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おじん0523のヒロ散歩

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2022.10.18
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カテゴリ:沖縄旅行
安部御神殿から海岸線の国道331号を北上し、右手に石碑があり車を止める。

9月26日(月) 9:10
聖火宿泊碑・聖火のあとさき・嘉陽小学校跡
所在地:沖縄県名護市嘉陽41
この場所は今年4月から放送されたNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」の「山原高校」として
ロケ地に使用された。


中央に「聖火宿泊碑」
1964年の東京オリンピックの聖火が嘉陽に宿泊したことを記念して建築された碑。


聖火宿泊碑の右側に石碑。


石碑には「一九六四年九月七日 オリンピック東京大会の聖火の当地宿泊を記念する」。


聖火宿泊碑の左奥にはかつては島にあった「竜宮神」の石碑。


案内板が立ち聖火台の歴史や聖火宿泊碑、久志村内の聖火リレー、聖火台前での式典の模様
などを
写真で紹介していた。

History of the olympic torch
​聖火台の歴史​
1964(昭和39)年10月10日 第18回オリンビック東京大会が開催された。
第18回オリンビック東京大会の聖火は、8月21日に近代オリンピック発祥の地ギリシャのア
テネで採火され、世界11か国を経て、9月7日正午(台風で1日遅れた)に「City of Tokyo」号
にて沖縄に到着。翌8日から、沖縄本島一周の聖火リレーが開始され、第1日目の宿泊地とし
て、久志村(現名護市)嘉陽区に一泊した。
聖火台は、台座の高さ約90cm、約130cmのヒューム管でできた、円柱の上に直径約1mの
シンメーナーべ(大型鍋)の点火台でできている。
実は、こにある聖火台の歴史は古く、1958年4月、日本で初めて開催された第3回アジア競
技大会の聖火リレーの聖火台として使用され、民政府(現県庁)前にて聖火が灯されたもので
ある。
製作者の、森山一成氏の好意により、東京オリンピックの聖火台として、久志村(当時)に寄
贈され、嘉陽区民をはじめとする、地域住民の協力により、現在の地に移設された。
聖火台として当時の姿を今に伝えるオリンピックレガシーは、第3回アジア競技大会・第18
回オリンピック東京大会の聖火を灯し、2020年東京オリンビック・バラリンビック聖火リレ
ーで、3度目の聖火を迎える。
​聖火宿泊碑(久志村行政による)​
1964(昭和39)年9月、オリンピック東京大会の聖火が嘉陽に宿泊したことを記念して建設さ
れた。宿泊碑の月日が1964年9月7日となっているが、台風で型火の到着が、1日遅れたため
である。実際の宿泊の日は9月8日である。
聖火の到着前に、宿泊碑の建設を行い、宿泊した当日に除幕式を行った。当時の村民の、聖
火宿泊にかける熱意と思いが伝わる。以後、この日を基点として「聖火宿泊記念駅伝・20km
ロードレース大会」が毎年開催されている。
​聖火のあとさきの碑(嘉陽区民による)​
1965(昭和40)年3月28日除幕式挙行。嘉陽小中学校PTAの記念事業として、PTA会員及び全
校区民、区出身者の協力を得て建立された。当時の、嘉陽区民の聖火を迎える感動と興奮、
聖火が去った後の虚説感や充実感などが表現されている。


道路を挟んだ向かい側に建つ石碑。
「聖火のあとさき」
   世界を相手に嘉陽が
   お祭り行事をしたのだから大ごとだ
   心の片隅に生えた小さな企が みるみる
   聖火が近づくにつれてふくれ上がり
   ただならぬ様相を呈し とうとう
   村人では手におえないものとなった
   が やっとのこと手綱は放さなかった
   昨日も今日も 純粋な聖火到来の希望に
   励まされながらも待ちくたびれた挙句
   すかさず西の果からギリシャから
   御神火は赤橙の光に白い煙を引いて
   すいすいトクトクと
   日の丸の渦波を突走って
   海近く森近く
   オリンピアに似ているという
   潮騒の嘉陽の岸辺にランランと燃えた
   安堵か神秘か感激か シュンとした
   興奮がそこの群集を掩うていた
   そして聖火の台風一過
   嘉陽も人も名残りさびしくさびれた
   しかし満足と喜びの後味は良く
   五輪の池は静かに平和の影を映し
   碑文は永く後世に語り告げん


