『関羽伝1 ~関羽という漢(おとこ)~』
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【関羽の個人データ】

生没年・・・?~219年 (劉備より1歳下)
出身地・・・河東郡解県(正史では)、または河東郡解良県(演義では)=ともに現在の山西省運城市塩湖区解州鎮とされる。
字(あざな)・・・「雲長・長正
家系・・・不明
父親・・・不明
妻・・・・不明
子供・・・関平(養子)、関興
肩書・・・前将軍、漢寿亭侯
経歴・・・武術師範をしながら各地を流浪。

【関羽という男】

《関羽の体躯》

関羽の体躯と外見については、正史では諸葛亮が賛美した“頬髯”の描写以外は確認できない。
関羽の体躯に関しての資料は『三国志演義』によるしかない。
『三国志演義』には、

「身長9尺、顎ヒゲの長さ2尺、熟したナツメのような赤い顔、紅をさしたような赤い唇、鳳凰の眼に蚕のような眉。姿かたちは堂々とし、凛々たる威厳に満ち溢れている」

とある。
(『三国志演義』の成立は明の時代)

明代の規定では、1尺=約31.1㎝。
9尺となると約2m80㎝となる。
いくらなんでもこれは現実的ではない。
なんでも大げさにいう中国人の癖であろう。

後漢時代の1尺=約23㎝で考えると、
9尺=約207㎝となる。
(これでも少し大げさではないか?と思う)
顎ヒゲは、2尺=約46㎝となる。

後漢時代の尺で考える方が現実的であろう。
それでも、大男と言える。

関羽が武器とした青龍偃月刀(冷艶鋸)は、重さ約50㎏と言われているが、これくらいの大男であれば自在に操ることが可能だと思える。
(だが、後漢時代に青龍偃月刀(冷艶鋸)は存在していないことが後世の研究で判明している)

《関羽の人相について》

「鳳凰の眼」と評された関羽は、中国人相学の観点からすれば、聡明なること抜群の相となる。
「蚕のような眉」は、文才が非常に高い相であると言われている。

また、講談や演劇の世界では、色によって性格を表す工夫が施されてきており、赤色・紅色「至誠」「正義」を表わすものとされる。
「熟したナツメのような赤い顔」「紅をさしたような赤い唇」とは、まさに「義」「正義」をイメージさせる色なのだ。

《関羽の性格》

関羽の性格はいうまでもなく「義」を重んじること、人一倍の律義さを発揮することである。
だが、一方では、劉備以外の目上の者への不遜な態度をあわせ持っていたことも事実である。
張飛と比較してみると、張飛は目上の者にはあまり逆らわない従順さを持っていたが、目下の者をこき使い、き
つく当たる性格をしていた。
関羽はその逆で、目上の者に強く出て、目下の者を大事にした。

【関羽の人物評】

《正史「三国志」の評価》

〈正史『蜀書・関羽伝』の関羽の評価〉

正史『蜀書・関羽伝』の著書陳寿は関羽をこう評している。

「髭の絶倫・逸ぐん」

意味は、「ひげ(関羽)は、人並みはずれ、群を抜く力をもつ」ということ。

孔明などには少し辛口だった陳寿が関羽のことはべた褒めしている。
というよりも、関羽を悪く言うほうが珍しいといえる。
だが、この『三国志を語り尽くす』では、関羽の欠点にも言及する。

〈正史『張飛伝』の関羽〉

正史『張飛伝』には次のように関羽を評している。

「関羽は兵卒を慈しむ一方で、社会的身分の高い士大夫に対しては非常に傲慢だった」と。

他の項で詳しく述べるが、関羽は自分を慕う者にはいたわりをかけるが、実力が伴っていない身分の高い人物などを軽蔑する傾向があった。
この評は、関羽の長所と短所と簡潔に示したものである。

〈正史『三国志』の著者陳寿の関羽評〉

正史『三国志』の著者陳寿は関羽と張飛の兄弟を次のように評した。

「羽は剛にして自らほこり、飛は暴にして恩なし。短を以って敗を取るは、理数の常なり」

意味は、「関羽は剛勇にすぎてうぬぼれが強く、張飛は粗暴で思いやりが欠けていた。こうした短所によって自滅したのは、当然の成り行きである」

歴史家の意図は、時代の中に現れる英雄を語ることで歴史の教訓を取り出すことである。
陳寿が言いたかったことは、豪傑における失敗の原理なのだ。

「己惚れ」「傲慢」は、人間の欲望でも根深いものである。
なぜなら、実力をその背景に持ち、出世欲、名誉欲がその源泉だからだ。
成功したことのない者、実力がない者、負けっ放しの者には己惚れる余地がない。
傲慢になりたくてもなれる余地がない。
つまり、実力があったり、腕っぷしが強かったりする人間の落し穴を陳寿は関羽と張飛を引き合いに出して語ったのだ。

〈曹操の関羽評〉

曹操は関羽をこう評している。

「君に仕えてその根本を忘れないのは、天下の義士である」

と絶賛した。

これは関羽が劉備の妻子とともに人質となったときに、妻子を守り抜き、劉備への忠誠を守り通したときのことを評したものである。
どんなに厚遇してもなお、頑なに劉備への忠誠心を貫いた関羽のような武将こそ曹操は配下に置きたいと心底願ったことだろう。

関羽伝2に続く。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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