ジャンルを問わず、世の中に新しい価値を創出したDisruptive Innovator(ディスラプティブ・イノベーター:破壊的創造者)の生の声をお伝えするインタビューコラム「Disruptive Innovators Talks ~新たな価値の創造者たち~」。第8回は、「編集工学」を提唱し、「編集」というイノベーションの方法論を研究・実践する松岡正剛氏が登場します。

1971年代に松岡氏が創刊した雑誌『遊』は、扱うジャンルの幅広さ、誌面デザインの斬新さから、日本の多くのクリエーターに影響を与え、“伝説の雑誌”とも呼ばれています。2009年10月、丸善・丸の内本店の一角に出現した書店「松丸本舗」は、独自のテーマに沿った本のディスプレーなどによって、これまでにない本と読者とのコミュニケーションの場を創出。わずか3年間という短い活動期間の中で多くの熱烈なファンを生み出しました。そして、今年11月6日にグランドオープンを迎えた角川武蔵野ミュージアム(埼玉県所沢市)。松岡氏が館長を務めるこのミュージアムでは、既存の図書館と博物館と美術館の3館を融合するような新しい空間を「編集」していきます。

松岡正剛(まつおかせいごう)
松岡正剛(まつおかせいごう)
編集工学者、編集工学研究所所長、イシス編集学校校長
1944年、京都市生まれ。1971年に 総合雑誌『遊』を創刊。1987年に編集工学研究所を設立。人類のあらゆる営みに潜む「編集」の仕組みを明らかにし、新たな価値を生み出す技術「編集工学」を提唱。2000年にはウェブ上で「イシス編集学校」とブックナビゲーション「千夜千冊」をスタート。そのほか、文化創発の場として精力的に私塾やサロンを主宰。また、独自の方法論による日本文化の読み解きにも定評がある。著書に『知の編集術』(講談社現代新書)、『花鳥風月の科学』(中公文庫)、『日本流』(ちくま学芸文庫)、『日本という方法』(角川ソフィア文庫)など多数。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授などを歴任(写真:加藤康)
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――物事の「新結合」によって新しい価値を生み出すことをイノベーションと呼ぶわけですが、新しい結合は「編集」という行為によって生み出されるともいえるでしょう。松岡さんは長年にわたって、イノベーションの源泉ともいえる「編集」に関する様々な仕事をしてきましたが、特に編集によって生み出される「本」というメディアに対しては、松岡さんのこだわりを感じます。

松岡 神話、文芸、絵画、舞台、あるいは映画、マンガ、ゲーム、SNS――。何をメディアの起源とするかについてはいろいろな捉え方がありますが、メディアというものは、かなり古代から「本」「書物」という格好をとっていました。神話も歴史も恋愛も戦争も、ともかく何でも本になった。例えばカエサルの『ガリア戦記』のような戦争物も、ヘロドトスのような歴史物も、日本古来の『古事記』や『日本書紀』も書物として伝わってきた。これは何だろう、というのが、もともとの私のスタートなんですね。

――そして、本には「編集」という行為が必ず関わってきます。

松岡 取材をする、写真を撮る、ライターが書く、見出しを付ける、タイトリングをする。そしてこれらを、昔は書写していたわけですが、印刷する。あるいは、ウェブに載せる、音声にする、映像番組にする――。これらは大きく見ると全部エディティング(編集)だといえるでしょう。一方、すべての自治体や国や組織の出来事は、文書化(ドキュメント化)を必要としてきました。となると、おそらく人と社会との関係の中に、エディティングという手法が、私たちの文明のどこかに以前からずっとあったんだろうと考えられるわけです。

(写真:加藤康)
(写真:加藤康)
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 最初はアルタミラ洞窟のような絵にしたり、何か楽譜のようなリズムを刻んだり、そのほかいろいろな形で一種のドローイングをしたりしていた。つまり、ノーテーション(ノートをとる)みたいなことを人はずっとやっていたんだと思います。そして、それを人に見せるという目的を持ったときに、それは単なるつぶやきではなく、日記でもなく、メディア・エディティングというものに切り替わっていった。

 やがて社会の中で、非常にプライベートなものとパブリックなものとが編集によって結び付いていく。今の分かりやすい例でいえば、川淵(三郎)さんがJリーグを通じて進めていったスポーツと地域の融合も、そういうことですよね。その後、早くに亡くなってしまいましたが、僕の友人でもあった平尾(誠二)の目指した地域スポーツクラブの考え方もそうでした。

