エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読みました。人間関係論として前提知識なしで読んでも示唆に富む内容ですが、思想史の背景を踏まえるとより深く理解できました。というのも、フロムの思想は他の現代思想家と同様に、フロイトとマルクスの影響を受けているからです。
たとえば、フロイトから離れてジャックラカン寄りの精神分析学の考察を交えていたり、マルクス的な唯物史観の考え方に基づいています。また、第二次世界大戦におけるファシズムの反省という文脈も関わります。
以下では個人的に重要だと思った文章を引用しながら、『愛するということ』の主張をまとめてみます。
第一章 愛は技術か
本章では、愛にまつわる以下の3つの誤解を指摘します。
愛されたい、運命の人との出会いたい、自然に愛せるようになると思っている状態から抜け出し、愛するという技術を身につけることを勧めます。
第二章 愛の理論
この章では、愛とは何かをフロイト的心理学と精神分析学の観点から論じます。まずは、人間は本能以外にも理性を備えていることや、孤独を恐れる存在であることを指摘します。
孤立による不安の解消には、祝祭的興奮状態、集団への同調、創造的活動の3つの方法があるとしますが、これらは一時しのぎに過ぎず、愛こそが真の解決策であるとします。
また、「共棲的結合」つまり共依存の関係は未熟な愛であり、「愛は何よりも与えることであり、もらうことではない」とも言います。そして、愛を与えられる性質の要素として、配慮、責任、尊重、知を挙げています。
第三章 愛と現代西洋社会におけるその崩壊
この章では、マルクスの唯物史観的な観点から前述の愛が実践されていない実情を暴きます。フロムは現代資本主義社会に生きる人間が抱えている問題を以下だと述べています。
ちなみに、テクニックやノウハウで解決したがる風潮にも警鐘を鳴らします。文中の当時は第一次世界大戦前後を指していますが、2022年も同じでしょう。
さらに、フロムは「別に愛することを自分が身につけなくてもいい」という人に逃げ場を与えません。自ら実践する重要性を説きます。
第四章 愛の習練
前章でテクニックやノウハウで解決しないと述べたフロムは、「愛することは個人的な経験であり、自分で経験する以外にそれを経験する方法はない」とします。とはいえ、何も方法論を紹介しないということはなく、愛するという技術を身につけるために必要な前提条件として、規律、集中、忍耐、関心を挙げています。
ただし、こうした前提条件が現代社会(1950年代)に欠けていることを嘆いています。きっと2022年はこの傾向がさらに加速していると言えるでしょう。
愛することを身につけるには、客観力、信念、勇気、能動性も必要だとしています。
最後に、資本主義において愛するということを実践することの困難さを認めたうえで、それでも愛することを選ぶように促します。
個人的な感想
『愛するということ』が心理学、精神分析学、資本主義論を交えて愛とは身につけるべき技術であると論じていることを知れました。思想史を勉強中の身としては、古典的名著とされる本がたしかにフロイトとマルクスらの思想に基づいていると確認できたことが収穫でした。
また、フロムの唱える愛は仏教にも通ずると思いながら読んでいました。エゴを捨ててありのままを見ること、慈悲の心を養うこと、精進しなければ身につかないことなどが共通しています。実際にフロムは後年、仏教の研究や禅に取り組んでいたそうです。
以上が私の個人的な興味とリンクする点でした。きっと読む人によって響く部分が違うと思うので、ぜひご自身で読んでみてください。