聖火台の左手にあった校門には「嘉陽小学校」と。
名護市立「嘉陽小学校」(沖縄県名護市嘉陽41)が閉校したのは、2009年3月末のこと。
創立以来99年間の歴史を誇った当校。卒業生の数は621名。目の前が美しい海という恵まれた
環境に抱かれて、生徒はのびのびと成長することができたようです。
当校の歴史上特筆すべき点、それは東京オリンピックの聖火が宿泊した施設であるということ。
実際に現地にはその史実を記す記念碑も佇んでいたのであった。
現在は自然環境を学べる施設(美ら島自然学校)として引き続き地域にとって大切な場所と
なっているのだ と。


フロート浮きに「ようこそ! 美ら島自然学校へ」と。


入口に「本日は休校日です」。
 休校日:毎週月曜日、年末年始
 ※ ただし、月曜日が祝日等の場合は閉校し、火曜日に振替休校いたします。
 通常開校時間:10:00 ~ 17:30 
      一般財団法人 沖縄美ら島財団 美ら島自然学校
月曜日が祝日等の場合は「閉校」とあったが「開校」では?
流石沖縄だけに「Today is our regular closing day.」と。


平成21年3月31日に創立99年にて閉校し、現在の「美ら島自然学校」に生まれ変わりました。
この場所は平成19年に角川映画「サウスバウンド」の撮影地に、平成21年にはTBSドラマ「今
日も晴れ。異常なし」のロケ地となった。
また、今年4月から放送されたNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」の「山原高校」としてロケ
地に使用された。このグランドを使用して主人公が走っていた。
この情報は「パワースポット@神の島」さんのブログからです。


門を入ると、左側の校門に「嘉陽中学校」と。


校庭の前からの「嘉陽ビーチ」。
東海岸に面した嘉陽集落沿いに続く細長いビーチである。
引き潮時には陸続きになるのであろうか。


そのビーチに浮かぶ「キョウ」と呼ばれる尖った岩があります。「キョウ」は「嘉陽集落」で
は古より "聖なる岩" といわれており、海からやって来た神が集落北東にある「ウイグシク(上
城)」に訪れる際、この岩で一息つくといわれています。また「アブシバレー」という田畑の害
虫を駆除する祭祀の際に「嘉陽ノロ(祝女)」が「キョウ」に渡り、芭蕉(バナナの木)の茎で作っ
た虫舟に害虫を乗せて海の南の方向に流して祈願したと伝わります。「キョウ」にはかつて海
の航海安全と豊漁を祈願する「竜宮神」が祀られていが、現在は「美ら島自然学校/旧嘉陽小学
校」の校門近くに移動しており「竜宮神」の石碑が海に向けて建立されている と。


9:15
この日は月曜日で休校であったが関係者が集まっていたが。
左は、国道331号だが交通量は少なかった。


9:25
次に訪れたのは国道331号を北上右折して「天仁屋原遺跡」へ。
天仁屋公民館の南東側、神アサギやニガミヤーなどの拝所のある広場の横にある、
天仁屋共同売店
所在地:沖縄県名護市天仁屋15
共同売店とは、村や集落の地域住民の共同出資・共同運営により作られた沖縄特有の売店です。
1906年(明治39年)に沖縄本島の北端に近い、奥(おく)という集落で設立された「奥共同店」
(おくきょうどうばいてん)が最初で、100年以上の歴史があります と。
NHKの朝ドラ「ちむどんどん」でも登場していた「共同売店」。何か購入したかったが残念
ながら時間が早くまだ開店前であったのだ。


