのだけど、なかでもとりわけお気に入りのお店やスポットも紹介してたいと思う。

 じつは津田沼は、ラーメン激戦区でもある。好きなラーメン屋さんは数多くあるが、なんとか二店にまで絞り込んだ。『なりたけ』と『南木商店』である。『なりたけ』は、背脂チャッチャ系ラーメンのお店。ラーメンの見た目はけっこうハードだけど、背脂の甘みやうまみは確かなものでどんどん食べ進められる。わたしは小食であるはずなのだが、ときどき無性にこのアブラを摂取したくなる。非常に罪深いラーメンである……。

 一方、『南木商店』はマー油入りの熊本とんこつラーメンが看板商品のお店である。2019年に惜しまれながらも閉店したが、なんとこのエッセイを執筆中に復活を遂げたとの知らせが入ってきた!(そのため、慌てて追記)一般的な博多のとんこつラーメンと比べると、幾分まろやかでマー油の香りが食欲をそそる。きくらげのシャキシャキ食感もうれしい。お陰様で熊本ラーメンがわたしの好きなご当地ラーメンの第1位なのである。

食欲をそそる濃厚な見た目の南木食堂・豚骨ラーメン。復活翌日11月21日に訪問、店内は復活を喜ぶお客さんの声でいっぱいだった!

 津田沼駅南口から扇状にひろがる「奏の杜」というエリアもまたお気に入りの場所の一つ。ここはかつて、駅近にして広大な畑が広がる土地であった。約35haもの土地が開発されることになり、約6年のときを経て2013年に「奏の杜」としてまちびらきされた。津田沼が“千葉のムサコ(※武蔵小杉)”と呼ばれる由縁は、この地区の開発によるところである。ムサコのように緑が多く、洗練されたまち並み。西側に位置する「谷津奏の杜公園」は22000㎡ととても広い公園で、地元の人たちの憩いの場になっている。そんな行き交う人々や遊びに来るファミリーのにぎわいにも触れながら、このまちの活力を感じていると、なんだか気持ちも元気になってくるのだ。

「奏の杜」の公園とまち並み。多くの人でにぎわい、憩うまちであることは少し歩くだけで実感できるであろう

 そして「奏の杜」にある『ピーターパン奏の杜店』はぜったいに外せない! 千葉県北西部に10店舗を展開するご当地パン屋さんであり、いまや周辺民で知らない人はいないといっていいほどの人気店だ。わたしも幼きころ、船橋の店舗によく連れて行ってもらっていたので、ピーターパンと家族との楽しい思い出がたくさんあるが、こうして津田沼にも開業してくれたおかけで、より身近な存在となった。ピーターパン奏の杜店は、ログハウス風のおしゃれな外観。お店の前にはテラスやちょっとした遊具もあって、遊び心があふれている。

大きな石窯が目を惹くピーターパン奏の杜店。土曜日のお昼どきはとてもにぎわっていた。人気No.1の『こくうまカレーパン』は絶品である

津田沼が最高だったから

 「津田沼に詳しい」と「津田沼を知らない」。今回、読者のみなさんの割合はいったいどれくらいなのだろう……。前者の方にはたくさんうなずいてもらえるといいなと思うし、後者の方にはぜひぜひ津田沼に来てもらって、この豊なまちを味わってもらいたい!

 ながらくここで暮らしてきた身としては、津田沼は特別目立っているわけではないけど、何でもあって最高のまちだと自負している。歴史、商業、開発、グルメとどこを切り取ってもおもしろいまちで育ったから、「いろいろなまちを見る」「いろいろなまちを学ぶ」ということに強く興味を惹かれたのだ。いまこうして大学院にまで進み、都市に関する研究をしている源流も津田沼からきているにほかならない。この先の将来でもずっと、まちづくりにかかわっていけたらと願っている。

 もし今度、駅の電光掲示板で【津田沼】の文字に出会ったら、津田沼が奥深いまちってことを少しだけ思い出してくれたらうれしい。

著者:習志野氏

習志野氏

習志野・津田沼を普及したいという思いでTwitterに生息する都市系の大学院生。首都圏だけでなく、全国各地のまちを巡り観察した結果も投稿していますTwitter  

編集:ツドイ