「あんたの人生はあんたの人生、私の人生は私の人生」

富山の実家で一人暮らしをしていた柴田さんの母・須美子さんは、元教師で豪快な人柄。ところが88歳のとき腎盂炎で入院し、要介護4と認定されます。介護なしでは日常生活を送ることができない重度の状態。一時は要介護1まで回復して自宅に戻ったものの、現在は要介護3で介護施設と入院を繰り返しているといいます。ケアマネジャーやヘルパー、親戚らの力を借りながらの柴田さんの遠距離介護とはどのようなものなのでしょうか。

——遠距離介護のきっかけを教えていただけますか。

父(2016年死去)が亡くなったとき、「東京で一緒に暮らさない?」と聞いたら、母は「絶対に嫌だ」と断りました。「ここには友達も親戚もいる。あんたの人生はあんたの人生、私の人生は私の人生。私はここにいます」って。

私も東京にいないとできない仕事だし、東京と富山を行ったり来たりしながらできる仕事ではない。でも母が東京に来ても友達はいないし、私は舞台で1カ月も帰ってこないこともある。挨拶するような隣近所もいないところに連れていかれたら、自分でも嫌だなと思いました。

父のときは母がケアマネさんと相談して介護サービスを受けていましたが、母も同じケアマネさんが担当で、私の家の事情もわかってくれているのでスムーズにいった感じです。介護費用も母の教師時代の蓄えと年金で賄えています。

リハビリの甲斐もあり、母と一緒に自宅でおせちと日本酒を楽しめた年末年始(著書より)

「遠距離介護も立派な介護です」の言葉が力に

——もともと遠距離介護という言葉はご存じだったのでしょうか。

遠距離介護という言葉も知らなかったし、私が直接介護をしているわけではないので、これが介護といえるのかもわかりませんでした。そんなとき、本でも対談している川内潤さん(NPO法人となりのかいご代表理事)と介護問題を扱ったテレビ番組でご一緒し、「私は離れてやっています」ってお話ししたら「それも立派な介護なんですよ」って言われて。

その後、介護の雑誌でも川内さんと対談し、「私たち介護の専門職は、最初に『自分の親の介護はするな』と習います」と聞き、「やっぱりプロに頼って正解だったんだな」って気持ちが楽になりました。

遠距離介護という言葉は実は最近できた言葉ではなく、ずっと前からあるそうです。でもなかなか広まっていないそう。川内さんの話を聞いて、介護にはいろいろな形があっていいと思えたら、もっとこうしようああしようと思えました。母の口癖ですが、「人は人、自分は自分、関係ない」です。

ケアマネさんと母の間で調整、ただし出しゃばらず

——遠距離介護にあたって、気をつけたことはありますか。

できるだけケアマネさんと話し、ヘルパーさんに様子を聞きました。話す機会は自分から作らないとできません。当初は舞台で忙しくて何がどうなっているかわからないこともありました。でも出しゃばっていると思われたら嫌だし、聞いたら「何かご不満でもあるんですか」と言われたことも。「いやそうじゃないんです。うちの母がわがままいっていたら言ってください」「何か困ったことや問題はないですか」と聞いてやっと言ってくださることもあります。出しゃばらず、蚊帳の外にならないさじ加減を心がけています。

ケアマネさんから母があまりご飯を食べられないと聞いたときは、「飴はどうでしょうか」と相談して送りました。コロッとした飴は誤って飲む込むこともあるので、棒の付いたペロペロキャンディーです。糖分がとれるし、口からものを食べるのはすごく大事だと思うので。母は「子どもじゃあるまいし」と言ってましたが(笑)。

なかなか富山に会いにいけない中、母とはリモートで頻繁にコミュニケーションしている(著書より)

いつもニコニコ、人生のしまい方も教えてくれている

——お母さんに接するときに気をつけていることはありますか。

会うときはすごくニコニコするようにしています。タブレットでは頻繁に顔を合わせていますが、満面の笑みで話しかけます。恥ずかしいですが、自分の子どもがニコニコしていたらどんな親でもうれしいだろうなと思って。「あんた元気そうだねえ」「顔色いいねえ」と笑顔で話すと母も元気になるし、周囲の人に対してもニコニコし始めるんですよ。

あとは、「あんたが育ててくれて本当にありがたい」とか「大好きだよ」とか言葉ではっきり言うようにしています。年を取ると「迷惑かけていつまで生きるのか」と考えがちなので、「お母さんが生きとったらみんな幸せなんだよ」って伝えています。

——お母さんの介護を通して自分自身に変化はありましたか。

改めて親は本当にありがたいって思いました。この世に生んでくれて、育ててくれて、仕事に対する取り組み方も自分の背中で教えてくれた。死ぬときも最後までこういう風に死になさいって教えてくれているんだなと思います。

