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遊心六中記

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2021.04.13
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カテゴリ:探訪
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橘島に架かる橘橋の先に、宇治川の東岸を眺めつつ散策路を進みます。
平等院鳳凰堂の景色は見えませんが、その正面辺りを通り過ぎると散策路が分岐します。
宇治川沿いの左の道を進むと、川沿いの道路に出ます。


橘橋の方向を振り返った景色。西岸には屋形船が係留されています。宇治川観光遊覧船です。
春から夏にかけて宇治川の桜さらに鵜飼いのシーズには大いに活躍するのですが、昨年来このコロナ禍が続く中でやはり影響を受けているのでしょう。

下流側の橘島と上流側の塔ノ島とに架かる「中島橋」が正面に見えます。(資料1)


上流側を眺めますと、西岸と塔ノ島の間に架かる「喜撰橋」が見えます。

宇治と言えば、すぐに連想するのが喜撰法師です。喜撰法師は六歌仙の一人。
『小倉百人一首』の第8番目に撰歌されている
  わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢやまと人はいふなり  
が有名です。(資料2,3)

喜撰橋の名は喜撰法師に由来するそうです。
塔ノ島に架橋された当初は欄干なしの木造橋だったと言います。1953(昭和28)の大洪水で橋が流出し、数次の改修後、1966(昭和43)年にコンクリート橋になり、さらに1984(昭和59)年に現在の橋の姿になったそうです。(資料3)
 
                                                                
  
上記の平等院傍で分岐した散策路はこの喜撰橋の入口までがあじろぎの道」と称されています。

「あじろぎ」は「網代木」と記し、「魚をとる網代を仕掛けるため、川の瀬に打つ杭(くい)(『日本語大辞典』講談社)のことです。「網代」はかつては冬の宇治川の風物詩だったそうです。「川の瀬に立て、魚を追い込むのに用いる簀(す)。打ち並べた杭を横方向に竹や木で編んである。昔から、冬の宇治川で氷魚(ひお)を取るのに使われている。」(同上)網代については、網代天井、網代笠を連想するとイメージがしやすいのかもしれません。

横道に逸れます。たとえば『源氏物語』の「橋姫」には、「網代のけはひ近く、耳かしがましき川のわたりにて、静かなる思ひにかなわぬ方もあれど、いかがわせん」「この川面は網代の波もこのごろはいとど耳かしがましく静かならぬをとて」「『網代は人騒がしげなり。されど氷魚も寄らぬにやあらん、すさまじげなるけしきなり』と、御供の人々見知りて言ふ」というふうに、網代に絡んだ記述が各所に出てきます。(資料4)
参照資料によれば、『石山寺縁起』には宇治の網代が描かれているそうです。その部分図が掲載されています。

元に戻ります。
 
以前にご紹介していますが、塔ノ島に建てられた石造層塔です。「浮島十三重塔」と称され、南都西大寺律宗の高僧叡尊(えいそん)が建立した層塔で、高さ15.2m、中世石塔としては国内最大規模だとか。新宇治橋の完成と同時の1286(弘安9)年に完成し、同年11月に盛大な落慶供養が行われたそうです。(資料5)

 
                     喜撰橋上から眺めた下流の景色
上流の景色  

宇治川左岸沿いに天ヶ瀬ダムに向かう道路に出て、宇治川の上流に向かいます。
 
     
      西岸の上流側から朝霧橋を眺めるこの場所は、
  
宿木之古蹟(寄リ木之古蹟)が立つところです。
宇治十帖(五)「宿木」にちなんで想定された古蹟です。駒札には、
      宿りきと思い出でずば木のもとの 旅寝もいかに寂しからまし
と薫君が口ずさんだという歌に絡めて案内が記されています。この歌を詠み、匂宮には恨まれることに・・・・・。
                     
