「コロナ禍になって先が見えない、どうしたらいいですか」

【原田】みんなエリーさんに会いたかったみたいで、盛り上がりましたね。印象的だったのが、「コロナ禍になって先が見えない、どうしたらいいですか」って質問に対するエリーさんの答えでした。

作家・画家の大宮エリーさん
写真=中村治
作家・画家の大宮エリーさん

【大宮】看護師長さんでしたね。えっ、そんなこと私に聞く? って(笑)。困ったなと思ったけど、ふと私から素朴な疑問が。で、逆に質問したんです。「では、コロナになる前は先が見えていたんですか」って。

そうしたら、「えっ」ていう顔になって「見えていなかったです」って。だから、こう言ったんです。「ここにいらっしゃる皆さんは先の見えない仕事に好んでついた変態なんだ!」って。

【原田】みんな爆笑でした。

【大宮】イベントの後、病院長に私の画集をお渡ししたら、パラパラと見て「エリーさん、病院で絵を描いてよ」って。そのときは本当にやるとは思っていなかったんです。

東京に戻ってしばらくしたら正式に絵を描いて欲しいという連絡が。えっ、一回打ち合わせさせてくださいって、米子に戻ってきたんですよね。

【原田】年明けにお見えになりました。

【大宮】色々と考えたんですけれど、大山とか描きましょうかって提案したら、鳥取とかそういうのは頭から外してほしい。病院に関係ない絵にしたいとおっしゃった。

【原田】患者さん、ご家族の方たちはとても重い気持ちを抱えて病院におみえになっている。その人たちが、一瞬どこにいるんだろう、ここはどこなんだろうって思うような絵がいいなと思ったんです。

エリーさんの作品に、リゾート地の絵がありました。リゾート地、海が見える絵がいいとリクエストしたんです。

【大宮】病院にリゾートって不謹慎って言われないかと心配しましたよ。

父親を救いたいという思いで薬学部へ

【原田】エリーさんは東京大学薬学部を卒業。今なされている仕事と全く違いますよね。

【大宮】本当にやりたかったのは地球の環境保護、植物の研究者になりたかったんです。そんなとき、病気がちだった父親に発作が起きたんです。救急車で運ばれて、一歩遅かったら死んでいたと言われました。そのとき何もできなかった自分が歯がゆかった。

地球を救う前にお父さんを救わなきゃって、進学先を薬学部にしたんです。ところが気持ちは純粋でしたけれど、入学してみたら全く授業についていけない。

【原田】医療とは縁があったとも言える。

【大宮】(首を振って)私、病院、嫌い。ここで、そんなこと言っちゃいけないか(笑)。でもあんまり好きじゃないのは事実。ちょっと身体の調子が悪いと病院に行く人いるじゃないですか? 私は全然行かない。

【原田】病院によく行く人とそうでない人の差が激しいというのはあります。

【大宮】小学校のとき母が病気になったんです。そのとき風邪だって言われて寝てればいいって。別の病院で診てもらったら肺炎だと判明したんです。早くわかっていれば重くならずに済んだのですが。

それからずいぶん後、母が子宮筋腫になったんです。お医者さんはすぐに手術して切れと言った。ところが別の病院で、切らなくてもいいと薬をもらったら良くなった。

【原田】婦人科の医師として答えると、お母様の生理の出血量が多かったんでしょう。年齢、閉経もあって薬でコントロールできるようになった。

オペ(手術での切除)、投薬治療、どちらも正解なんです。オペならば一回で終わる。時間を掛けて薬でコントロールしていくか。