既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第2節 和牛の改良と登録

4.昭和戦後期における和牛の改良と登録

(2) 和牛登録事業の進展

   1 登録事業の進展

 全国和牛登録協会が登録事業を始めるに当たり,黒毛和種審査標準は,昭和22年(1947)に中国和牛研究会において作成された改正案を採用し,登録規程等は,一応全国農業会の役肉用牛登録規程を,そのまま受け継いだ。ただし,本登録の合格点数だけは「75点」となっていたのを「77点以上」に改訂した。なお,この時から25年(1950)までは,開放式登録制度を採っていて,基礎牛,補助登記牛,予備登録牛,本登録牛と段階的積上げ方式による登録が行なわれていた。

    黒毛和種審査標準
        (昭和23年3月3日制定,25年10月29日一部改正,32年2月25日一部改正)

   被毛黒く,体躯は大体長方形で,各部の均称宜しく,体積豊かで,筋腱よく緊り,四肢強堅,動作は活発で,牝牡それぞれの品位を備え,性質温順,体質強健で,飼料の利用性に富み,牝では生後30ヵ月,牡では36ヵ月でほぼ成熟し,完熟(牝生後約50ヵ月,牡約60ヵ月)したものでは体高牝約125センチメートル(4尺1寸3分)牡約137センチメートル(4尺5寸2分),体重牝約420キログラム(112貫)牡約700キログラム(187貫)に達し,体高に対する各部の大きさは大体次の比率を保つこと。

体高 十字部高 体長 胸囲 胸深 胸幅 尻長 腰角幅 かん幅 坐骨幅 管囲
100 100 118 142 53 36 40 39 36 24 13
100 98 122 153 55 38 41 38 37 25 15

 (注 以下部位の説明を省略して,部位とその標点だけを示すと次のとおりである。)

 昭和25年(1950),黒毛和種登録規程の改正により,従来の開放式登録から,新しく高等登録制度を採択した閉鎖式登録制度が採用され,補助登記牛,基本登録牛,高等登録牛の登録段階に分けられ,基本登録は75点以上となった。また,和牛の遺伝的不良形質の除去計画が樹立され,失格条項の改訂と相まって,高等登録資格の中に取り入れられるようになった。その後,審査標準は,32年(1957)2月,肉利用に若干重きを加え,役乳利用も徹底を図るねらいで。審査項目も整理された。ついで,37年(1962)2月,役利用は一応従来どおりとし,産肉能力にさらに重きを加えて改訂され,さらに47年(1972)2月,審査部位を8部位に統合し,標点の改訂が次のように行なわれた。(部位の説明を略す。)

  2 蔓牛造成と育種登録

 和牛の登録事業は,経済能力の低い個体の生産される可能性を排除しつつ,安全な方策によって,集団的に,漸次経済能力の高い和牛に改良することをねらいとして実施されている。一方,中国地方に古くから存在する「蔓」は,特定の優秀な経済形質を,強力遺伝する系統牛群である。この両者は,あたかも織物の経と緯との関係に似て,両者を並行して着実な和牛の改良が期せられるものである。ところが,蔓の名声が高くなるにしたがって,有名無実となり,功より害を及ぼすという傾向の蔓も生ずるようになったので,全国和牛登録協会は,古来の蔓の調査を行ない,新しく同志的,団体的意図をもって,蔓の造成に取りかかった。昭和25年(1950)2月,蔓牛規程を制定し,研究会,委員会等の検討を経て,27年(1952)に,「あづま蔓牛組合」(広島県比婆郡)と「あつた蔓牛組合」(兵庫県美方郡)の2つが初めて認定され,新しい蔓の造成が始められた。
 岡山県においては,阿哲郡新郷村(現神郷町)で造成された日本最古の「竹の谷蔓」が有名であったが,第二次世界大戦の戦中戦後の混乱期に基礎牛の散逸がはなはだしく,もはや往年のような名実兼備の蔓とは認めがたい状態になったと見られていた。もっとも,新郷村役場に任意の蔓牛組合が戦前から設置されていて,蔓牛の血統証明を行ない,昭和24年(1949)4月17日には,改めて「竹の谷蔓牛改良組合」が設立され,事務所を千屋種畜場内に設けるなどして再興を期し,前述の蔓牛規程による認定組合として,往年の名声を取りもどそうと努めた,しかし,25年(1950)12月,広島,兵庫とともに岡山(新見町)でも全国和牛登録協会主催の蔓牛組合懇談会を開催するところまで行ったものの,最終的には基礎牝牛の保留実績に乏しく,片蔓であり,かつ,指定種牡牛の条件をみたすものを見つけることができないで,認定組合とはなり得なかった。
 このことと直接の関係はないが,32年(1957)には,苫田郡に独自に「ふじよし蔓牛造成組合」が結成されている。
 蔓牛造成にあたり,当然行なわれる近親繁殖や系統繁殖によって,優良形質が固定されると同時に,一方では改良しなければならない欠点も固定されるようになった。そこで,蔓牛間交配により相互に採長補短する方向で,蔓牛造成や高等登録の実績に基づいて,とくに優秀な個体を生産することを目的として,昭和33年(1958)優秀個体計画生産(優生計画)研究会規程が作成され,岡山県(阿哲郡および真庭郡優生研究会)ほか兵庫,鳥取,島根,広島の主要生産地に「優生計画」という育種事業が開始されるようになった。この事業は,中国地方の主要な和牛生産地において,優秀繁殖牛群を基礎として,計画交配,後代検定,産子調査などの育種的手法を加えて,計画的に優秀個体を造成しようとするものであった。遠隔の指定牛の計画交配に当たっては,凍結精液を全面的に利用することが,35年(1960)4月に決定されている。
 前述のように,優生計画や蔓牛造成の結果を基として「育種登録」が実施される段階になり,これに関係のあった地帯では,育種組合が結成された。37年(1962)6月から8月にかけて,6つの和牛育種組合が,中国地方に設立された中に,岡山県では阿哲和牛育種組合が設けられている。真庭郡についても育種組合設立について検討されたが,この時点では,牛の血縁関係から条件に該当するものが少なく,技術指導陣容も十分充実したとは認められないで見送りとなり,のち47年(1972)に育種組合が設立された。

