笠置シヅ子は歌手から女優に転身するが、役者の道へと導いたのは映画や舞台で活躍した喜劇王エノケンこと榎本健一だった。朝ドラに詳しいライターの田幸和歌子さんは「エノケンはNHKドラマ『ブギウギ』ではタナケンとして登場した。笠置とエノケンは強い信頼関係で結ばれていたが、エノケンは一座を解散し、さらに息子に先立たれ、足が壊死して自殺を図るなど苦しい後半生を送った」という――。

女優としての笠置シヅ子はエノケンとの出会いから始まった

『ブギウギ』1月15日からの第16週では、小夜(富田望生)が付き人を辞めると言って姿を消し、愛助(水上恒司)は大学を卒業。スズ子(趣里)はマネージャーの山下(近藤芳正)から、喜劇王・タナケンこと棚橋健二(生瀬勝久)が演出・主演する舞台に出てみないかと提案される。

榎本健一(1945年、写真=東芝EMI/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)
榎本健一(1945年、写真=東芝EMI/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

タナケンがスズ子に会いたいと言っているという話を、最初は「芝居の経験はないから」と断ったスズ子だが、山下の説得により会うことになる。「女優・福来スズ子」の始まりだ。

タナケンのモデルとなったのはご存じ、喜劇王・エノケンこと榎本健一。スズ子のモデル・笠置シヅ子のサクセスストーリーには2人のメンターがいたことが知られているが、1人は羽鳥善一(草彅剛)のモデルである作曲家の服部良一で、もう1人がエノケンだった。

とはいえ、エンタメの世界の闇が続々と噴出している昨今、「男性のメンター」と書くと、妙な勘繰りをする人もいるだろう。では、2人と笠置の関係性、その評価や人物像はどうだったのか。

あくまで師匠、先輩として笠置を導いた2人のメンター

笠置シヅ子の伝記『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年、北斗出版社)に掲載された榎本健一、服部良一両氏の寄稿を見てみよう。

まず服部は冒頭でこう表現している。

「笠置君は弟子として、非常に可愛い弟子だ。気の強い人だが、知ってしまえばそれまでの女だ。開けッぱなしで情にもろくて、苦労性でお天気屋で、仲々もって面白い性格である。人見知りはするが、打ちとけてしまうと甘ッたれて、すぐ焼き餅をやく。チェホフの『可愛い女』とは別の意味で一種の可愛い女であろう」

また、「一皮むくと、からッきしだらしのない古風な女」「本来、涙ぐましい女」「自意識過剰の歌手」「義理堅くて古くさい」「歌に対する執念、恋人に対する執念、友人に対する執念、そして近ごろはわが子に対する執念――思い詰めるとトコトンまで行かないと承知しない」と言い、『東京ブギウギ』を「現代の浪花節なにわぶし」と分析している。

そこでも「歌そのものからいえば、もっとうまい人がいくらでもいる」と記していたように、服部が笠置を買っていた最大の理由は歌唱力自体よりも、むしろ唯一無二の面白さや人情深さ、人間味の部分であり、それが大衆の心をつかむと考えていたことがわかる。

一方、ドラマでは無口で何も言わず、スズ子が「(私の芝居は)どうでっか」と聞いても、スズ子の顔を見て「どうだろうね」と真顔で言うばかり、響いている様子がなかなか見えないタナケンだが、エノケンの笠置評はどうだったのか。