――本だけでなく、「編集」という行為は、新しい結合を促す手法として社会の中で活用されているわけですね。

 そもそも、ルネサンス時代、桃山時代といった、各時代、各国、各民族が、それぞれ編集を行い、イノベーションを起こして何かを生み出し、世に広げていった。ルネサンスの大聖堂や図書館や広場、桃山の城郭や障壁画や茶の湯がそういうものでした。なぜそうなるのか。そこに潜んでいる特徴を取り出したいということで、「編集」が特化していたわけです。


本の組み合わせが、ひらめきを生む

――編集という行為と、本というメディアが、人類に大きな影響を与えてきた、と。

松岡 それを「エディティング」と考えなくても、スぺシャル・マッチングであるとか、新しい組み合わせというふうに考えてもいいのですが、いずれにせよそこには必ず「本」が残っていった。シャネルでも、織田信長でも、スペースシャトルでも、なんでも本になって残っていくわけです。

(写真:加藤康)
(写真:加藤康)
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 それを逆に考えると、今、世の中に出ている本について、ある格別の組み合わせをすれば、そこにありとあらゆるアソシエーション(連想)、組み合わせ、マッチングというものが生まれてくるはずです。ですから、漱石の本を明治文学のカテゴリーの中に入れて、露伴、鴎外、一葉、紅葉らと一緒に「漱石全集」として並べるのではなく、例えばトマ・ピケティであるとか、ユヴァル・ノア・ハラリといった今の本の中に漱石の『私の個人主義』を置けば、全く新しい文脈が誕生するわけです。

 3000年くらいの単位で見ると、今日に至るまで(人類の知の源泉として)様々な「本」が出現してきました。そんな「本」の微妙な、あるいは大胆な組み合わせというものは必ずや、新しい発想や企画を秘めているはずなのです。だとすれば、面白い本の並べ方をしてみれば、そしてそこが書店であれば、あるいは図書館であれば、そこでは何か別の発想とともに、ひらめきも、あるいは、コミュニケーションも起こるでしょう。

 ただ、ここには図書分類という、欧米を含めて図書館がずっと構築してきた、アルファベティカルなものと、十進分類法という二つを組み合わせてつくり上げてきた古い伝統があります。それはそれで学問的には検索しやすいものではありますが、今はもっと複雑系の社会に向かっているため、従来の本の分類方法では、到底、間に合わなくなってきています。そこで僕は松丸本舗*1では十進分類法に捉われない本棚をつくり、近畿大学の図書館*2では独自の分類法で本をまとめていきました。


注)
*1 書店大手の丸善とのコラボレーション。丸善・丸の内本店内の一角に、2009年10月から3年間開業。独自の選書、ディスプレー、棚のデザイン、店内でのワークショップなどのイベントが人気を博し、大型書店ともオンライン書店とも違う書店の在り方を示した。

*2 近畿大学東大阪キャンパスの「BIBLIOTHEATER(ビブリオシアター)」。松岡氏監修の下、マンガ約2万2千冊を含む約7万冊の書籍を独自の図書分類「近大 INDEX」で配架する。


連想を喚起し、心に何かを残す

――11月6日にグランドオープンを迎えた角川武蔵野ミュージアム*3では館長を務めますね。

松岡 KADOKAWAが所沢の浄水場の跡地に物流拠点などを開発するに際して、その一角に文化施設をつくることになったんですね。そこには既存の図書館と博物館と美術館の3館を融合するような、日本にないものをつくりたいということで、当初から僕も参画していました。建築設計は隈健吾さんに依頼して、中身は(博物学者、小説家の)荒俣宏さんや僕がつくっていく。僕には最初は図書館をということだったんですが、最終的に(全体を)「松岡にまとめてもらおう」ということになりました。


注)
*3 角川武蔵野ミュージアム(埼玉県所沢市)の外観。設計は隈研吾氏。竹、木、石、ガラスなど様々な素材を操る隈氏の建築の中で、このミュージアムについて隈氏は「石の建築の集大成」と語っている。
(写真:日経BP 総合研究所)
(写真:日経BP 総合研究所)
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――ミュージアムの中の「エディットタウン」*4では独自の九つの分類で本を並べています。これは、どんなものになるのですか。

松岡 僕は、従来の十進分類に対抗するという意味もあり、九つの大きな“分類”をつくりました。「遺伝子やオスとメスの進化や昆虫の本を追っていくと王朝の古典や恋愛本にたどり着く」といったようなコースをつくったんです。男と女と生物学と恋愛小説とラノベって「結局同じでしょ」ということです。そんな発想の“分類”を九つ、エディットタウンに入れ込んでいます。


