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高田渡「生活の柄」-来たる秋のためのカントリー・ロック②-

 こんちゃす。
 今回も前回に引き続き好きなカントリー・ロックについて。

 今回は高田渡の「生活の柄」。

 高田渡は60年代後半から70年代にかけて栄えた日本のフォーク・ミュージックの先駆者的な存在で、今回紹介する楽曲「生活の柄」は、彼の作品の中でも最高傑作の呼び声が高い1973年のアルバム「ごあいさつ」に収録されている。
 カントリー・ロックの記事の二回目にして、早速カントリー外のアーティストになってしまった感じだけど、この曲で演奏されているバイオリンはカントリーっぽいニュアンスがあるし、カバー・バージョンはカントリー的な解釈のものが多い。また、この曲は「When I’m Gone」という曲を元にしていて、その曲を発表したのがアメリカのカントリーの大御所、カーター・ファミリーである。

   なので、今回紹介する「生活の柄」も広い意味ではカントリーとも解釈できるのではないか、と思い、選んでみた。

 この曲を知ったのは高校生の頃で、ちょうどはっぴいえんどを知り、彼らにどハマりしていた時期だった。アルバムを集め終え、もっと他の音源も聴きたい、と思った私は、彼らがサポートとして参加した作品も調べるようになった。その過程で購入したのが、高田渡のアルバム「ごあいさつ」だった。
 この作品の演奏ではっぴいえんどは何曲か参加しており、特に「銭がなけりゃ」での大瀧詠一のバック・コーラスの存在感は強烈な印象を与えた。

 しかし、一番印象的だったのは彼らが参加した楽曲ではなく、一番最後に待ち構えていたこの「生活の柄」だった。
 それまでユーモラスで大らかな印象の曲が続いていたのが、この曲で突然切なく、染み渡るような雰囲気に一変する。そこで一気に惹きつけられてしまったのだ。
 歌詞は沖縄県出身の詩人、山之口貘によるもので、住む場所を決めずに野宿を繰り返す主人公の気持ちを歌っている。
また、高田渡はこの詩を曲に載せるにあたり、山之口のオリジナル版の構成や言葉遣いに少々変化を加えている。

歩き疲れては 夜空と陸との 隙間に潜り込んで
草に埋もれては寝たのです ところ構わず寝たのです

 曲の歌い出し部分。実際に住む場所を転々としていた山之口の実生活をそのまま写したような言葉に、飾り気のない演奏と歌声が重なる。すると、自分もこの詩の主人公のように、自然と密接な関係を持ちながら生きているような気分になる。
 日本は気候や気温の変化が激しく、現実的に野宿はかなり過酷なもののはずだ。しかし、この詩のように、住む場所や時間にとらわれない生活は、忙しい世の中から逸脱した「究極の自由」のような感じがあって、少しながら憧れを感じてしまう。
       そんな僕の 生活の柄が 夏向きなのでしょうか
    寝たかと思うと 寝たかと思うと またも冷気にからかわれて

 私が一番好きなフレーズ。野宿を繰り返していたが、夏が終わり、主人公は寒さのため外で寝ることが難しくなってきている。
 その人にふさわしくない、合わないことを「柄でもない」と表現するが、ここではその対象を「生活」としている。

 この部分の本来の意味は「冬は野宿が難しそうだ」というシンプルな意味になる。しかし、捉え方によっては「夏」というイベントの多い賑やかな季節が終わり、寒い冬を予感した時のなんとなく感じる寂しさや、季節の変わり目の憂鬱などを表現しているようにも思える。
 そのため、今のような季節の変わり目にこの部分を聴くと、すごく感情移入してしまって「俺の生活の柄も、夏向きだったのかなー」なんて、思っちゃったり(ちなみに私の一番好きな季節は秋です)。

 この曲についての探究心が高まり、歌詞を書いた山之口貘の詩集を購入したのですが、それについていた年表で、この「生活の柄」を書いたのが22歳の時だった、と知り、あまりの若さと才能に驚愕しました…。22歳で「生活の柄」って…。


 男女二人組ユニット、ハンバートハンバートのカバー・バージョン。

 会場の空気感も曲の世界にマッチしていて素敵。


 では!

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