県民寄り添う報道を 横浜で沖縄2紙編集局長が討議


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復帰50年に関する報道や紙面について報告する松元剛琉球新報編集局長(右)と与那嶺一枝沖縄タイムス編集局長(中央)、司会の河原仁志さん=11日、横浜市

 【神奈川】「地元紙が伝える沖縄 これまでと今、そしてこれから」と題した座談会が11日、横浜市にあるニュースパーク(新聞博物館)で行われた。同館で開催中の企画展「沖縄復帰50年と1972」の一環。琉球新報の松元剛編集局長と、沖縄タイムスの与那嶺一枝編集局長が地元紙の役割などについて討議した。

 沖縄の2紙が偏向しているとの指摘もあるとの問いに松元さんは「辺野古の新基地で示された民意や、米軍基地の偏在、過密ぶりの異様性からしても基地被害を受ける多くの人に寄り添う報道を続けるスタンスに変わりはない」と話した。

 それぞれ相手紙についてどう考えているかを問われ、与那嶺さんは「論調がなぜ似ているのかとよく言われるが、過去に保守系の新聞もできたがつぶれていった。残った2紙が県内の問題にコミットし取材し切磋琢磨(せっさたくま)している存在」と語った。

 司会を務めた共同通信の元編集局長の河原仁志さんは、1971年5月に北米一課が作成した外交文書を提示。沖縄返還を前に外務省などが「琉球政府を問題によっては解決の場から露骨に外す記載がある。構造的に沖縄の民意を外す構図がいたるところにみられ、それが今に続き、県民はそれを肌で感じてきたのではないか」と話した。 (斎藤学)