見出し画像

【WBC・侍ジャパンメンバーのあの頃】平安・原田英彦監督は高橋奎二を不安だらけでプロに送り出した……

WBCことワールド・ベースボール・クラシックで日本一に輝いた侍ジャパン。その流れで、NPBの試合で見たり、一球速報を追ったりする際に、各選手のバックボーンを知っていると、よりおもしろく、より愛着を持てるはず! そんな選手の背景がわかる『野球太郎』の過去記事を公開します。

今回は高橋奎二(ヤクルト)をご紹介。若くしてヤクルトの先発を支えるサウスポー。高校時代から10キロ球速アップし、立派な侍ジャパンの一員になりました。
ただ、センバツ優勝に貢献し、3位と上位指名も、龍谷大平安高の原田英彦監督は高橋奎二に不安しかなかった? そんなドラフト指名時を『野球太郎No.017 2015ドラフト総決算&2016大展望号』に掲載した記事で振り返りましょう。
(取材・文=谷上史朗)

平安史上初のセンバツ優勝をもたらした快腕

“3位”に抱いた指揮官の不安

 ドラフトから2週間余り。皇子山球場で行われていた近畿大会で準々決勝を終えたばかりの原田英彦監督に声をかけた。「高橋、おめでとうございます」。すると返ってきた第一声は。
「いやあ、僕は怖いんです」
 3位指名という上位評価に加え、プロ入り自体への不安を指しての一言だった。原田監督は高橋の進路について当初、社会人行きを勧めていた。2年半指導してきた指揮官の思いはこうだ。
「力はつけてはきました。伸びしろもあると思います。ただ、気持ちの面がまだまだ甘い。なら、社会人でしっかり人間的な部分を鍛えてもらってからプロという方がヤツに合ってると思うんです」
 これは進路を決めかねていた9月頭に聞いた言葉だ。高橋は「できれば直接プロへ」と口にしていたが、何が何でもいま……、という強い思いは感じなかった。しかし、それから間もなくプロ志望届を提出。本人、家族の意思を尊重する形となった。そしてドラフトではウエーバー方式により、2巡目の最後と3巡目の最初での連続選択となったヤクルトが指名。2位の廣岡大志(智辯学園)と同等という声も聞こえる高評価だった。

2年夏以降の停滞
「キャンプでは『ようこんなボールでプロにきたな』って言われますよ」
「これで変わるかな、と思ったら変わり切れずに終わった。ほんとに甘いんです……」
 原田監督の心配の声はしばらく続いたが、高橋の最大の魅力は伸びしろだ。中学時代は4年前まで龍谷大平安の練習場があった亀岡市で部活と軟式のクラブチームを掛け持ち。野球三昧の毎日を過ごしていた。地元の好投手の評判は原田監督の耳にも届き、自然な流れで龍谷大平安へ進学。体が細く、ボールも目立つほどではなかったが、1年秋にベンチ入りすると、投手陣のやりくりに苦労していたチームの救世主となる大活躍を見せた。
 特に近畿大会では全4試合に投げ、優勝の立役者に。これが翌春の平安史上、春夏70回目の甲子園出場にして初のセンバツ制覇に繋がった。高橋への注目も高まり、どこまで伸びるのか、と期待が膨らんだが、結果から言えば、物足りなさを残した。2年春から3季連続で甲子園出場を果たすも、ストレートのボリュームがいま一つ上がってこなかったのだ。

アクシデント発生
 ただ、最後の夏の高橋を僕は見ていない。夏の京都大会の投球内容、そこまでの経緯がどうだったのか、と夏が終わった時にたずねた。
 すると「あの時は抜群によかったんです」と原田監督が言い、高橋も「高校のなかで一番よかったかもしれません」と振り返る試合の話題になった。6月の2週目に行った愛工大名電との練習試合だ。夏の愛知大会、準決勝までの5試合で48得点を叩き出した強力打線を7回まで3安打、0封。しかも本人が「狙われてるとわかって投げてもファウルが取れた」というストレートの手応えは、それまでにないものだった。感触だけでなく、実際に球速もこの時期で145キロまで上がっていたというのだ。
 実は夏へ向かうある日、原田監督が高橋を一喝したことがあった。高橋は涙を浮かべながら夏の活躍を誓ったという。
「あれからボールに気持ちが乗るようになって変わりました」(原田監督)
 ただ、夏の大会でそのボールを投げることはなかった。先述の愛工大名電戦の8回に打球が左脇腹を直撃。骨に異常はなかったが、約1週間後に激痛が走り、そこから3週間はノースロー。懸命の調整を経て、夏の京都大会は京都翔英との4回戦で、ぶっつけ本番の先発で実戦復帰した。しかし、本来の投球には程遠く、5回途中7失点で降板。打線が驚異的な粘りで試合をひっくり返したが、最後は延長で敗れ、高校生活は終わった。

活躍のキーワードは自立
 悔しい結末ではあったが、夏前の好感触は自信も残した。いまもしっかりトレーニングを積み、プロに備えている。が、一方ではまだ甘さものぞかせる。ドラフト後のある日、原田監督がトレーナーのもとに話を聞きに向かわせた。するとノートを持たずに現れたため、“指導拒否”。たしなめられたこともあった。だから原田監督も「怖いんです」と呟かざるを得ない。
「この先は誰も助けてくれません。野球で生きていくという覚悟を持ってやっていけるか。本当にヤツ次第なんです、そこなんです」
 数年後、フォームの似る小川泰弘とともに“Wライアン”として脚光を浴びるか、「甲子園優勝投手のその後」の特集に登場するか。道を分けるのは高橋の心である。

★(当時の)プロフィール★
高橋 奎二(たかはし・けいじ)
身長178cm/体重71kg/左投左打
1997年5月14日生まれ/京都府亀岡市出身/投手
中学 篠少年野球クラブ/東輝中
高校 龍谷大平安高

★ターニングポイント・龍谷大平安高★
 平安では練習のスタート時に90分をかけたアップを行う。関節の可動域や筋肉の柔軟性を高めることでプレーの質をあげるのが狙い。細身の高橋にもこの平安トレが合い、球速も球質もアップ。いい出会いが一層の成長を促した。

★こんな選手★
 体重70キロ前後の体から放つ140キロ台のストレートとスライダーが持ち味の左腕。パワーではなく、ライアン投法を可能にする股関節の柔軟性、バランス、下半身強さ、体の使い方で球を走らせる。いい筋力をつければさらに伸びる。

★プロでこんな選手に★
阿波野!? Wライアン!?

 細身の体からキレのあるストレートとスライダー。勝てる投手の投球術を磨けば阿波野秀幸(元近鉄ほか)や、フォームが似た小川泰弘(ヤクルト)のイメージも沸いてくる。平安仕込みの一塁牽制にも阿波野の姿が蘇る。

★ここを売り込め!★
平安仕込みの野球頭脳

 サインプレーのバリエーションの多さや、徹底的な練習には定評のある平安。高橋もそのなかで鍛えられており、「投げる以外」の部分でプロのレベルに戸惑うことはないはず。逆に言えば投げるための練習に専念できるだろう。

(取材・文=谷上史朗)
『野球太郎No.017 2015ドラフト総決算&2016大展望号』で初出掲載した記事です。