宇治川沿いには、要所要所にこんな案内板が設置されています。
宇治川利用者への注意喚起の説明板です。

 
橘島と宇治川右岸(東岸)との間に架けられた朝霧橋の全体を上流側から眺めた景色です。
東岸の上流側に見える朱塗りの橋は宇治川発電所の貯水湖につながる河口部に位置する「観流橋」です。(資料5)
この観流橋の東側に「興聖寺」があります。
(2013.11.10撮影)
興聖寺への入口の門は東岸の道路(府道247号終端の南)に面しています。
(2013.11.10撮影)
この門の内側から宇治川を眺めた景色は、地図で確認すると、対岸(西岸)に花やしき浮舟園と京宇治静山荘という建物が建っているのが見えます。

 
『両岸一覧』に載る対岸から眺めたこの興聖寺の景色を、残念ながら西岸側の道路から眺めることはできません。

  
地図を見ますと、対岸の興聖寺の南側には東禅院と旅館亀石楼があります。
 
この対岸の景色は、上掲の現在のこれらの建物群のあるあたりに相当するようです。
『両岸一覧』には、興聖寺の南、宇治川の上流側に、「興聖寺の隠居」があり、川中には「亀石」と称される岩があると伝えています。上掲の対岸あたりは、かつてはこんな景色だったのでしょう。

江戸時代に出版された『都名所図会』を読みますと、この挿画の左端に描かれている「観流亭」について、見出し項目を設け、「(岸の上、東禅院にあり)」と記し、その続きに「亀石(観流亭の汀にあり。形亀に似たり)」と説明を加えています。(資料6)
また、本居宣長は19歳の晩春に二度目の上京をしているそうです。いわば、「宣長の修学旅行」(資料7)だったとか。その折、4月24日に宇治平等院・興聖寺他を参詣していて、「東禅院ノ前、川ハタニアル小菴ヲ観流亭ト云、奇石多シ」という記録を残しているそうです。(資料7)
観流亭のその後は? 少し調べてみましたが、現存するのかどうかも含めて不詳です。



  
水位の観測所でしょうか? 川に突き出た形の建物が設置されています。

 下流側 
  上流側 
           
  
こんな掲示板が設置されています。以前にもこの道を往来したことがありますが、今回初めて気づきました。「ナカセコカワニナの保護観察地」だそうです。

  下流側
      
 
                上流に吊り橋が遠望できます。
 
この近くで道路の反対側(西側)を眺めると、白川地区への道路が分岐し、角には「白川 白山神社の道標が立っています。
 
宇治川沿いの道路をさらに少し進むと、右手(西側)に「白川 もみじ谷」への案内板が設置されています。
 
自転車を駐めて、この案内板の先に向かうと谷川沿いの正面に左折して上る階段が設置されているので、今回はその手前でこちらの探訪はストップです。

再び道路に戻って、宇治川沿いにさらに上流へと向かいます。

つづく

参照資料
1) ​宇治公園(風致公園)​  :「京都府」
2)『百人一首』 全訳注 有吉保著 講談社学術文庫 
3) ​喜撰橋 京阪沿線の名橋を渡る​ 若一光司 :「KEIHAN」(京阪電車)
4)『源氏物語 5』 新編日本古典文学全集 24 小学館 p126,p135,p149
5)『京都府の歴史散歩 下』 京都府歴史遺産研究会編 山川出版社 p66
6) 『都名所図会 下巻』  竹村俊則校注  角川文庫 p128
7) ​宣長の修学旅行​  :「本居宣長記念館」

補遺
宇治川観光遊覧船​ :「観光ガイド」
あじろぎの道の紅葉特集~見頃が遅めな宇治川左岸の散策路​ :「Open Matome」
宇治の網代木​ 宇治紀行その3 :「鮎宗」
  「宇治川の網代木想像図」が紹介されています。
網代笠​ :「禅宗お坊さんのブログ布教」
自然の造形に感動 ! 宇治川の亀石​  :「京都の春夏秋冬とプラスα」
白山神社​ :「京都宇治観光マップ」
白山神社(宇治市)​ :ウィキペディア

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    ​ 宇治(探訪・観照)一覧


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Last updated  2021.04.14 11:42:26
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