母は看護師さんや介護士さんにいつもニコニコ上機嫌でしゃべっています。自分もそうならないといけないし、死ぬ間際まで希望を持って生きたいと考えるようになりました。

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自分一人で抱え込まないで、情報交換が大事

——親の介護のため介護離職する人もいます。介護に悩む人に伝えたいことありますか。

一人で抱え込まないことです。情報交換が大事。情報交換すれば、「うちにも使えないかな」「どうやったらいいの」とお互いにより良い方向を選べると思います。

ケアマネさんから「お母さんが着替えをしない」と言われたことがありました。「どうして着替えないの」と聞いても母は何も言わず。友達に相談すると、「お母さんの洗濯は誰がしているの?」って聞かれ、親しくしている従甥(いとこおい)のお嫁さんがしていることを話しました。すると友達は「そのお嫁さんが私の洗濯の仕方が気にくわないから洗濯物を出してくれないんじゃないかと心配してたよって言ってみな」って言ってくれて。母にそう言うと「そんなんじゃないよ。あの子は男の子2人育てて大変なのに私の洗濯物までしたらもっと大変だ。迷惑かけたらあかんと思った」と打ち明けました。友達も同じように母親を介護しているからわかったんだと思います。

母はデイサービスのことを「学校」と呼んで、リハビリやぼけ防止のためと納得して行っていました。デイサービスや施設に行くのは最終手段で、家族で面倒みてどうしようもなくなったら行くところというような認識も変えていかないといけないと思います。

在宅介護に関心あり、できるなら自宅で死にたい

——今後、自分が介護を受けることもあると思います。人生のしまい方をどう考えていますか。

うちは子どもがいないので、最後をどういう風にしたいか、ちゃんと伝えておかなくてはいけません。確実に老老介護になるので、夫とどちらかが介護状態や認知症になったときはどうするか、きちんと話し合っておこうと思っています。

できるなら自宅で死にたいので、在宅介護には関心があります。24時間態勢で看護師や医師がきてくれる訪問診療があったらいいなと思うので、本で対談した専門家から24時間対応の地域密着型サービスが増えていると聞けたのはうれしかったですね。

母はお茶や謡など趣味が多く、生きがいになっていました。母が前向きにリハビリに取り組めるよう始めた「ニンジン作戦」では、自宅に戻って大好きな日本酒を飲んだり、お茶や謡を子どもたちに教えたりすることを目標にしました。私のニンジンは日本酒には違いないけど、これといった趣味がないので、何か趣味を見つけないと。

相続でもめないよう、遺言書を考えています

——柴田さんは一人っ子ですが、富山の実家をどうするか考えていますか。

すでに母がいろいろ考えていて、「私がおらんようになったら売るしかなかろう」と。私のものは私の家に移し、母の大事なものも私の家や保管できる場所に移しているところです。母はまた一人暮らしをしたいと頑張っているけれど、自分でももう無理かなと思うときもあるようです。母には「家に帰れるならまた全部戻して、もっと住みよくするからね」って言っています。

——ご自身の財産をどうするか考えていらっしゃいますか。

認知症になったときのために成年後見人を立てようと思っています。また、相続でもめないよう、専門家に相談して、遺言書を作成するつもりです。遺産の処理は子どもがいないので、親しい親戚にお願いするつもりです。ラジオで人生相談をやっていますが、もめたり兄弟仲が悪くなったりするのはだいたい遺産相続なんですよ。私は絶対そうならないようにしたいので、元気なうちに準備しておこうと思っています。

柴田理恵さんプロフィール

しばた・りえ/女優。1959年、富山県生まれ。1984年に劇団「ワハハ本舗」を旗揚げ。舞台やドラマ、映画など幅広い作品に出演する一方、バラエティー番組でも人気を集めている。著書に「柴田理恵のきもの好日」(平凡社)、「台風かあちゃん―いつまでもあると思うな親とカネ」(潮出版社)、絵本「おかあさんありがとう」(ニコモ)がある。

「遠距離介護の幸せなカタチ――要介護の母を持つ私が専門家とたどり着いたみんなが笑顔になる方法」(祥伝社)
要介護の母の遠距離介護を実践中の柴田理恵さんが3人の専門家に聞いた、これから介護に直面する人に役立つ入門書。柴田さんの介護体験のほか、「実家での遠距離介護の始め方」「在宅介護・在宅医療のポイント」「介護費用・使える介護保険」について専門家3人に質問した内容が収められています。

(記事は2023年12月1日時点の情報に基づいています)