見出し画像

「ひでぶ」で「あべし」な、梅崎春生。

昔の海外ドラマでは、主人公がしょっちゅう「Ouchi!」と叫んでいた。
日本語にしたら「痛っ!」といったところだろうか。
学校でクラスメートにぶつかって「Ouchi!」。
遅刻しそうになったときも「Ouchi!」。
海外特有のお茶目で大げさなジェスチャーとともに叫ばれるそれが、中学生の私には妙にお洒落に思えた。

しかし、それをそのまま使うのは憚られた。
私は金髪グラマーな美少女ではないし、場所も北関東の寒風吹きすさぶ田んぼの中。そこに「Ouchi!」は似合わない。

で、そのかわりに使っていたのが「ひでぶ」と「あべし」である。
小指をふすまの角にぶつけて「ひでぶ!」。
居眠りしていたのが先生にばれて「あべし!」。
「Ouchi!」の大西洋の風とは異なる、軽妙な言い回しが素晴らしく私の「特に何もない日常」にマッチしている気がしたのだ。
そして、それは痛みを笑いに変える不思議な力を持っていた。

近いうち、辞書に載りそうなくらい有名な「ひでぶ」と「あべし」であるが、知らない方がいるかもしれないので説明しておこう。
両方とも、『北斗の拳』で雑魚キャラが吐いた断末魔である。
『北斗の拳』の絵は実に濃い。劇画タッチである。
内容もシリアスである。(人伝)
主人公のケンシロウは敵に情けをかけない。徹底的に相手の肉体を破壊する。
「お前はもう死んでいる」の決め台詞とともに、飛び散る脳髄。
そこに突然ぶっこまれるのが、「ひでぶ」と「あべし」なのである。

もしそれが「うぎゃあ」「ぐふうっ」といった、いかにもな断末魔だったなら、『北斗の拳』は私の中にトラウマを植え付けただけだったろう。
実際に、幼い私にとってあの絵は怖かった。
ところが、その怖い絵に「ひでぶ」「あべし」という訳のわからんセリフがくっつくことで、あら不思議。残酷な場面に突如笑いが生まれるのだ。

これは悲鳴ではなく、一発ギャグなんだな。
私はそう解釈した。
斬新で、オリジナリティ溢れる一発ギャグ。しかも語呂がいい。
使われる言葉によって、場面の印象を大きく変えることができるのだ。
言葉には、世界の見方をひっくりかえす力が備わっている。

梅崎春生『カロや 愛猫作品集』(中公文庫)にも、私は同じ言葉の力を見た。

内田百閒の『ノラや』を想起したアナタ。正解です。
彼は内田百閒のファンでもあったのです。

飼い猫のカロを追いかけまわし、ハエたたきを竹で丈夫にした「ねこたたき」で意味もなくぶったたくという話が載っているのだが。
これが実に面白い。
私は声を出して笑ってしまった。

もちろん、内容にではない。
私は猫クレイジーの異名を持つくらい猫を愛している。
こんなことが書いてあると知っていたら、この本を手に取ることはなかっただろう。おそらく腸が煮えくり返って「絶対読まない作家リスト」の筆頭に梅崎春生の名を挙げたと思う。(実際に、その作品が雑誌に載った当時、読者から「お前の書くものは今後一切読まない」という絶縁状みたいな手紙がたくさん届いたらしい)

そんな私が文字通り腹を抱えて笑ってしまうほど、言葉の使い方が面白いのだ。絶妙な名人芸。状況と表現のギャップが堪らない。
まさに「ひでぶ」であり「あべし」なのである。

あえてここでは引用をしないでおこうと思う。
その短篇の名前も伏せておこう。
ぜひ、手に取って「うはっ、ここでこう来たか~!」という驚きとともに、梅崎春生の「ひでぶ」と「あべし」を味わっていただきたいのである。




この記事が参加している募集

読書感想文

最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。