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渡辺和子さんの生涯(後編)ー「強く、しなやかに—回想・渡辺和子」より

 前回の「渡辺和子さんの生涯(前編)ー「強く、しなやかに—回想・渡辺和子」より」(※1)では、渡辺和子さんの少女時代を記述しました。今回の後編では修道院生活、ノートルダム女子大学長としての信仰生活について記述して参ります。

修道院生活、教育者になるまで

 戦後の1947年、渡辺和子さんは20歳の時、これからの世の中は英語が必須だと考えた母親の渡辺すゞの勧めで、聖心女子学院専門学校(現聖心女子大学)の英語科に入学をしました。英語科の授業、大学の自治会での会議、打ち合わせで英語を使うことを通して和子さんは英語を学ぶのですが、より英語を身につけたいと考えた和子さんは英語での会話が必須となるアルバイトを探し、上智大学のアロイシャス・ミラー神父の下で働くことになります。ミラー神父は仕事に厳しい一方で前向きに取り組む和子さんに暖かな目で見てくれ、また仕事に携わる人間の弱さにも寛容だったそうです。(※2)

 和子さんは努力を重ね、1951年に上智大学の事務局員に採用されました。和子さんは今以上に女性の社会進出が厳しい時代において、男性と一緒に重要な仕事をしていたキャリアウーマンだったそうです。(※3)和子さんは事務局員の仕事を忙殺されながらもやりがいを持って臨み、充実した日々を送っていました。それでも神父、シスターの献身的な姿に、絶対に裏切ることのない神の下で何者にもとらわれない自由さを感じたとして、1956年、29歳のときに修道院生活に入ります。(※4)

 その後、1958年修道院からの指示で渡米の上、教育学の博士課程を専攻することになります。アメリカでの生活について、和子さんはあの時以上はないというほど必死に勉強をしたと語っています。(※5)帰国後の1962年、岡山のノートルダム修道女会に入り、ノートルダム清心女子大学の教育者の人生を始めます。が、翌1963年に2代目学長が急逝したことにより、和子さんはノートルダム清心女子大学の学長に就任し、以後、和子さんはキリスト者、教育者、学校経営者としてその身を捧げることとなります。

自身の弱さを見つめる渡辺和子さん

 前回、今回ご紹介した「強く、しなやかに-回想・渡辺和子」の特徴は渡辺和子さんが、いかに信仰を貫くかよりも、和子さん自身が己の弱さを見つめ、その葛藤にどう向き合ってきたのかを吐露したところにあります。

 大学の学長というトップの座にいるためにストレスがたまり、ささいなことで腹を立てたり落ち込んだり、複雑な人間関係を乗り越えることへの葛藤があったそうです。そんな中かつての上司ミラー神父に愚痴をこぼしたとき、あなたが変わらなければどこでも同じと諭したことが自身を変えるきっかけとなったそうです。その際に自ら進んであいさつをしたり、お礼を言うことで学校の雰囲気が変わり心の平静を取り戻したとのことでした。自分自身を省みることで生き方を変えようという積極的な姿勢を感じます。(※6)

 過労のため、重いうつ病を発症した際にも発病を嘆くのではなく、病気になったことで物事が順調だったときに見えてこなかった人の優しさ、自らの傲慢さへの気づきが見えてくるようになったと語っています。そのことを渡辺さんは神の摂理、人智を超えた神が配慮して与えてくれる恵みと語っています。(※7)

 いろいろな苦労や葛藤を経験した和子さんですが、一番大きい葛藤とその克服は二・ニ六事件の首謀者の一人で銃殺刑に処せられた安田優の弟安田善三郎さんとの交流でしょう。この中で和子さんは次のように思ったそうです。

 殺した側の遺族も殺された側の遺族もどちらも心に深い傷を負った。つらい思いを抱いて生きてきたのは決して自分だけではない。そう思うにつけ、二度とあのような戦争を起こしてはならないと、強く思った。
 そのためには、まず安易な道に流れがちな自分、社会の不正義に対して目をつむり自分さえよければいいと言いたくなる自分と闘うことが必要なのだ、とも。(※8)

 とは言え、和子さん自身にも反乱軍の青年将校、兵士らに対する複雑な想いはありました。二・ニ六事件の特集番組の際に反乱軍の伝令を務めた元反乱軍兵士と番組で顔を会わせた際に用意されたコーヒーを飲むことができなかったことを吐露しています。(※9)別のところでは口で赦すといっても父親である軍人の血が騒ぐと表現をしており(※10)、和子さん自身の心の葛藤もうかがい知るともできます。それでも相手と向き合おうとする姿勢に和子さんの芯の強さを感じさせられます。

分かっちゃいるけど…

 以上、渡辺和子さんの人生を「強く、しなやかに—回想・渡辺和子」からご紹介して参りました。こうしてみると芯の強い方だなというのが正直な感想です。勝ち気で我が強い和子さんにシスターが務まるのかと兄に冷やかされたそうですが、(※11)むしろ勝ち気で自分を強く持っている気質でないとシスターは務まらないのではないかというのが私の率直な想いです。

 私はこうした和子さんの生き方に深く感銘を受けたのですが、しかし自分がそれを模範とする人生を送れるかというとスーダラ節の「分かっちゃいるけど…」という感じなのです。植木等の父親はこの一節に親鸞が自らを省みたものだと感銘を受けたとのことですが、(※12)私の場合は言い訳ですから困ったものです。

皆が集まっているイラスト1

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(※1)

(※2) 山陽新聞社・渡辺和子編著「前掲」P78,P82

(※3) 山陽新聞社・渡辺和子編著「前掲」P85

(※4) 山陽新聞社・渡辺和子編著「前掲」P90~P91

(※5) 山陽新聞社・渡辺和子編著「前掲」P104

(※6) 山陽新聞社・渡辺和子編著「前掲」P120~P124

(※7) 山陽新聞社・渡辺和子編著「前掲」P146~148

(※8) 山陽新聞社・渡辺和子編著「前掲」P162

(※9) 山陽新聞社・渡辺和子編著「前掲」P158~P159

(※10)

(※11) 山陽新聞社・渡辺和子編著「前掲」P90

(※12) 川村妙慶の心が元気になる話「わかっちゃいるけどやめられない」


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