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妙見宮鷲頭寺(下松市)

2020年10月8日

妙見宮鷲頭寺・本堂(2)

山口県下松市中市の妙見宮鷲頭寺とは?

大内氏の氏神・妙見大菩薩の勧請元「妙見社」(現在の降松神社)の社坊だった寺院です。かつて七つもあった社坊の中でも、別当寺にあたる重要な地位を占める寺院でした。大内氏の滅亡後、妙見社も廃れ、さらに大火災にあって社も坊も失われました。若宮、中宮、上宮、そして、この鷲頭寺だけが再建されたのです。

神仏分離で、降松神社となった若宮(中宮、上宮も鷲頭山中にあり)と分かたれた鷲頭寺は、若宮と切り離され、街中に移ってそれぞれ別の道を歩んでいます。

お詫び

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妙見宮鷲頭寺・基本情報

住所 〒744-0011 下松市中市 1-10-15
山号・寺号・本尊 
宗派 真言宗御室派
※「じとうじ」とお読みします。

妙見宮鷲頭寺・歴史

『山口県寺院沿革史』にはおよそ以下のようなことが書かれています。

「『鷲頭山旧記』に曰く

北辰尊王星の降臨は、推古天皇三年九月十八日のことである。周防国鷲頭庄青柳浦の松樹に大きな星が天降り、七日七晩、光り輝いた。里人が奇怪なことと思っていると、巫人に託してつぎのように述べた。
吾は北辰也。今を去ること三年、百済の皇子来朝すべし。その擁護のために北斗が下降した云々と。そこで、国司に伝え、

これ以降、書き直し中(これ以前も見直完了してない)

妙見「宮」・鷲頭「寺」という神社と寺院が一体化したかのような名称である理由は、この寺院が「神仏混淆形態」を維持しているためという。
神仏習合によって神と仏は一体化していたが、その後「神が仏に優越するという考え方が台頭して」、このような神仏が混淆した状態の寺社はだんだんと少なくなっていった。ただし、そのような傾向にあってもなお、混淆状態をとどめていた寺社もあった。
下松の妙見社は、上宮、中宮、下宮(若宮)の三社のほか、中之坊、宮之坊、宝樹坊、宝積坊、宝蔵坊、宝泉坊、宮司坊(のち改め鷲頭寺)の七坊よりなっていた。近世に入ると鷲頭寺以外の六坊はなくなった。こうして、妙見社は社坊として鷲頭寺が若宮に隣接するという、「三社一坊」という構成になっていた。
明治の神仏分離令で、若宮は鷲頭寺と分離して降松神社となった。神仏混淆状態の時、上宮、中宮のそれぞれ本尊であった虚空蔵菩薩と妙見大菩薩とは、鷲頭寺に移され、観音堂に安置された。
神仏分離政策に反対であったご住職は降松神社分離・独立後も、妙見「宮」鷲頭寺という名称を用い、神仏混淆の形態を維持しておられるのだという。

つまりは、降松神社と妙見宮鷲頭寺とが、まったく同じ北辰降臨の縁起(由緒)を共有しているのも当然のこと。両寺社は元は一つであったからなのだ。
(積年の謎が氷解)

降松神社の由緒には琳聖太子来朝の伝説と妙見社の名称が見え、鷲頭寺の縁起にも同じく琳聖太子について記されているが、やや異なる点もある。
鷲頭寺縁起では、琳聖が聖徳太子に謁見したこと、妙見菩薩像が当寺に移されて現在に至ることが記されている。

大内氏歴代が先祖伝説を創作した際、妙見信仰、聖徳太子信仰、仏教信仰の三点セットを意図的に盛り込んだはずだが、彼らはその後の神仏分離など夢にも思わなかっただろう。
北辰降臨の妙見社をこの目で見たいと思ったら、降松神社と妙見宮鷲頭寺は一緒に回らなくてはならないということになる。

