10代の頃に歌手としてデビューし、現在はもう1つの夢であったデザインの仕事に邁進している篠原ともえさん。2020年には夫でアートディレクターの池澤樹さんと、クリエイティブスタジオ「STUDEO(ストゥディオ)」を設立し、デザイナーとして本格始動しています。そんな篠原さんに、自分らしく夢をかなえる秘訣と幸せな時間について伺いました。

洋服は自己表現の1つ
つくることに強い興味とこだわりがあった

 篠原さんが歌手としてデビューしたのは16歳のとき。翌年には、音楽バラエティ番組のレギュラーメンバーとなり、自身でスタイリングしたポップでカラフルな“シノラーファッション”で同年代の心を鷲掴みにしました。

 「洋服は自己表現の1つだと思っているので、ステージやメディアでの衣装は、自分のデザイン画をもとに製作してもらっていました。ものをつくることに強い興味とこだわりがあったんです」と篠原さん。

 20代になると舞台のお仕事が中心になり、出演と同時に、演出家や舞台監督にプレゼンをして衣装の提案をするようになったそうです。年齢を重ねていく中で、表現の仕方や届け方が変化したのを感じたといいます。

 「ステージやメディアでの表現もしたいけれど、ものづくりもしたい──、というのが10代の頃からありました。台本にイメージをスケッチして、いつか舞台の衣装づくりをできたらって思っていました。日常とは異なる舞台の世界観に合わせた衣装づくりの提案は、好きだからこそ培ってきたもの。エンタテインメントとは夢を届ける仕事で、それは舞台に立つ立場でも、ものをつくる立場でも、届けられるものだと思っています」

 篠原さんのものづくりへの気持ちがより一層強くなったのは、おばあさまが手縫いで仕立てた着物をもらったことがきっかけでした。和裁のお針子さんだったおばあさまの着物は、針の運びが細かく、見事なつくり。一目見て、背中を押されたと篠原さんはいいます。

 「3回に1回、丁寧に返し縫いがしてあって。それに触れたとき、祖母の呼吸を感じるくらい、いろいろな思い出がよみがえってきました。そのDNAが私の中にあるのなら、ものづくりをやる人生を選んでもいいはずだ、やっぱりつくりたい! とスイッチが入りました。私も時代に残すものをつくりたいと思ったんです」

求められている以上のことをすれば
またチャンスは与えられる

 「ものづくりへのスイッチが入った篠原さん。その仕事ぶりは多くの芸能人からも信頼されています。松任谷由実さんのコンサート衣装や、吉田拓郎さんのアルバムジャケットのアートディレクションなども手掛けているのが、その証しだといえるでしょう。

 「松任谷由実さんの衣装づくりは、祖母の着物のことがあった後にいただいた大きなチャンスでした。一つひとつ心を込めて懸命に取り組んでいると、新しいお仕事のチャンスがいただける。そのことに感謝して乗り越えていくことで、また新しいチャンスに恵まれる。だから無我夢中で仕事に向き合い、求められている以上のことを提案できるよう心がけています」

 22年に日本タンナーズ協会と協働制作し、篠原さんがデザイン・ディレクションを手掛けた革の端切れを組み合わせ制作された着物作品「THE LEATHER SCRAP KIMONO」は第101回ニューヨークADC賞のシルバーキューブ・ブロンズキューブを受賞していますが、これも当初は日本の皮革産業や文化をPRするという出演メインの依頼だったそうですが、職人さんにもっと注目が集まるような作品をつくり、革の魅力を伝えたほうがよいのではないかと提案。篠原さんのこの行動が功を奏し、世界的なニューヨークADC賞の受賞につながりました。

 求められている以上のことを提案するというのは、並大抵なことではないように思います。篠原さんが、仕事を続ける中で大切にしていることを伺いました。

 「学ぶことです。10代で歌手や舞台の仕事の際には、ボイストレーニングや演技の指導を受けました。40代を前にデザイン会社を立ち上げることを決意したときは、母校へ服飾のスキルやデザインの学び直しに通いましたし、学んで吸収することで、受けたオファーを乗り越えられると信じています。設立した会社の名前も、Studyの語源でラテン語の学ぶ、努力を意味する『STUDEO』。最近は版画や蜜蝋画などの習い事に積極的に参加し、洋服のデザインに取り入れたりしています」

