【北海道誕生20年】稲葉篤紀が振り返る5試合①

チーム・協会

「1人では、ここまでやってこられなかった」

入団会見で笑顔を見せる稲葉篤紀GM 【ⒸH.N.F.】

 稲葉篤紀は現在、チーム編成の権限を持つゼネラルマネージャー(GM)として北海道日本ハムファイターズに籍を置く。2005年に東京ヤクルトスワローズからファイターズに移籍後、北海道誕生まもないチームを中心選手として牽引してきた。2006年の日本一貢献や、2012年には通算2000安打達成など、ファイターズで数々の節目を刻んできた。打席に立てば、ファンファーレに合わせてファンが飛び跳ねる「稲葉ジャンプ」が始まり、どんな場面でも全力疾走を怠らない姿はチームリーダーとしてあるべき姿を体現していた。
 稲葉は、目尻のしわを一層深くし、穏やかにほほ笑んだ。「1人では、ここまでやってこられなかったです。今はGMとして舞台裏のことが分かるようになり、日程調整など事前準備に動いてくださる“裏の方たち”は、こんなに大変な思いをしているんだなと、すごく感じています。現役時代、もっと感謝するべきだったと思いますよ。今の選手も分かっていると思いますが、皆さんに支えられているということは当たり前ではないんだなと」。ゆったりとした口調で印象的なシーンを振り返り始めた。

「新庄さんのために」2006年 日本一を懸けたプレーオフ

 格別な思いが一丸となり、集大成となった。2006年、福岡ソフトバンクホークスとのプレーオフ第2ステージは「本当に打てなかった」と不振にあえいだ。第1戦、主軸は不調ながらチームは勝利。第2戦で、あの伝説のシーンが生まれる。0-0で迎えた9回裏、稲葉の打球がサヨナラ打となり日本シリーズ進出を決めた。マウンドで崩れ落ちる相手エース斉藤和巳の姿が、激戦を物語っていた。
 「調子の波がある中、ちょうどプレーオフの時は調子が良くないときで。日本シリーズでは一気に良くなって、本当にツいていたなと。運です。僕の中では、あのクライマックスでの最後のヒットが日本シリーズへの流れになっていった。日本シリーズは大事なところで打てばよかったので、あんまり成績は気にしていなかったです」
 現役引退を表明していた新庄剛志のため、思いは1つだった。「日本シリーズで僕の一番の役目は、1番いい形で新庄さんにまわすこと」。勝てば日本一の第5戦、打順は「5番右翼 稲葉」、そして「6番中堅 SHINJO」だった。「新庄さんの花道をつくってあげたい」。チームの全員の悲願が、日本一という最高の形となって完結した。
 「ファイターズが移転して3年目、北海道のファンの方たちが本当に一気に盛り上がりをみせていたときでした。稲葉ジャンプも2006年から始まり、徐々に浸透し始めていたとき。札幌ドームが満員になって、すごい一体感がありました。やっぱり勝たないといけないんだなというのは、あの日本シリーズで感じました」(続く)

日本一を成し遂げた北海道日本ハムファイターズ 【ⒸH.N.F.】

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