連帯責任って必要?不要?
こんにちは。今日は連帯責任について書いていこうと思います。
結論をいうと、私は連帯責任が好きではありません。不要だと思っています。
私が子どもの頃、よく連帯責任を負う場面が多くありました。5分前に着席してない子のせいで宿題が増える、片付けができていない子のせいでおもちゃが禁止、お兄ちゃんがゲームをし過ぎたせいでゲーム機を隠される(笑)
挙げたらきりがありません。
私はこの連帯責任の中に潜む【~のせい】が子どもに悪影響を及ぼすのではないかと思っています。
まず、連帯責任とはいったいなぜおこなうのでしょうか。なぜおこなう必要があるのでしょうか。
よく教育現場では「A君1人の行動で、周りが迷惑するんだよ。」という戒めの言葉をかけながら連帯責任を負わせる場面がよくあります。
それによってA君の行動を抑制しようとします。
連帯責任=抑止力のような気がします。
再度言いますが、私は連帯責任が好きではありません。 ただ、悪いとも思っていません。
実際、連帯責任が功を奏し、問題行動を抑止することができているからです。
ただ、【~のせいで】という気持ちが子どもたちの人間関係を悪化させる気がするのです。
実際、私が働く学童の現場でも連帯責任を負わせる場面があります。
よく、子どもたちが支援員の連帯責任話が終わった後
「また、~のせいで禁止になったよ・・・。」とボソッとつぶやいていることがあります。
私はこの状態に陥ることが好きではないので、連帯責任が嫌いです。
子どもからしたら、そう思うのは当たり前ですよね。だって、自分はルールを守って楽しく遊んでいたから。その楽しく遊んでいたものが急に他人のせいで目の前から消える感覚は非常にストレスがたまると思います。
そのストレスの行き場はどこに行くのでしょうか。 当事者の子ども?ほかの友達?支援員?保護者?
何だか負の連鎖が起こりそうな雰囲気がプンプンですね(笑)
私たち人間は何度も失敗や過ちを繰り返して成長する存在です。それは大人も子どもも関係ありません。
特に子どもたちの成長の段階は段数が多く、たくさんの種類があります。真っすぐな階段なんてありません。紆余曲折を経て成長していきます。
その失敗や過ちは個人の財産であると同時に、自己責任であると思います。自己で過ちを振り返り、次は気をつけよう、やらないようにしようと努力することが大事であり、その失敗や過ちを他者に無理に押し付け連帯責任にすることが子どもの健やかな発達、成長に繋がるのでしょうか。
私は連帯責任によって、当事者の子どもが周りのことを考え行動を止めるのと引き換えに、その子が周りに疎まれ、憎まれ、卑屈になるくらいなら、その行動に対し、一緒に何か違うやり方を模索したり、周りがなぜ迷惑しているかを理解してもらおうと努力する方が好きです。
私たち教育者は子どもが何度同じ過ちを繰り返しても、その過ちを連帯責任を通して責め、負い目を感じさせるのではなく、過ちまでの過程を共に探り原因を究明することが大事なのではないでしょうか。
実際、私たち大人が職場でミスや失敗をした人に対し連帯責任を負わせることってありますか。もし、そんな職場があるなら、それは残念な職場だと思います。
もっと私たちは子どもの行動に大らかさを身につけ、時には優しく、時には厳しく関わり、失敗や過ちを焦らずじっくり見守り、成長を楽しむことができたらいいですね。
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