さて突然ですが、京都市の中心部を流れる鴨川をどんどん遡っていくとですね、出町柳というところで河は二股に分かれておりまして。
そこから八瀬方面と上賀茂方面にその源流を伺い知ることができるんですが、八瀬方面がいずれ滋賀県に行き着くのに対して、上賀茂方面は雲ヶ畑というとこで道が途絶えるんですね。
古くから京都では雲ヶ畑を鴨川の水源地と考えていたようで。
雲ヶ畑が汚染されると、下流にある京都御所、及び京都の街一帯に影響が及ぶであろうことから、住民は水を汚さないよう、とても気を使って生活をしてきたらしいんです。
かつては死者の埋葬や、おむつをゆすぐことすら許されなかったとか。
時の朝廷とも強固なつながりがあったことから、古くはある種の不可侵領域だった、と解釈してもいいような気もします。
ちょっとどんなところか、見に行ってみたいな、と。
天然のサンショウウオも生息しているとのことですし。
現在はひたすら過疎化が進んで、わずか60世帯程度しか住んでる人がおらず、将来的な廃村も懸念されているだけに、思いついたが吉日、と車を走らせた私でございます。
目的地は雲ヶ畑出谷町61号線の行き止まり。
果たして鴨川の「最初の一滴」にお目にかかれるや否や?
京都市の北の端、柊野堰堤。
このあたりから山に入っていきます。
広くはないですけど、過去走破してきた悪夢のような山道に比べれば全然走りやすいですね。
出合橋。
雲ヶ畑の中心、みたいな。
見た感じ、サンショウウオは居ないね、うん。
そりゃ、そんなにごろごろ居るもんではないわね、うん。
思ったより早く来れちゃったんで、付近を観光するかな、と思ったんですが、うーん、興味を惹かれるところが全くない・・・。
水源地らしい特別な佳景ってわけでもないですし。
とりあえず、岩屋山志明院ってところに行ってみることにする。
空海ゆかりのお寺なんですが、作家の司馬遼太郎がここの宿坊に泊まった際、ポルターガイスト現象にも似た不思議な体験をした、とエッセイで綴ってます。
京の街を追われた魑魅魍魎どもが巣食う最後の砦、などと言う方もおられるようですが、寺に妖怪が常駐してちゃまずいだろ、と私は思うんですけど、さて。
着きました。
かつてはここに観光バスが来てた、ってんだから驚きだ。
道中、バスが行き来するような道じゃなかったぞ、いや、ほんとに。
で、ですね、本来なら境内の様子を詳しくレポートして、魑魅魍魎の一匹や二匹を写真に収めたいところなんですけど、実はちょっとしたトラブルがありまして。
詳しくは書きませんが、人的トラブル、とだけ。
すいません、来た道を引き返しました。
二度と来るか、と思いましたね。
こういうことって、これまで一度もなかっただけに残念だ。
んっとに、あのクソバ・・・いや、なんでもないです、はい。
本来の目的地を目指します。
ほうら、ごらん、荒れてきたよ、道が。
うわー、行けるのか、これ。
舗装がここで途絶える。
普段はこの先を封鎖してるっぽい。
この小さな渓流が鴨川にまで流れ込んでるのは間違いない。
間違いないんですけどね、ここから歩こうにも車を停めておけるスペースが全くないわけですよ、これが。
いかに山奥とはいえ、道を塞いで駐車しておくわけにもいかないですしね。
ここからさらに車で強引に進んで、Uターン出来ずに立ち往生も嫌だし。
なんせGPSで確認した限りではこの先に道が存在しない。
えっ、どうしよう。
ひょっとしてしくじってる?俺?
さあ、困った。
いきあたりばったりで衝動的に出かけるやり方がついに破綻ということなんでしょうか、これ。
志明院あたりから嫌な予感はしてたんだよ、ほんと。
とりあえず、いったん鴨川の源流は忘れよう。
それがお互いのためだ、うん。
そういうことってよくあるじゃん、世の中さあ。
すでに賢明な諸氏は、写真を見て、私が別の場所に向かっていることを察知してくれているであろう。
山々を大きく迂回して、たどり着いたのがここ。
地理的には貴船からさらに山奥へ進んだところとなります。
以前から行こうと思ってたんだけど、周りに何もなさすぎて躊躇してた。
ここだけを目当てに出かけるのもなあ、みたいな。
通る人もめったに居ないであろう林野の深部にぽつんとあるのが「仏返りの地蔵尊」。
何が凄いって、このお地蔵さん「難病治癒の神様で、拝すれば危篤の者ですら蘇る」と言い伝えられていること。
識者の間では密かに「最強」との呼び声も高いらしい。
で、ですね、実は私、ここで本日3度目の失態を犯しておりまして。
帰ってきてから気づいたんですけどね、仏返りの地蔵尊が安置されてる建物の外観が、知られているものと違うんですよね。
コンクリートブロックを組みあげた辻堂に地蔵尊は祭られてるはずなんです。
これ、木造やがな!
だ、誰?どちら様っ!
自分が間違った地蔵さんに手を合わせていたこともつゆ知らず、ついでだから寄っとくか、みたいな感じで車を流したのが府道40号線、通称幽霊街道。
両手を上げて走ってくる女の幽霊を見た等、目撃情報の絶えないバイパスなんですが、なんら怪現象の背景が見えてこないことから眉唾かな、と私は思ってて。
というかもう少しピンポイントで場所を特定できないと40号線も長いわけだし。
どこに居るんだよ、幽霊。
怖くもなんともねえよ。
さて、ここまで読んでくださった思慮深い閲覧者の皆様方はそろそろお気づきであろう。
お前、今回、どこにもたどり着けてねえじゃねえかよ!と。
えっ、普通ならこんなの記事にしない、って?
わかってます、それは重々に承知しておりますのですよ、皆様方。
でもね、でもね、ほぼ1日がかりで私は写真撮ってきてるわけですよ、こんな内容とはいえ。
なにか形にしてやらんことには報われんじゃないすか。
あ、怒ってます?
お詫びの動画(注:現在は削除されてます)。
最初から音外してるんでボツにしようと思ってたもの。
笑ってやってくれい。
こんなところでなんとかご勘弁を。
次はもうちょっとがんばります、これに懲りずにまた来てね。
いや、ほんとすまん。
せめてサンショウウオがいればなあ・・・。
一番無理難題だろうが、それ。
↑ 司馬遼太郎が岩屋山志明院について書いたエッセイ
<終わり>
2019.8探訪
コメント
[…] 皆様方のご期待に沿う内容になってることを祈りつつ、まずはここだっ!(前回、しくじってるので微妙に及び腰) […]