福井県越前市に、有名な「猫寺」がある。曹洞宗の寺院、萬象山御誕生寺(ごたんじょうじ)。最寄り駅はJR北陸本線の武生(たけふ)駅だが、とても歩ける距離ではない。バス便も少なく、公共交通機関を利用して行くにはかなり不便な場所にある。それでも、たくさんの猫好きが境内にいる猫を見に訪れ、猫たちの譲渡会も行われているという。コロナ禍で中止していた譲渡会を久しぶりに開催するというので、見学に行ってみた。すると、そこには心和む風景があった。

たくさんのお地蔵さんと治療中の猫がお出迎え

 北陸自動車道の武生ICで降りて一路、御誕生寺へ。目印となる寺標と掲示板を見つけ、参道へ入ってから100mほど車を進めると、境内の広い駐車場に出た。すでに20台近くの車がとまっている。午後から開催される譲渡会のためのテントが設営されており、猫の肉球をかたどったカステラやラーメンのキッチンカーが販売の準備をしているところだった。

 大小さまざまなお地蔵さんが駐車場の周りをずらりと囲み、墓地も目と鼻の先に広がっているのに、お寺の境内らしからぬ明るく、開けた雰囲気。猫を探して見回すと、低木の陰で「エリザベスカラー」を着けた白い猫がくつろいでいた。

キッチンカーのテントが並ぶ境内(上)。散歩しているのは、御誕生寺で飼っているゴールデンレトリバーのアンディ。今回出店していたのは、身体障がい者の就労支援施設が母体の店だという。御誕生寺では「いろいろな人が活躍できる場所を提供することで、社会貢献に携わることができたら」と考えている。境内にはエリザベスカラーを着けた猫も(下)(写真:中島有里子)
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キッチンカーのテントが並ぶ境内(上)。散歩しているのは、御誕生寺で飼っているゴールデンレトリバーのアンディ。今回出店していたのは、身体障がい者の就労支援施設が母体の店だという。御誕生寺では「いろいろな人が活躍できる場所を提供することで、社会貢献に携わることができたら」と考えている。境内にはエリザベスカラーを着けた猫も(下)(写真:中島有里子)
キッチンカーのテントが並ぶ境内(上)。散歩しているのは、御誕生寺で飼っているゴールデンレトリバーのアンディ。今回出店していたのは、身体障がい者の就労支援施設が母体の店だという。御誕生寺では「いろいろな人が活躍できる場所を提供することで、社会貢献に携わることができたら」と考えている。境内にはエリザベスカラーを着けた猫も(下)(写真:中島有里子)
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 エリザベスカラーとは、手術やけがによる傷口を動物がなめないように首に装着するラッパ形のプラスチック製保護具で、呼称は英国・エリザベス朝時代の衣服の襟の形に由来する。エリザベスカラーを着けているということは、獣医師の治療を受けている証拠。実際、その白猫の足にはテーピングが巻かれていた。ただ、ほかに猫の姿は見当たらない。そもそも御誕生寺がなぜ猫寺として注目されるようになったのか、猪苗代昭順(いなわしろ・しょうじゅん)住職にお話を伺った。

御誕生寺とはどんなお寺か

 まず、御誕生寺の由縁を説明しておこう。御誕生寺は曹洞宗の寺院である。曹洞宗には大本山が二つある。福井県永平寺町の永平寺と横浜市鶴見区にある總持寺(そうじじ)だ。鶴見の總持寺はかつて石川県輪島市にあり、この寺を開いたのが、越前武生で生まれた瑩山紹瑾(けいざん・じょうきん)禅師だった。大本山總持寺は鶴見に移転したが、輪島の總持寺は「總持寺祖院」として現在も地域の信仰を集め、観光名所として多くの参拝客が訪れている。

御誕生寺本堂(上)の前には2019年10月に完成した全高7mの大仏が鎮座している。石仏としては北陸最大級の大きさである。さらに珍しいのは大仏の膝の上でくつろぎ、腕に甘える2匹の猫が一緒に彫られていることだ(写真:中島有里子)
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御誕生寺本堂(上)の前には2019年10月に完成した全高7mの大仏が鎮座している。石仏としては北陸最大級の大きさである。さらに珍しいのは大仏の膝の上でくつろぎ、腕に甘える2匹の猫が一緒に彫られていることだ(写真:中島有里子)
御誕生寺本堂(上)の前には2019年10月に完成した全高7mの大仏が鎮座している。石仏としては北陸最大級の大きさである。さらに珍しいのは大仏の膝の上でくつろぎ、腕に甘える2匹の猫が一緒に彫られていることだ(写真:中島有里子)
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 越前の曹洞宗僧侶や檀信徒には昔から、大本山を開いた瑩山禅師の生誕地に寺院を建立したいという願いがあったという。それが1999年、御誕生寺先代の住職、板橋興宗(いたばし・こうしゅう)禅師が大本山總持寺の貫首に就任し、地元の篤志家が御誕生寺の建立を勧めたことで実現に向けて動きだした。そして2009年6月、落慶法要と開山忌法要を無事に挙行し、翌7月には専門僧堂の認可も受けた。以降、常時10人くらいの修行僧が、ここで修行の日々を送っている。