天仁屋原遺跡(てにやばるいせき)」。
天仁屋公民館の南東側、神アサギやニガミヤーなどの拝所のある広場は天仁屋の初期
集落と考えられており、グスク時代の土器片や中国製の青磁、青花、近世~近代の沖
縄製陶器などが採集されています。
グスク時代から近代までの遺物が採集されていることから、天仁屋集落の歴史を知る
上で重要な遺跡となっています。


案内板の「天仁屋原遺跡」
天仁屋の初期集落跡と考えられており、グスク時代の土器片や中国産の青磁、染付や
近世・近代の沖縄産陶器が採集されています。グスク時代から近代までの遺物が採集
されていることから、天仁屋集落の歴史を知る上で重要な遺跡となっています。
  時代:グスク時代 ~ 近代(約900年前 ~ 約70年前)


また広場にはバス停があり綺麗な公衆トイレも整備されていた。


石鳥居
天仁屋御嶽があり「天仁屋の宮」とも呼ばれており、集落の住民により拝まれている。


バス停「天仁屋」の奥には「神アサギ」があった。
神アサギは、集落の守護神を歓待する祭祀の場で、集落を守護する御嶽の近くにあります。
御嶽はノロなどの神女以外入ることが許されていないため、人々が集い祭祀に加われるのはこ
の場所になります。神女たちが御嶽へ遥拝したり、神歌を謡ったり、神酒のふるまいを受けた
りする場所として使われます。 ここの「神アサギ」の特徴は寄棟の茅葺小屋で、軒が低く中へ
入るためには腰をかがめなければ入ることができません。柱は石柱を地中に挿しただけの穴屋
【アナヤー】形式で、屋根は扠首(さす)構造でできています。 現在でも「神アサギ」で祭祀が
行われていますが、戦後に建てられた建物の多くは、瓦屋根やコンクリート造づくりとなって
います。
扠首構造とは、逆V字型に寄りかかった2本の材を、水平方向に架けられた材で支えた構造で、
沖縄ではこの2本の材を【リン】と呼びます。小屋組みでは、頂部の棟木(屋根の頂部に用い
る水平材)部分でこの【リン】を交差させて結ぶことで、小屋内に束が立たず内部を広くとる
ことができます と。


天仁屋共同売店を振り返る。


次に訪れる「国指定天然記念物 嘉陽層の褶曲」450mと。
国道331号沿いにも立っていた案内板。


9:32
天仁屋原遺跡から坂道を下って行くと、天仁屋ビーチの岩場の手前に案内板。


案内地図には「嘉陽層の褶曲」の位置図と写真。


旅友を追いかけ右側(東方向)へ進んだが肝心な地層は南側にあったようだ。


説明板は日本語と英語で、
現在の日本列島の骨格は、3億年ほど前からの地層の付加作用により形成されてきました。
沖縄地域も例外ではなく中生代三畳紀以降、おおむね西側から東側に向かって次々と付加
作用により発達したことがわかっています。付加作用とは、海洋プレートが海溝で沈み込
むとき、その上にある堆積物が大陸プレートの縁に剥ぎ取られてそのまま大陸プレートの
一部になることです。
天仁屋からバン崎にかけての海岸には、新生代古第三紀始新世(約5400万年前~約3700万
年前)の、最も新しい時代に付加された嘉陽層と呼ばれる地層が分布しています。嘉陽層は、
当時の海溝付近の深海に堆積したタービダイトと呼ばれる砂岩と泥岩の互層を主体とする
地層です。
海底地すべりの堆積物よりなる嘉陽層は、さまざまな堆積構造や逆断層が見られ、特に
地層の褶曲現象が発達しています。褶曲構造の波長は、砂岩層が厚いほど大きくなる傾
向があります。20cm以下の厚さで砂岩層と泥岩層が繰り返すバン崎周辺では、細かな
褶曲が見事に発達しています。
また、比較的厚さの薄い砂岩層には、深海に棲息する動物によって形成されたと考えら
れる生痕化石(生物が活動した痕跡)がしばしば観察されます。ここで見られる生痕化石
は水深2000mを越える深海底の環境を示すものとされています。
このように、嘉陽層には付加作用によって形成された日本列島の成り立ちを示すさまざ
まな現象が保存されており、極めて重要であることから、平成24年( 2012年) 9月19日
に国の天然記念物(地質)に指定されました。


