高田馬場で聞こえたThe World Is Yours|街と音楽

著者: showgunn

自室、スタジオ、ライブハウス、時にはそこらの公園や道端など、街のあらゆる場所で生まれ続ける音楽たち。この連載では、各地で活動するミュージシャンの「街」をテーマにしたエッセイとプレイリストをお届けします。

 

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2021年の夏の終わり、20年以上住み続けたボロアパートをようやく出ることにして、高田馬場ともお別れの時がやってきた。

引越しの日、荷物や家具がすべて運び出された部屋を見て「意外と広かったんだな~」と感慨深くなる、なんていうのはよく聞く話だが、私の場合、そもそもが四畳半なので何もなくなっても普通に狭かった。

それよりも、これまで家具や荷物で隠れていた部屋のボロさや汚さが露わになってしまっていて、苦笑とともに「きったねぇな」という声が思わず漏れた。

その「きったねぇな」という言葉は、本当に汚いものを見て嫌悪感をもよおした時に出るのとは違い、「よくこんなところに20年以上も住んでたな」とか「こんなところに住んでた自分もしょうもないな」とか「色々あったけど長いことお世話になりました」とか、そういう感情がこもっていた。

それは自分が高田馬場という街に抱いていた感情とぴったりと重なるものだった。

 

学生街の代名詞、高田馬場

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高田馬場駅前の早稲田通り

高田馬場と言えば?と聞かれたら、多くの人が「学生街」と答えることだろう。実際に「学生街」という漠然としたワードで検索してみても、上から何番目かに高田馬場が出てくるほどである。

高田馬場には大学や短大や専門学校が複数存在していて、それらに所属する学生たちが多く在住している。基本的に彼らはだいたい4〜5年、最長でも8年で大学を卒業し、それぞれが就職先に近い場所に引越したり、はたまた実家に帰ったりと散り散りになっていく。そのため『高田馬場』という場所は多くの人にとっては学生時代の数年間を過ごし、その後はたまに飲みに行くくらいの「思い出の地」となっている。

自分はそんな土地に大学進学と同時に住み始め、20年以上も住み続けた。

学生街に20年以上住み続けた、もしくは住み続けている、という人はそれほど珍しくもないだろうが、自分の場合はそれに加えて、上京時に居を構えた四畳半・風呂なし・トイレ共同というボロアパートだったため、人から奇人・狂人のように言われることも多々あった。

しかしこちらとしては強いこだわりを持ってそこに住み続けたわけでもなく、ただなんとなく出るタイミングを見失ってしまった、というだけの話だった。

 

移り変わりの早すぎる街、高田馬場

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数少ない学生のころからあった店の1つ、鳥やす

高田馬場が学生街ということは前述の通りだが、そこにいる学生たちが数年ですっかり入れ替わるように、この街では本当にすぐ店が潰れ、そして本当にすぐ新しい店ができる。

あそこのラーメン屋は前は別のラーメン屋だったし、あそこのラーメン屋はカレー屋だったし、あそこのラーメン屋は……という感じでとにかくラーメン屋ばかりなのだが、ラーメン屋もラーメン屋じゃない店もすぐに入れ替わる。

試しに自分の住んでいたアパートから駅までの道を歩いてみても、ずっと変わらずそこにあるという店は数えるほどしかない。

その時々の学生のトレンドに合わせて街も入れ替わっている、ということなのだろうが、学生時代を過ぎてもそこに居座り続けた身としては、20年も住んでいた割に強い思い入れの持ちにくい街でもある。

住み続ければ住み続けるほどに思い入れが薄れていく、そんなことがあるのだろうかと思う。しかし我が身を振り返ってみると、年月の経過と共に、何か自分がよそ者のように感じられてくる、自分にとって高田馬場はそんな街だった。

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駅前の空中庭園から見下ろした高田馬場

そんな高田馬場にもかつてはレコード屋が多数存在していて、自宅から駅の少し先まで歩くだけでも6~7軒はあった。しかし今はそれもすべてなくなり、その後にオープンしたディスクユニオン高田馬場店と、異常にクセが強い店主の小さな個人店だけが存在している。

また、かつて高田馬場~早稲田間は、かの神保町と並んで称されるほどの古本屋街であり、レコードやCDも置いてある古書店も多数存在していた。だが古本屋自体が半減してしまい、そういうタイプの店ももうすっかりなくなってしまった。

繰り返しになるが高田馬場という街は学生街であり、学生のニーズがなくなった店が自然と姿を消していくことは、寂しくも必然だったのであろう。

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高田馬場ではなく早稲田駅になるが、老舗「メルシー」のラーメン 学生時代と変わらない味がする

 

取り残されたボロアパート、そして自分

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諏訪神社

私が20数年に渡って住み続けたアパートは何しろ古く、住み始めたころから十分にボロかった。だが当時はまだ貧乏学生も多かったため、同じようなアパートが周囲にいくつか存在していた。しかしそれもまた学生のニーズに合わせてのことだろう、時代が経つにつれて次々と小綺麗なマンションに建て替えられ、すっかり様相を変えてしまった。

