日本の「終戦の日」は8月15日とされている。ただし、その後も日本の戦争は続いていた。早稲田大学の有馬哲夫教授は「ソ連軍が終戦協定に調印したのは9月2日で、それまでソ連軍は日本侵略を続けていた。終戦の日はソ連軍が終戦協定に調印した9月2日に改めるべきだ」という――。
ホワイトハウスにて、日本の降伏を発表するトルーマン大統領。1945年8月14日、ワシントンD.C.
ホワイトハウスにて、日本の降伏を発表するトルーマン大統領。1945年8月14日、ワシントンD.C.(写真=Abbie Rowe, U.S. National Park Service/PD US NPS/Wikimedia Commons

ソ連は終戦協定を結んだあとも侵略を続けた

毎年8月15日は「終戦の日」として、マスコミはこぞって、地面に手をついて玉音放送を聴く人々の映像を流す。日本人はこれを見て、戦争の悲惨さに思いをはせ、平和への思いを新たにすることになる。毎年恒例のメディア・イベントだ。私たちは先の戦争が8月15日に終わったと思い込まされている。

しかし、ことソ連に関しては、戦いは決して8月15日で終わっていない。例えば駐蒙軍司令官根本博中将は、約4万人の日本人居留民を護るため8月19日以後3日間も満州でソ連軍と戦った。千島列島の占守島では、8月18日から第5方面軍司令官樋口季一郎中将がソ連軍と戦いを始めた。日本側1018人、ソ連側1567人の戦死者を出したこの戦いが日本側の降伏によって終わるのは8月22日である。

ソ連軍が日本に対する組織的軍事行動を停止するのは、歯舞、色丹の占領を終えた9月5日で、これは東京湾の戦艦ミズーリ号上で終戦協定が結ばれた3日後のことだ。つまり、ソ連は終戦協定を結んだあとも日本を侵略し続けたのだ。

関東軍に見捨てられた満州の悲惨な「終戦後」

満州、樺太、千島列島にいた日本人にとって、8月15日は、終戦の日どころではなかった。とくに、関東軍が日本人居留民を見捨てた満州では、ソ連軍による略奪、暴行、強姦、虐殺が8月15日以降も続き、20万人を超える日本人が命を失った。さらには、約60万人の日本の軍民がシベリアに強制連行され、次の1年間で約6万人が死亡している。

これでもまだ、8月15日を「終戦の日」というべきだろうか。今、日本はソ連の後継国であるロシアと緊張関係にある。ロシアは、あの手この手でプロパガンダを仕掛けてくる。対日戦勝利記念日を9月3日とし、これを祝うとか、「千島列島は先の戦争の結果ロシアのものとなった」とか……。いままでのように終戦についての歴史認識が曖昧だとロシアのプロパガンダに騙される恐れがある。

そこで、なぜソ連は8月15日以降も日本に対する侵略行為をやめなかったのか、なぜ他の連合国軍にくらべても、日本軍および日本人に対する振る舞いが残虐だったのか、領土問題をどう考えるべきなのか、これまで日本のマスコミがほとんど触れなかった歴史的事実をもとに明らかにしたい。