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村松友視「北の富士流」

村松友視「北の富士流」(文春文庫)を読了。直木賞作家である村松友視による北の富士伝である。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07SG4RV5S/
 北の富士には三つの顔がある。一つは10回の優勝を飾った第52代横綱としての顔。そして千代の富士、北勝海という二人の横綱を育てた九重親方としての顔。 三つ目がNHK専属解説者としての顔。そのいずれにも「ダンディ」「粋」「剽軽」「ユーモラス」と言った、華のある雰囲気で彩られている。
 私にとって北の富士が特別な存在なのは、自分が大ファンであった第51代横綱・玉の海の宿命のライバルで、北玉時代を担っていたからである。実力相拮抗して、攻撃型の北の富士、守備型の玉の海と、相撲スタイルが正反対であったことが好対照であった。明るく華やかな北の富士に対して、黙して言葉少ない玉の海と、性格もこれまた好対照だった。それなのに昭和46年に玉の海が現役バリバリで急死した。その際の北の富士の悲嘆と、その後の相撲で、北の富士そのものが滅茶苦茶に乱れてしまったことが、人間的で印象的だった。
 本書では北の富士の私生活もしっかり書き込んでいる。出生地である北海道留萌を訪れ、兄弟や友人たちに少年時代の生い立ちを取材。闊達なガキ大将時代から、今も変わらず郷里の人々と交流していることがわかる。現役時代から「夜の帝王」「角界のプレイボーイ」と名を馳せた。19歳のバレリーナとの結婚、その後に銀座のママとの再婚などと、次々と浮名を流した。あれだけ明るくて、ハンサムで、しかも横綱なら当たり前のことだ。それに加えて「ネオン無情」なんて演歌まで歌って、ヒットさせたのだから、なおさらである。しかし現在は別居中で一人暮らしの模様である。お子さんもいるようだが、私生活はベールに包まれている。
 親方としての北の富士=九重親方は、二人の横綱を育てた反面、暴力団とのつきあいで役員待遇から委員に降格の憂き目を見る。その後再び審判部長に復帰するが、平成10年に理事選から外されたことで協会を退職。将来は理事長をも嘱望されていたのに、引退後の千代の富士こと陣幕親方に部屋を譲ってしまい、正直『えっ!』と思った。千代の富士が「一代年寄」を辞退して、九重部屋継承にこだわったとはいえ、あまりに淡白というか、地位にこだわらないところが北の富士らしい。理事選含みのトラブルは、弟子の千代の富士にも受け継がれる弱小部門の悲哀。このあたりは、よくよく書き込んで欲しかったが、そこはサラリと流してある。横綱として、初のNHK専属解説者となったのも、そのあたりの経緯があったのかもしれない。

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