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高校1年の田中将大は「捕手」で秋の神宮出場…なぜ次のセンバツで投手として“覚醒”できたのか 

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西尾典文

西尾典文Norifumi Nishio

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2021/02/04 17:03

高校1年の田中将大は「捕手」で秋の神宮出場…なぜ次のセンバツで投手として“覚醒”できたのか<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

2004年秋季全道高校野球秋季大会決勝で捕手を務めた駒大苫小牧の田中将大。その後の明治神宮大会では「背番号2」をつけてマスクをかぶった

 5番を任されていた打撃でも第1打席で外角のボールをしっかり踏み込んでレフト前に弾き返し、非凡なところを見せていた。ちなみにこの試合では同じ1年生だった本間篤史が4番に座り2本のホームランを放つ大活躍を見せているが、ノートのメモ量を比べてみると本間が4行に対して田中が倍となる8行の記載があり、それだけ“捕手・田中将大”が魅力的だったのだろう。

 田中は翌日の羽黒高戦で7番・ピッチャーとして先発。この試合では最速141キロをマークし、1年生らしからぬスピードは見せていた。しかし、結果は6回を投げて被安打10、4失点で負け投手となっている。当時のノートには「少しかつぐ(テイクバックで右肩が下がること)野手投げだがボールの勢いは十分。投手もこなせる野球センスは◎」とある。この記載からも分かるように、当時は“投手もできる捕手”という評価だった(ちなみに降板後に再びマスクをかぶっている)。

投手・田中将大の覚醒

 そんな田中の将来性の針が一気に投手に傾いたと感じたのは翌年春のセンバツ高校野球だ。神宮大会では背番号2だったが、この大会の田中は背番号10で出場。1回戦の戸畑高戦では1失点完投勝利をおさめると、チームは2回戦で神戸国際大付高のエース・大西正樹(元ソフトバンク)に1安打完封負けを喫したものの、田中は6回から3番手で登板し、4イニングをパーフェクト、5奪三振という圧巻の投球を見せた。

 当時のノートにも「秋と比べると下半身の充実ぶりが目立ち、左足にしっかりと体重が乗り、前で大きく腕が振れるようになった」とある。プロフィールを見ても185cm、79kgとなっており神宮大会からひと回り大きくなっていることがよく分かる。この試合でストレートは最速145キロをマークし、スライダー、フォークも超高校級と言えるレベルのボールになっていた。

 チームが2回戦で敗退し、自身もわずか4イニングでの登板に終わったため語られることも少ないが、このセンバツは“投手・田中将大”が覚醒した大会と位置付けても良いのではないだろうか。

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