同級生や友人が大学を卒業して高田馬場から出ていくのに、そこに住み続けている自分と、周囲の建物はどんどん綺麗に建て替えられていくのに、ボロいまま残っているこのアパート。その2つが重なって感じられ、自分のような人間にはこのボロアパートがふさわしいのだろう、と思うこともあった。そしてその半面、もしかしたら一生ここから出られなくなるのではないだろうか、と背筋が寒くなることもあった。

いつまでもこんなところに住んでいるから自分は大人になれないのか、もしくは自分がいつまでも大人になれないから出られなくなってしまったのか、どちらが先かを考えても答えはなかったが、それはこのアパートに限ったことではなく、高田馬場という街が自分にとってそういう場所だった。

 

高田馬場で聞こえたThe World Is Yours

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高田馬場にはヴィジュアル系バンドの聖地とされるライブハウスが存在しているのだが、残念ながら私の守備範囲ではないため足を踏み入れたことはなく、2021年末に閉店してしまったそうだ。

それはともかく、私が好むタイプの、ヒップホップやテクノといったいわゆるクラブミュージックを聴くためには新宿、渋谷、池袋、恵比寿、横浜など、どこにしても電車に乗る必要があり、それを当然のことと思っていた。

だが、今から10年ほど前、高田馬場でヒップホップのイベントを開催しているという風変わりな人たちの存在を知った。

そのころの私は、仕事やプライベート、その他諸々も含め、何もかもがうまくいかず、景気よくストレスを発散させるための金も持ち合わせていなかった。外に行くとしてもせいぜい安居酒屋で元気のいい学生たちに混ざって得体の知れない安酒を飲むくらいで、そうでもなければボロアパートで鬱々と体に悪そうな安酒を飲んでいた。

それまで毎週末のようにどこかのクラブに足を運んでいた生活とは一変し、外に出かける気力もなくなっていた。

しかし、その風変わりな人たちが開催しているイベントの告知をTwitterで見て、近所だし、歩いて行けるし、つまんなかったらすぐ帰ってこれるし、ということで久しぶりに出向いてみることにしたのであった。

そのイベントは普段はカレー屋として営業しているビルの2階で行われており、お世辞にも音がいいとは言えなかったが、久しぶりに大音量で聴くヒップホップは十分に気分を高揚させてくれた。しばらくしてその日のゲストDJが登場し、フロアの熱気が高まりだしたころ、聴き慣れたイントロが流れ出し、自然に皆が叫ぶ。

「It’s Yours!」

Nasの「The World Is Yours」だった。

今までに何度も聴いてきた曲だが、その場にいるみんなが「It’s Yours!」と叫んだその瞬間、なんだかとても特別なもののように感じられ、涙が出た。クラブに遊びに来て泣いてるなんて人に見られたら恥ずかしい!と、盛り上がる皆からは離れて、隅っこの方でグラスを傾けながら曲の続きを聴いていた。

そして「The World Is Yours」と繰り返すNasの声を聴いていたら、今はこんなどうしょうもない有り様の自分も、きっとそのうちなんとかなるだろう、と思えてきたのだった。

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自分が住んでいたボロアパートに向かう道、クラブ帰りの明け方は道の向こうから朝日が昇って来てエモかった

 

高田馬場のあの夜からMOUSOU PAGERへ

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今でも「The World Is Yours」を聴くと、あの日の光景がはっきりと思い出せる。

Nasのおかげかはわからないが、自分の人生も段々と最悪な状態からは抜け出してきた。毎週末のように遊びに行く元気も戻ってきたし、時には友達と一緒にイベントを開催した。そして思ってもみなかったことだが、MOUSOU PAGERというラップグループに加わり、ラップをするようになった。

巷のラップグループに比べるとだいぶゆっくりしたペースで活動していたが、結成から5年ほど経ってようやく2020年にアルバムをリリースすることができた。

あの晩のことがいつも頭から離れなかった、とかそういうわけではないが、自分たちがつくったアルバムの現物を手にした時には、Nasが「The World Is Yours!」と言っていたのは本当だったな、と思った。

 

ちなみに、高田馬場でイベントを開催していた風変わりな主催者は、その後MOUSOU PAGERで共に活動することになるDJ Kuma the Sureshotであり、NASの「The World Is Yours」をプレイしたDJは、日本を代表するヒップホップ・グループRHYMESTERのDJ JINさんだった。JINさんにはアルバムのタイトル曲をリミックスしていただいている。

自分にとって高田馬場は住めば住むほど思い入れの薄れる不思議な街だったが、あの晩の思い出だけは今でも色鮮やかに胸に刻まれている。

 


<showgunnのプレイリスト>

高田馬場の曲と自分の思い入れのある曲を詰め込みました

著者:showgunn

1980年生まれ。MOUSOU PAGERというグループでラップを担当しています。2020年に「BEYOND THE OLD SCIENCE」をリリースしました、各種サブスクでも聴けるのでよかったら…。あとたまにDJをしたり、毎日Twitterをしたりしています。
Twitter:@showgunn
Instagram:@showgunn


 「街と音楽」過去の記事

suumo.jp

編集:日向コイケ(Huuuu)