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マラソンの起源は?なぜ半端な42.195kmを走るのか知ってる?

2021/8/7
2021/8/6
マラソンの起源は?なぜ半端な42.195kmを走るのか知ってる?

世界中に競技者がいるマラソン。知らない人がいないほど有名なスポーツですね。

ところが、なぜマラソンの距離が「42.195km」という半端な距離に定められているのか、その理由を知る方は少ないのではないでしょうか?

そこで、この記事ではマラソンの起源や距離の理由についてご紹介するとともに、まるでマラソンのように参加者が全力で走り回る日本の奇祭についてもご紹介します!

マラソンの起源と42.195㎞の意外な理由

マラソンの由来は「マラトンの戦い」

マラソンの由来には諸説ありますが、「マラトンの戦い」にちなんだものが有力視されています。

これは、紀元前490年にペルシアの大軍をマラトンで破った一報を本国へ知らせるため、ギリシャ軍の兵士が約40km離れたアテネへ走った故事がマラソンの由来とする説です。

伝令はアテネで報告を果たした後に絶命しますが、この功績を讃え、兵士が走った約40kmを1896年開催の第1回アテネ五輪で走ったのが、マラソンの競技としての始まりだそうです。

ちなみにマラソンとは、マラトン(Marathōn)を英語読みしたものです。

距離が42.195kmになった理由は?

42.195kmという中途半端な距離になったのは、1908年の第4回ロンドン五輪のときでした。当時のイギリス王妃アレクサンドラの注文によるものだとされています。

アレクサンドラは「マラソンのスタート地点を宮殿の庭に、ゴールを競技場のボックス席の前へ」と注文したそうです。
当初は42kmで競う予定でしたが、この一言のため距離が若干伸びて42.195kmになったとされ、それが現在まで踏襲されています。

まるで“裏”TOKYOマラソン!?東葛西の奇祭「雷の大般若」

毎年2月、ちょうど東京マラソンと同時期に、東京江戸川区の東葛西を着物姿の青年たちが7時間かけて駆け巡るお祭りが開催されます。

その名も「雷の大般若(いかずちのだいはんにゃ)」。

このお祭りは、コレラが蔓延した時代に、雷不動真蔵院の住職が大般若経の経典を背負い家々を回ったところ被害が収まったことに由来します。

また、結核にかかった妹のために兄が妹の長襦袢を着て厄払いをしたことがきっかけとなって、現在は、参加者の青年たちは口紅や白粉などで華やかに女装して祭りに臨みます。

経典の入った箱以外にも不動明王の宝剣、錫杖や賽銭箱など様々な物を担いだ参加者たちは、まるでマラソンのごとく雷町会内を所せましと駆け巡り、約500軒の区民の家々をまわって無業息災を祈願します。

江戸川の【裏】TOKYOマラソンを追え!雷の大般若をレポート!

まとめ

今回はマラソン競技の起源や42.195kmという中途半端な距離になった理由、さらに、あたかもマラソン大会のようなお祭りをご紹介しました。

マラソンまで長距離でなくても、ジョギングをしたり軽く走ったりすることは、健康的な身体作りやダイエット効果が期待できるとして多くの方に親しまれています。

そして段々と距離をのばしてマラソンに挑戦する人が増えていることは、日本を含む世界中で、大・小さまざまな大会が数多く開かれていることからも分かるでしょう。

ときには競技の歴史や雑学を知ると、よりそのスポーツが楽しめるようになるかもしれませんね。

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