注)
*4 上図は角川武蔵野ミュージアム内のエディットタウン。館長の松岡氏がプロデュースする「本の街」だ。本とそれにまつわる知的情報と付加情報を「記憶の森へ」「日本の正体」「男と女のあいだ」などと名付けて独自分類した9ブロック(書区)に分けて展開する。下図は高さ約8mの巨大な本棚におよそ5万冊を収蔵する「本棚劇場」。角川書店のこれまでの主な刊行図書と角川文化財団の蔵書を収める。
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(写真:2点とも日経BP 総合研究所)
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――「想像力とアニマに遊ぶミュージアム」というキャッチフレーズにはどのような思いが込められていますか。

松岡 もともとのコンセプトは、アソシエーションを生かすということ、つまり連想の翼を広げるということなんです。想像力の翼を広げて連想を喚起するミュージアムにしたいというのが私の考え方です。その連想によって、誰かと会いたくなったり、何かを食べたくなったり、着たくなったり、聴きたくなったりするように、このミュージアムで何かを得たくなるようにしたい。

 ただし、ミュージアムですから見るだけです。何かモノを持ち帰れるわけではない。所有はできませんから。それでもミュージアムは何かを届け、残さなくてはいけない。そのためには、「アニマ」――「魂」とか「心」を意味する言葉ですが――に訴えていかないと届かないわけです。

 例えば映画は、今はネット配信が盛んになってきてそうでもなくなってきましたが、映画館に行かないと“持ち帰る”ことはできないですよね。あるいはリゾートに宿泊して、そこで宿泊費を払っても、リゾート施設自体は買えない。そうすると、何か心に移っていく要素が必要になります。このミュージアムについて言えば、連想によって何か魂の動きが起こって、それが継続されていくような場所にしましょうという考え方です。


日本の生きる道は、定性を計算可能にすること

――アニマのような定性的な要素は、計算しづらそうですが、他への応用は考えられますか。

松岡 僕は、文化や文芸というのはそういう計算しづらいものだと思っています。一方で、「計算可能な意味」というものがあるとも思っています。もっと言うと、意味のアルゴリズム(計算方法)があって、そういうもので本の分類はできるし、人間の思考も考えられるし、AI(人工知能)もつくれるのではないか。定性も計算可能であるというところへ持ち込まない限り、今後の日本の強みは生かせないと思います。

 曖昧なものにも意味のアルゴリズムはあって、日本はそういう文化の中で生きてきました。「手前ども」というふうに自分のことを言いながら、頭に来ると「てめぇ」と言って切り返していたりしますよね。あるいは、「結構」と「もう結構」、「いいかげん」と「良い加減」といったふうに、日本の言葉や振る舞いは両義的なアルゴリズムになっているんですよ。ほかにも例えば、日本家屋の「縁側」とか「軒下」というのは、外か内か分からないですよね。そこには微妙なアルゴリズムが生きているわけです。つまり、分かりやすい例でいえば、炊きたての「ふっくらご飯」というのは計算できるわけです。

(写真:加藤康)
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――はい。そんな炊飯器も既に開発されています。

松岡 龍安寺の石庭が枯山水だなということは、何となく分かりますよね。でも、あそこに石を100個置いたら駄目だろうというのも分かるわけです。

――確かにそうですね。

松岡 そういうことをやるのが日本なので、それ(定性の計算)はできるだろうと思っています。あとは、それがどういう具合なのかという、その具合なんです。その具合はみんな分かっているのだから、それならばそろそろ、そこに到達すべきですよね。

――そう考えると、日本が強みを発揮できる余地はたくさんありそうです。

松岡 例えば、おむすびというものは世界中で日本にしかないと思うんですよ。ノリを巻いてセロハンに包んで、あんな奇妙な手続きで包んだり、開けたりする。こんなことは、どこもやっていないでしょう。

 まずは、おむすびのような「これは日本だよな」と思うものに注目すべきだと思います。そこには、定量的にならない、定性的な独特のものがある。その商品から手続きごと日本的な部分を限定して、取り出して見てみるべきだと思います。

 その次には中間的なもの――、例えば半襟のような訳の分からないものを目指すべきでしょうね。半襟がなかったら着物なんてまったくサマにならないわけですから。

――着物を知らない人には、なんであんな布を巻くんだと思われるかもしれません。合理的じゃない、とか。

 その半襟のようなもの、さきほど申し上げた軒下とか縁側に当たるもの、あるいは、ふすまに当たるものを目指すべきなんです。ふすまを開けたり閉めたりして、閉めると全然別の空間ができるわけです。僕はそういうものを「間の商品」と言っているのですが、このあたりは日本の独壇場ですよね。そういったところに向かわなきゃいけないだろうと思っています。