 また、「絵を描いたり、布を触ったりといった没頭できる時間は、幸せでかけがえのないもの」と篠原さんは語ります。「布にどんなものになりたいかと問いかけると、答えてくれるような感覚があって。そうしたひとときは、私にとってすごく幸せでかけがえのない時間です」

 現在44歳の篠原さん。健康で美しくあるために心掛けていることとして、「多くの学びが気持ちを高めてくれます。今、習っているのは他にもカリグラフィーや書道、3Dレッスンは社員のみんなで、それから海外の仕事に向けて、英会話も。中身を磨けば自ずと外見も磨かれると思うので、さまざまな習い事によって表現力やアウトプットスキルが高まれば素敵になるんじゃないかな」と語ります。

世代を超えて遺される腕時計は
心に刻まれる大切な宝物

 「祖母が亡くなるとき、着物のほかに遺してくれたものが腕時計でした。私にとっての宝物で、すごく大事な負けられない現場にはその腕時計をお守りとして着けていきます」

 時計が大好きだという篠原さんは、プライベートでグランドセイコーの機械式時計の聖地である「グランドセイコースタジオ 雫石」に足を運んだことも。匠の技を間近で見られる貴重な体験を通じて、ものづくりの丁寧さやひたむきな姿勢に心が動いたといいます。

 今回、副賞として贈られた腕時計を見ながら篠原さんは、「心の中に刻まれてずっと遺るものをつくり続けるのが、人生の目標であり憧れでもあります。それを形にしているものの1つが、腕時計だなって思うんです。腕時計は着物と同じように世代を超えて遺されるもの。この腕時計も、ずっと愛せるアイテムとして私の人生に刻まれる──、というのがすごくうれしい」とほほ笑みます。

 篠原さんのデザイナー人生が軌道に乗ったのはこの3年ほどのこと。こうして成果として表れているのは、学び続けてきた努力があったからこそだといえるでしょう。今は20年に立ち上げたデザイン会社で、チーム一丸となってコンセプト設計から取り組み、活躍の幅がどんどん広がっているそうです。そんな常に忙しい篠原さんですが、リフレッシュ法などはあるのでしょうか。

 「疲れたときは太陽の光を浴び、自然を愛でる時間を持つようにしています。風はどんな色だろうかと想像したり、夕暮れの美しさ、緑のきらめき、四季の移ろいだったりというものは、すぐには作品にならなくても、日本人としての私のインスピレーションソースになっています」

 10代で表舞台に立つ夢をかなえ、40代でデザイナーというもう1つの夢をかなえた篠原さん。なりたい自分になるための秘訣は?

 「好きなことを信じて自分の人生と丁寧に向き合ってきた結果、今の私があると感じています。同じ働く女性のみなさんも自分の人生に向き合って挑戦し、夢をかなえてほしいですね」

Profile

デザイナー。1979年3月29日生まれ、東京都出身。95年に歌手デビュー。自身でスタイリングしたポップでカラフルなファッションで“シノラーブーム”を巻き起こした。20年、夫でアートディレクターの池澤樹さんと、クリエイティブスタジオ「STUDEO」を設立。22年にはデザイン・ディレクションを手掛けた「THE LEATHER SCRAP KIMONO」で、第101回ニューヨークADC賞のシルバーキューブ・ブロンズキューブを受賞。

Grand Seiko Elegance Collection
STGK007

「第9回 Women of Excellence Awards」の副賞として篠原ともえさんに贈られたグランドセイコーの腕時計は、本格志向な女性にぴったりの小型の自動巻メカニカルウオッチ。稜線が美しいステンレススチールモデルで、シャンパンカラーのダイヤルには麻の織りをイメージした繊細なデザインが施されています。秒針は熟練の職人が加工を施した高級感のあるブルーで、裏ぶたは美しいメカニカルムーブメントを堪能できるサファイアガラスのシースルー。11個のダイヤモンドのアワーマークが輝きを放ちます。