参照:『下松市史 通史編』 「神仏分離と妙見宮」
(下松市/郷土資料・文化遺産デジタルアーカイブ)
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/3520705100

『山口県寺院沿革史』には「鷲頭山旧記」を引用した寺院の由来解説がある。とても興味深く、貴重なものだが、漢文で書かれたたいへんな長文であるほか、琳聖来朝や妙見社建立、興隆寺への勧請等々、ほかのところで何度も言及したことの繰り返しとなるため、ここには敢えて紹介しない。その分、こちらの説明文には現状、かなり不足している部分がある感が否めないけれど、全体として整理したいので、少々時間をください。

妙見宮鷲頭寺・みどころ

参道入り口

妙見宮鷲頭寺・入口

庶民の生活と完全に一体化している感。

鳥居

妙見宮鷲頭寺・鳥居

寺院だけれど、鳥居がある。額には「妙見宮」の文字がはっきりと読める。

種田山頭火句碑

妙見宮鷲頭寺・種田山頭火句碑種田山頭火さんは昭和八年、この寺院に立ち寄り、溜池の亀を見て其中庵(小郡)に帰ったという。(参照:説明看板)

本堂

妙見宮鷲頭寺・本堂

仁王門

妙見宮鷲頭寺・仁王門

仁王像にわらじを奉納すると、足腰の不自由なかたに後利益があるそうで、ご覧の通り。

妙見宮鷲頭寺・仁王門に奉納されたわらじ

庚申社

妙見宮鷲頭寺・庚申社

山頭火さん句碑の溜池奥にある。境内神社の扱いなのかわからない。住所が微妙に違っている。妙見宮は中市1-10-15、庚申社は中市1ー10−8。

荒神社

妙見宮鷲頭寺・荒神社

庚申社と同じく、境内神社かどうかわからないけれどいかにも関連深そうなお社。山頭火さん句碑溜池の手前にある。妙見宮と住所が違っていて、妙見宮は中市1-10-15、荒神社は中市1ー8−10。番地からして違うので、庚申社より遠いのかと思えるけど、地図を見ればわかるように、距離的にはこちらのほうが近い。

降松神社・拝殿
降松神社(下松市河内)

大内氏の氏寺・氷上山興隆寺にある妙見社は、こちらの北辰妙見社から勧請された。つまり、大内氏の氏神の本家本元にあたる神聖なお社。かつては、鷲頭山に上宮、中宮、下宮があったが、下宮は現在、若宮として参拝しやすい現在地に鎮座されている。

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妙見宮鷲頭寺(山口県下松市)の所在地・行き方について

所在地 & MAP 

所在地 〒744-0011 下松市中市 1-10-15
庚申社 〒744-0014 下松市中市1ー10−8
荒神社 〒744-0014 下松市中市1ー8−10

アクセス

下松駅から徒歩圏。

参照文献:『下松市史 通史編』、『山口県寺院沿革史』

妙見宮鷲頭寺(山口県下松市)について:まとめ & 感想

妙見宮鷲頭寺(山口県下松市)・まとめ

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こんな方におすすめ

  • 妙見信仰に関心のある方
  • 神仏習合に関心のある方


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

新介涙イメージ画像
新介

リライト中の札を貼ったまま、いつまでもほったらかしはやめてくれないかな?

ミル涙イメージ画像
ミル

ガイドさんから色々と貴重なお話を伺って、まとめるのが大変なんです。

新介涙イメージ画像
新介

リライトの札を上げると日付が新しくなってしまうから、更新されてもいないのに、日付だけ変ってしまうよ。恥ずかしいから、きちんと書き直してから更新する事は出来ないの?

五郎通常イメージ画像
五郎

ミルにそんな高度なことは無理だよ。一時的に検索順位が下がっても問題ない。何せ、今回は学びが多かったから。ふふん。

瑠璃光寺五重塔記念撮影
五郎とミルの防芸旅日記

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力

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