お話を伺った御誕生寺住職の猪苗代昭順さん。そばにいるのはゴールデンレトリバーのアンディ、ただいま6歳。関西盲導犬協会で訓練を受けていたのだが、音に敏感過ぎたため盲導犬としては不適正ということで、キャリアチェンジ犬として縁あって御誕生寺へ。住職にも修行僧にもかわいがられている(写真:中島有里子)
お話を伺った御誕生寺住職の猪苗代昭順さん。そばにいるのはゴールデンレトリバーのアンディ、ただいま6歳。関西盲導犬協会で訓練を受けていたのだが、音に敏感過ぎたため盲導犬としては不適正ということで、キャリアチェンジ犬として縁あって御誕生寺へ。住職にも修行僧にもかわいがられている(写真:中島有里子)
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 猪苗代住職が副住職として御誕生寺に赴任したのは10年前。宮城県の実家は、父親の代で4代続く開業医だった。住職自身も当然医者になることを期待されて育ったが、僧侶の道へ。

 在家(お寺ではないではない家)の出身で、遠回りをしてたどり着いた修行の道は険しいものだったに違いない。そんな中、あるご縁から師匠となって目をかけてくれたのが、同じ宮城県出身の先代・板橋禅師だった。

 御誕生寺の建立と専門僧堂の運営に尽力した板橋禅師は2020年7月に93歳で亡くなり、今年2022年に3回忌を迎えた。猪苗代住職は高齢だった板橋禅師に代わって、猫の世話の指示やSNSなどの発信を行い、「猫寺」として御誕生寺の注目度を高めることに尽力してきた。

 新型コロナウイルス感染症が拡大する前は、年間4万人ほどの参拝客が訪れた。市内・県内のみならず石川、富山、滋賀、京都と他府県ナンバーの車が駐車場に並び、観光バスは年間700台から1,000台が訪れていたという。

10年前には境内に80匹の猫がうろうろ

 猪苗代住職が赴任してきた当時、境内には猫が80匹くらいいたという。先代が捨てられた猫たちにごはんをあげているうちに増えていったのだった。

 猪苗代住職は「新しい家族と縁を結んであげるのも役目の一つではないか」と思い、SNSを駆使して、寺にいる猫たちの状況や思いを発信しているうちに、読み手に親しみを感じてもらえるようになった。そんな活動を3年、5年としていたら、お寺が懸け橋になってご縁を結ぶことができた猫が100匹、200匹、300匹と増えていった。

 次第に若い人たちが、「縁結びに来た」と言って訪ねてくるようになった。動物愛護センターに足を運ぶより、「お寺の猫をもらったほうが、招き猫になりそうだ」などと言ってくれる人も増えてきたことを知り、動物愛護センターに一時的に保護されている猫や、保護団体や個人がボランティア活動の一環で預かっている猫の譲渡会を御誕生寺で行うことにした。

 「1匹でも多く新しい家族とご縁が結べるなら、うちで積極的に譲渡会を開催しましょう、ということで始めたのが5、6年前ですかね」

 猫の繁殖期は1年にたいてい2回あり、出産シーズンは春と秋。春に生まれた猫は6月頃の譲渡会で、夏に生まれた猫は秋にご縁を結んであげるようにしている。秋のお彼岸の1週間は動物愛護週間でもあるため、例年、お彼岸の御中日前後に譲渡会を開催する。久しぶりに開催されたこの日の譲渡会には、30人近くの参加者が集った。

この日行われていた譲渡会を主催する一般社団法人ふくい動物愛護管理支援センター協会事務局長の森中和人(もりなか・よりと)さん(写真:中島有里子)
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この日行われていた譲渡会を主催する一般社団法人ふくい動物愛護管理支援センター協会事務局長の森中和人(もりなか・よりと)さん(写真:中島有里子)
この日行われていた譲渡会を主催する一般社団法人ふくい動物愛護管理支援センター協会事務局長の森中和人(もりなか・よりと)さん(写真:中島有里子)
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 譲渡会は、一般社団法人ふくい動物愛護管理支援センター協会や猫の保護活動をしているボランティア団体が主体となって実施されている。同協会事務局長の森中和人さんによると、譲渡会では必ず、譲渡希望者に向けた猫の飼い方講習会やパネル展示など啓発活動をセットで行うという。御誕生寺以外でもイベントがあれば出かけていき、チラシの配布や啓発セミナーを行っている。

 そうした地道な活動が奏功し、福井県では昨年1年間で1,000匹を譲渡した。その中には御誕生寺で縁を結んだ猫も数多くいる。しかし、この場で譲渡が成立したとしても、その保護猫の数は深刻だ。だが、これは福井県に限ったことではない。全国で捨て猫や野良猫問題は後を絶たない。猫の殺処分数は減ってきてはいるが、殺処分される6割が子猫である(※)。人間の不注意やエゴで生まれる猫の数を何とか減らしたいという思いは、お寺も森中さんも同じだ。

※環境省:統計資料「犬・猫の引取り及び負傷動物等の収容並びに処分の状況」より。対象期間は2020年度