国指定天然記念物「名護市嘉陽層の褶曲」を見学されるみなさまへ
褶曲のある海岸線はとても崩れやすく、土砂崩れが何度も起きています。
​見学の際は、崖に近づかす、離れて観察しましよう。
 !見学に行く前に確認しましょう!
 ① 前日と当日の天候
 ② 見学時間とその時間帯の潮位
 ③ 海上の状況(特にカヤックの場合)   落石注意 CAUTION
 ④ 海の状況や崩落個所の確認
特に②の潮位を確認しておく必要があるようだ!


旅友を追い天仁屋ビーチの北東方向へ。


絶景をズームアップ。


岩肌に穴があったが旅友から「何もない」と言われ引き返す。


断層があったが何も変哲が無くこれが「嘉陽層の褶曲」と思いながら。


この時はこれが「嘉陽層の褶曲」と思い後にしたのだが。


しかしブログを作成していて「嘉陽層の褶曲(バン崎)」は南側にあったようだ。


そのバン崎にある「直角曲がり地層」。2枚の写真はネットから引用。


9:50
天仁屋ビーチから国道331号へ戻り更に北上。名護市から東村(ひがしそん)へ入る。
国頭郡東村は、沖縄県の沖縄本島北部に位置し、太平洋に面する村である。 ツツジが村の花と
されており、毎年3月にはツツジ祭りが開かれる。山原の自然などで知られ、県内におけるエコ
ツーリズムの草分け的な地域である。2021年7月に国頭村、大宜味村と共に国内5か所目の世
界自然遺産に登録された。
東村の人口は1,613人(2022年9月1日)、人口密度は、19.7人/k㎡。
次に訪れるのは「東村ふれあいヒルギ公園」。


9:53
国道331号を進み慶佐次大橋を渡り左側に石碑。


東村ふれあいヒルギ公園の入口に「天然記念物 慶佐次湾のヒルギ」の石柱。
所在地:沖縄県国頭郡東村字慶佐次54-1


公園の入口にはシオマネキ(カニ)のシンボル。後方に展望台。


観光案内所に「パイナップル」のイラスト。
東村はパイナップルの生産量が日本一を誇り、日本で唯一のパイナップル加工場があるのも東村。 
沖縄北部中のパイナップルが集められ、缶詰の原料になっている。
東村はパイナップル生産に欠かせない3つの条件「酸性の土壌」、「水はけの良い土地」、「高い
気温」が揃っている。パイナップル作りに最適な土地として、約180もの農家の方たちが10種類
以上のパイナップルを作っている。


公園事務所のガラス戸に貼ってあった「外来ヘビ類の目撃情報を集めています」。
これらの外来へビは、やんばる三村(大宜味村・東村・国頭村)ではまだ分布していないことに
なっています。そのため、早期発見・初期防除がとても大切です。
​​【特定外来生物】タイワンハブ 80 ~ 130 cm​​​
  ​中国南部、台湾原産。ハブ酒に用いるため輸入されたものが逃げるなどして、名護市
  などで急速に分布を広けている。ハブよリー回り小さいが、気性が荒く攻撃的。うか
  つに近づくと矢のよう飛びかかってくる。
【特定外来生物】​タイワンスジオ ​180 ~ 270cm​​
  台湾原産。うるま市や沖縄市などで分布を広げている。しっぽの両側の黒いスジが
  特徴的でこの名がついている。毒はないが、2mを超える大きなヘビとなリ、ネズ
  ミや小鳥を好んで食べるため、もともとすんでいた生きものに深刻な影響をおよぼ
  すと考えられている。
よく似た在来ハブ類
 ヒメハブ 40 ~ 80 cm   ​有毒​
  ハブの半分ほどの体調で長さのわりに胴が太い。カエルが大好物のため、水辺を
  好む。動きは鈍くじっとしていることが多い。ニーブヤアー(沖縄方言名)
 ハブ  130 ~ 240 cm   ​有毒 
  体長2mにもなる大型のヘビ。分布域が広く個体数も多い。ネズミを食べるため
  人家近くにも生息する。夜行性で昼間見ることは少ない。