――そんな日本の文化に根差した新しい価値は、どうやって広めていくべきでしょうか。

松岡 出来上がったものはすごいんですよ。ただ、その商品はコモディティとしては最高だとしても、ワインのようにある仕組みに切り替えて表現しないと価値は高まりません。ワイン文化のように、ワインセラー、飲み方、ソムリエという存在、ラベル、ポスター、ありとあらゆるものを洗練させていくという部分が足りないんです。この仕組みを、おにぎりでも、たこ焼きでも、日本の何かに置き換えてみたらいいと思いますよ。そして、責任のためのアカウンタビリティーではなく、プレゼンテーションのための説明をする。それを徹底的に、グローバルで通用する説明にまで持っていく。それをしないとだめなんです。

若いうちから日本文化を知ることが大事

――これまでの話を踏まえて、これから日本で、あるいは日本発で世界に向けて新しいことに取り組もうとしている人、特に若い人に向けてのメッセージをお願いします。

松岡 「同質に走るな」ということです。異質なものを取り込んで、組み合わせてほしいというのが大きいですね。

 それから、やっぱり日本の古典的な価値観を学んでもらいたいですね。なるべく早いうちに学んで、好きなものを決めたらいいと思います。例えば格子模様だったらこれが好きとか、茶色だったらこのえび茶が好きとか。自分の好きなものを若いうちに持ったほうが、日本を見るにあたっては力になると思います。

インタビューを終えて

「定性も計算できるはず。」と、松岡さんは言い切ります。

明らかに矛盾しています。定性的とは「数値・数量で表せないさま」のことですから。しかし一見矛盾しているこの手法こそが、日本の新しいキラーコンテンツを生み出すかもしれません。

「具合」という曖昧さ加減、日本独特の感性を取り出す。そして、グローバルで通用する、誰にでも分かるようなプレゼンテーションにまで磨き上げる――。それができれば、日本ならではの魅力的なコンテンツが生まれるでしょう。

インタビューでも示唆されていたように、おむすびがワインと同じように世界を席巻する商品になり得るかもしれないのです。

イノベーションとは新結合です。

それは必ずしも技術と技術の結合だけを指しているのではありません。あるものの価値を徹底的に深堀りし、再定義することで、価値の新結合も生み出せるはずなのです。

様々な分野において、あるいは既存の分野を超えてイノベーション創出に取り組む人たちにとって、「編集(組み合わせ)」という新結合を極限まで考え抜いた松岡さんの方法論は、新たな気づきを得るきっかけとなるでしょう。

高橋博樹(たかはし・ひろき)
日経BP 総合研究所 戦略企画部長/ソリューション・アーキテクト
高橋 博樹(たかはし ひろき) 日経BP入社後、インターネット草創期のビジネスモデルづくり、ICT、建設など幅広い分野を担当。2015年9月、日経BP総合研究所の発足と同時に戦略企画部長に就任、現職。「新・公民連携最前線」「Beyond Health」の2つのメディアを創案して立ち上げた(写真:栗原克己)


特別付録 松岡正剛さんへの10の質問

1.行ってみたい場所
チベット。

2.尊敬する経営者
益田孝(鈍翁)、そして高橋義雄(箒庵)。

3.会ってみたい人(故人・架空の人物も含む)
ウンベルト・エーコですね。会いたいと思っているうちに、亡くなってしまいました。

4.好きな動物(人間以外)
キリン。そしてペンギン。

(イラスト:宮沢洋)
(イラスト:宮沢洋)
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5.生まれ変わったら何になりたいですか
溶暗というか、トワイライトの暗闇というかですね、そういうところにいるものですね。気配みたいな。

6.印象に残る失敗
いっぱいありますよ。連帯保証人になって虎の子を持っていかれた、とか。

7.今、一番やってみたいこと
規模はちょっと大きめの、塔頭(たっちゅう)のあるお寺のような規模のところに、能舞台であって能舞台ではない、バーであってバーではない、茶室であって茶室ではない――。何かこう、今までの既存概念の立て付けを超えて、そこに行かないと分からないようなものをつくりたいですね。

8.うれしかったプレゼント
山本耀司からもらった服ですかね。「いいよ、着てよ」みたいな感じでくれました。

9.いつも心掛けていること
減衰してからが勝負だということですね。つまり、疲れてからとか、これ以上考えつかないとか、それから、もうないだろうというところからが勝負だと思っています。

10.最近ハマっていること
僕は長年、寝たり、休んだりするのは嫌いだったんです。でも最近、眠るのが好きになってきましたね(笑)


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