大引啓次がプロ野球選手として体験したお金のリアル 年俸の理想的な上がり方と下がり方

  • 元永知宏●文 text by Motonaga Tomohiro

「プロ野球で1億円稼いだ男のお金の話」 大引啓次(前編)

 昭和のプロ野球では、一流の基準として「1000万円プレーヤー」という言葉があった。現在、一軍選手の最低年俸が1600万円に設定されていることを考えれば、そのハードルは5000万円、いや、1億円くらいまで上がっているかもしれない。NPBでランキング50位に入るためには、1億5000万円を稼がなければいけない。

 3年〜5年活躍すれば年俸が1億円の大台に乗る、そんな選手も珍しくなくなった。しかし、プロ野球選手には寿命がある。どんなにすばらしいスターも衰えとは無縁ではない。もう戦力にならないと判断された時は、すぐに働き場所を奪われる。そうなれば年俸はゼロ、無収入になってしまうのだ。「天国と地獄」を経験した元プロ野球選手に登場してもらい、お金にまつわるさまざまな話を聞いていこう。

 今回ご登場いただいたのは、オリックス、日本ハム、ヤクルトで13年間プレーした大引啓次氏。現役時代は好守・巧打のプレーヤーとしてオールスターにも3度出場。球界を代表する選手として活躍した大引氏に、プロ野球の世界について語ってもらった。

2006年に大学・社会人ドラフト3位でオリックスに入団した大引啓次氏 photo by Sankei Visual2006年に大学・社会人ドラフト3位でオリックスに入団した大引啓次氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【理想的な年俸の上がり方】

── 大引さんは2002年春、浪速高校(大阪)2年生の時にセンバツ出場。その後、法政大学に進学してすぐにレギュラーポジションをつかみ、4年間で通算121安打(歴代4位)を放ちました(打率.331)。首位打者を2回獲得し、ベストナインは5度受賞しています。2006年ドラフト会議でオリックス・バファローズから3巡目指名を受けて入団。契約金は8000万円、年俸は1200万円でした。契約金を実家の神須牟地(かみすむぢ)神社に寄進したことが話題になりましたね。

大引 そういう報道になりましたけど、それまで育ててもらった感謝の意味で、契約金を親に預けたということですね。移動のためのクルマは購入しましたが、それ以外はすべて任せました。神社への寄進は親がやってくれたんだと思います。通帳に何千万円という数字が並んでいるのを見た時にはひっくり返るかと思いました。契約金の数字を見て震えた覚えがあります。ここから翌年の税金を払うことになるのは知っていましたし、いわば退職金代わりのものですから、簡単に使えるものではありません。

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