事務所の方に聞くとハブは夜行性のため朝車を走らせると車にひかれたハブが多いと。


花と水とパインの村「沖縄・東村」 
観光あんないマップ
下段に近場の観光場所が説明されていたが。


公園に立つ「国立公園 東村ふれあいヒルギ公園 案内図」
「東村ふれあいヒルギ公園」は、熱帯特有の自然を身近に感じられる緑あふれる公園。やんばる
国立公園にも指定されている慶佐次湾のそばに造られた公園で、園内には展望台や遊歩道を設置。
ドライブの立寄りスポットとしてや、マングローブカヤックツアーを楽しむ人が多く訪れる人気
の場所のようであった。


慶佐次(げさし、けさし)川の河口に繁茂するヒルギ林(マングローブ)など、熱帯特有の植物
が観察できる公園である。なかでも、「ヤエヤマヒルギ」は国の天然記念物にも指定されており、
ここが北限の地とされる。


やんばる国立公園 慶佐次湾
    指定 平成28年9月15日  環境庁


慶佐次川の上流を望む。


東村ふれあいヒルギ公園からの遊歩道があったが時間の関係もありここで引返す。


慶佐次川の河口に繁茂するヒルギ林(マングローブ)。


入り組んだヒルギ林(マングローブ)をズームアップ。
幹の根本近くから周囲に向かって、多数の弓なりの形状の呼吸根を伸ばしているのだ。この呼吸
根は、幹の下部から斜め下に向かって出て、枝分かれしながら泥に入り込むので、見かけはタコ
ノキ類のものに似ている と。


東村のマングローブ
慶佐次湾のマングローブは沖縄本島では最も広く、本島で見られる4種類のマングローブ植物
のうち3種類が見られ、ヤ工ヤマヒルギの北限地であることなどから「慶佐次湾のヒルギ林」と
して1959年に当時の琉球政府の天然記念物に指定され、1972年に沖縄の祖国復帰と同時に国
の天然記念物に指定されました。また、慶佐次湾に多く見られるオヒルギ、メヒルギ、ヤ工ヤ
マヒルギなどの「ヒルギ」は、1993年に、村政施行70周年を記念して新たなシンボルとして
「東村の木」に指定されました。2016年にはやんばる国立公園(慶佐次湾)として指定を受けて
います。


上空から見た慶佐次湾のマングローブ(ヒルギ)林
沖縄本島で見られる多くのマングローブ林の中で最も規模が大きく、面積は
約10haもあります。


マングローブとは
海岸をよく見ると、満潮の時は海になり、干潮の時には陸地のようになるところがあります。
このような場所のうち、川の河口付近の、真水と海水が混じり合う場所を汽水域と呼んでい
ます。マングローブとは、熱帯や亜熱帯地方のこのような汽水域に、海水の塩分濃度に耐え
られる樹木がたくさん集まってできる林や森のことをいいます。


マングローブに棲む生き物たち
慶佐次川でみられる貴重な生き物
マングローブには、鳥、昆虫、貝、カニ、工ビ、魚などの多くの生き物たちが棲んでいます。


9:55
「失われつつある慶佐次川の自然」
  慶佐次川の上流側にはいろんな生態があるようだ。
「慶佐次川の豊かな自然を取り戻そう!」
  慶佐次川でできる自然環境再生。


この公園にはいろんな生き物がおり一日滞在しても飽きないのでは!

                                                                                                            ー 続く ー





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最終更新日  2022.10.18 03:00:07
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