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凡声庵閑話:南正邦の覚え書き Minami Masakuni

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2023.01.15
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カテゴリ:近況
四国新聞 令和5年1月12日付
佐竹藍月
(さたけ・らんげつ=染色家、本名雅子=まさこ)
1月10日病気のため死去、89歳



佐竹藍月先生の訃報。
高松一高の同級生で、声楽家佐竹由美(さたけなおみ)さんのお母さん。
香川県美術家協会でも、大変お世話になりました。
すなご染めに、光を表現する表現方法を聞かれて、先生のお宅に教え子の専門学校の卒業生を連れてお伺いし、光の三原色のカラーチャートを作成してレクチャーした事もあります。
昨年、佐竹由美さんが亡くなられて1年も経たないのに。
心よりお悔やみ申し上げます。
訃報:佐竹由美

佐竹由美さんは、高松一高芸術専門コースで2年と3年の同級生です。
高松一高は、竹内肇先生が来られて、大学の音楽と美術を目指すクラスを作られました。
それが芸専コースです。
2年生には、文化祭でオペラ、ヘンゼルとグレーテルを上演しました。その時のヘンゼル役が佐竹さんです。
3年の時、NHK学校音楽コンクールと全日本合唱コンクールでダブルで1位に輝いたメンバーです。器楽を専攻した吹奏楽は全国3位をとりましたが、合唱の方に目が向けられて、3位ねといった扱いです。
佐竹由美さんは、東京芸大音楽科声楽科に現役で合格し、芸大を首席で卒業して、御前演奏をし、ミラノに留学しました。
私が大学を卒業して、バックパッカーでヨーロッパの美術館を巡った時、ミラノに寄って佐竹さんに会おうと思ったのですが、丁度一時帰国して会えませんでした。佐竹さんはバッハの国際的な賞を取り、帰国しました。
それから博士号を取って国立音楽大学の教授、また東京芸大、愛知芸大でも後進の指導にあたられました。

芸専コースの同級生は、佐竹さんが芸大に入れたなら、佐竹さんに続けと、浪人し、また私立の音大に通いながら、芸大を目指していました。美術の同級生の浪人組も、佐竹さんを目指して東京芸大を受験しました。
私も東京芸大彫刻科を目指して浪人して、東京の美術予備校に通っていました。佐竹さんは、私の為に芸大の願書をもらってきたり、みんな佐竹さんと一緒に芸大で学生生活を送るのを夢見ていました。
私は結局3浪して、予備校の特待生に選ばれても芸大には入れませんでした。そして東京造形大学に行きました。
結局、私のクラスで芸大に何人か何度かチャレンジしても、芸大に入ったのは、現役で入った佐竹さんだけでした。

佐竹さんは、私の造形大学の卒業制作展に見に来たり、私が高松に引っ込んでも、リサイタルを高松で開くと打ち上げに呼んでくれたり。
同級生たちとカラオケに行って、もののけ姫を歌ってくれました。

私が二科展彫刻部に出品した、日大でフルートを専攻した同級生をイメージした作品を、その同級生と国立新美術館に見に行って、自分のブログに感想を書いてくれました。
会うと高校の同級生のままの付き合いです。
恩師竹内先生のレンブラント風肖像画を注文してくれた賛同者の一人です。

今も佐竹さんは、いつも心のミューズです。
佐竹由美さんのCDは、恐ろしくて、聞くには懺悔台に入る様な覚悟になります。
CDをかけると、部屋の空気がカテドラルに変わり、散らかっている部屋が、いたたまれなくなります。 そして黙って座っておれず、衝動的に部屋の片付けが始まっています。CDが終わると、気がつくと部屋が綺麗になっています。 叱られているようで、導かれているような、そして悔い改めて、償うような、そんな音の力が目に見えて展開されます。

私が数値音楽を探求しているのも、佐竹さんにお会いできたら、感想など聞かせてもらえるきっかけになれたらと思っているからです。

作品を製作するとき、佐竹さんのCDをかけます。
私の作品が、佐竹さんの歌から発するミューズに耐えられるか。歌が流れた瞬間から、清らかな歌声が、罪深き私を洗い流して、こんな哀れな作品しか出来ず、申し訳けなく思わせてしまいます。

クアドリガを作る時に、バッハのカンタータを聴きながら佐竹さんに耐えられる作品を目指しました。

毎年Facebookに誕生日祝いを交換して、近作を添付して、製作を報告できるネタに作りました。

一昨年、東京に行くかもと連絡したのが最後です。
現在、千葉に拠点を移しましたが、
気を使わせてはいけないと、出てきた事を黙っていました。
コロナが落ち着いたら、驚かそうと思っていました。
ところが
突然の訃報でした。胃がんでした。
出て来ているのを伏せて、住所は香川県のまま香典を送りました。
喪主のご主人からメッセージをもらいました。
「南さんの作品を、洗面台の上に飾って、いつも見ています。」
一高同窓会の時、歌いに来てくださった時に差し上げた誕生仏を、クリスチャンの佐竹さんは大切にしてくださっていると知り、胸が熱くなりました。

そのお母さんも亡くなられて、私の制作態度に佐竹さん親子への弔う思いが入ってきました。
佐竹さんが目指した芸術を、私が彫刻で形にしていこうと。
佐竹さんの世界観を彫刻を作ろうと。
私が製作する事が、弔いと分かりました。

同じく高松一高の同級生で香川県短期大学教授を定年退職された声楽家の田中雅純氏から、佐竹さんの追悼コンサートを企画している話を聞き、文集を出したいので原稿の依頼をされていた最中の藍月先生の訃報。
佐竹さんを思い出すままに、書いていると、自分の芸術を辿る事になってしまいました。

すみません。思い出をかき集めて、自分の都合の良いように、再結晶化させていました。










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Last updated  2023.05.08 01:07:15
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