   3 和牛の遺伝的不良形質の除去と後代検定事業

 柴田清吾ら(昭和23年)の『和牛における遺伝的畸形に関する研究』によれば,昭和19年(1944)以降,中国地方の和牛主産地における遺伝的不良形質の調査により,無毛13例,長期在胎24例,肢弯縮10例,単蹄33例,盲目12例,小眼球,矮小,下顎開張不全各一例を報告している。
 このうち,岡山県の和牛に関係の深いものは単蹄(「ふでずめ」という)であって,33例中31例が県下の主要産牛地の3郡に発生し,これらはある著名な種雄牛の子孫に属し,「この奇形因子は,突然変異によって,ある1頭の牛に発生し,それがヘテロの状態で著名な種雄牛に遺伝したために,この子孫牛に多数発生したもの」と考えられていた。
 全国和牛登録協会は,昭和25年(1950)から,遺伝的不良形質除去計画をたてた。この中で単蹄は,35年(1960)に2頭の発現を見るまで,ごく散発的に発生していたが,その後は全く出現しなくなった。このほか,盲目(脳水腫らしい),褐毛,乳房部恥骨部以外の白斑,乳頭不足,豚尻などの出現記録があったが,現在では白斑,乳頭異常が散見されるに過ぎない。
 さて,この事業開始以来約30年間,厳重な淘汰を重ねて来たところ,@最近はその出現が格段に少なくなった。Aもし祖先に不良形質の出現のあったものでも,産肉形質のすぐれたものは,後述する後代検定の結果,不良形質についてヘテロ接合体でないことが証明されたものは,繁殖に供用して,産肉能力の改良に役立つように,ということになった。
 現在黒毛和種において,明らかに遺伝的不良形質と考えられているものは,無毛,長期在胎,下顎関節強直,先天性盲目,小眼球,単蹄,無毛,遺伝性肢れん縮,豚尻,乳頭数不足(含乳頭異常),褐毛,白斑の13種であって,これらを便宜上3つに類別して淘汰することになっていることについては記述したとおりである。
 種雄牛の産子検定は,種雄牛の産子検定規程(昭和33年2月制定)によって実施されるもので,種雄牛の産子成績を見て,その遺伝能力を判定するものである。岡山県においては次の種雄牛が,この検定を受けた。すなわち,第29安保(黒高79),第一大町(黒育8),幸福1(黒高113),千代田(黒高78),第6吉花(鳥取)(黒育10),第11松田(黒育14),第2中山(黒育17),守一(黒育24),藤岩(黒育35)および奥繁(黒育53)である。
 種雄牛の遺伝的不良形質に関する検定は,種雄牛の遺伝的不良形質に関する検定規程(昭和31年3月制定)により実施されるもので,検定の対象となる形質は,単一劣性因子に限定し,ヘテロ接合体でないことを証明する検定であって,岡山県で本検定ずみの種雄牛は,第29安保(黒高79),第一大町(黒高8),幸福1(黒育113),千代田(黒高78),第6吉花(黒育10,鳥取県で供用)である。

   4 種雄牛の産肉能力検定事業

 和牛の産肉能力検定は,全国和牛登録協会の産肉能力検定法(昭和43年4月1日施行,最終改正昭和51年1月30日)により実施されるもので,これには直接法と間接法とがある。
 直接検定では,種雄候補牛を離乳後16週すなわち112日間(初め180日,数次の改訂により112日)飽食飼育し,その間の増体量と飼料効率とを調査して,産肉能力のすぐれた種雄候補牛を選抜しようとするもので,昭和49年(1974)4月から実施されている。岡山県では51年(1976)までに198頭実施し,その成績は表2−2−18のとおりである。この検定は,後述する「肉用牛種畜生産基地育成事業」の中に組み込まれている。
 間接検定は,検定しようとする種雄牛について,その牛の去勢子牛(初め6頭,現在は8頭以上)を52週すなわち364日間(初め329日,途中301日となり,51年4月から364日)若齢肥育し,その間の増体量,飼料効率,肉量,肉質について調査し,その成績によって,検定しようとする種雄牛の遺伝的産肉能力を判定しようとするものである。検定開始から現在までに200頭以上が検定されている中で,岡山県では表2−2−19のように17件16頭の検定が行なわれている。(全国和牛登録協会による検定を開始する以前に検定されたものがこのほかに12頭ある)

 間接検定の結果,その成績が,全国和牛登録協会の登録簿に公示されるのは,1日平均増体とロース芯の脂肪交雑であって,育種登録の申込み資格にも,これらについて一定の条件がつけられている。昭和52年(1977)までに全国18府県において実施されている。