『突撃!ヒューマン!!』の学年誌連載まとめ(「最終回が2ページだけ」などについて)
前置き
『突撃!ヒューマン!!』は、1972年に放送されたヒーロー番組です。
テレビ放送と同時に、『小学一年生』『小学二年生』といった小学館の学習雑誌で、漫画版も連載されました。
しかし、番組は1クール(3か月)で打ち切り。
学年誌の漫画も、連動して3か月で打ち切りとなりました。
たとえば、『小学二年生』の連載は1972年12月号でスタート。
この第1話は、オーソドックスな6ページの漫画(うち扉絵が1ページ)でした。
続いて、1973年1月号の第2話は4ページで掲載。
そして、1973年2月号の第3話が最終回で……。
最終回は、この2ページだけでした。
ラスボス戦が「おそいかかった。そして、ついにたおした」で終了
空に死んだ人の顔が浮かんで完
と、2コマですべてを終わらせた最終回で、『ソードマスターヤマト』感がスゴいです。
※ソードマスターヤマト
『ギャグマンガ日和』の劇中漫画『ソードマスターヤマト』は、漫画あるある的なネタ。
人気がなくて打ち切りになって最終回を3ページで無理矢理終わらせるという話です。
小学二年生版『突撃!ヒューマン!!』は、ある意味でもっとも『ソードマスターヤマト』に近い実例と言えるかも知れません。
そんなこんなで、今日は、『小学二年生』以外の学年の『突撃!ヒューマン!!』はどうだったの? というのを、簡単に紹介していきたいと思います。
『突撃! ヒューマン!!』とは
と、学年誌の話をする前に……。
原作のテレビ番組がどんな内容だったのかについて、少しだけ説明しておきます。
まず、『突撃!ヒューマン!!』は、実際に見たことがあるという人が滅多にいない番組です。
というのも、裏番組が『仮面ライダー』で、一度再放送されたあとは、ソフト化されていないからです。
未ソフト化
『突撃!ヒューマン!!』自体は、日本テレビ系列で土曜の夜7時30分から毎週放送という、れっきとしたゴールデンタイムのテレビ番組でした。
テレビ番組『突撃! ヒューマン!!』の特徴は、観客を入れた舞台を録画・編集して公開という形式でした。
「変身ブーム」の最中、ヒーロー番組の新しい形として、『8時だョ! 全員集合』みたいなスタイルが模索された感じなのですが……。
そのため、ほかの特撮のようにフィルム撮りではなかったのが、ソフト化できない理由らしいです。
ZAKZAKの記事には、「テープが高価で、放送終了後に別の番組を上書きしていたため、マスターテープが存在しない」という「業界関係者のコメント」が載っていました。
ただ、2009年に「懐かしのせんだい・みやぎ映像集 昭和の情景」というDVDの企画があって……。
このとき、仙台の一般家庭から持ち込まれた8ミリフィルムの中に『突撃!ヒューマン!!』ショーの様子が映っているものが「発見」されたそうです。
番組そのものではなく、長さも1分ちょいなのですが、それでも『突撃!ヒューマン!!』の現存する唯一の動画と言われています。
スタッフ
ヒューマンの造形は、ウルトラマンをデザインした男・成田亨さんが担当。
基本プロットとかは、主に藤川桂介先生の仕事みたいです。
てことで、『突撃!ヒューマン!!』にはウルトラスタッフが関わった作品というイメージがあります。
デザイン
成田亨さんによると、
とのことで、ウルトラマンと共通する要素を持ちつつ、より人間的なデザインにしたらしいです。
てな感じで、ヒューマンは次のようなデザインでした。
「富士山のちょう上におちた鳥のはねの音も、東京にいて聞こえる」など、強力なスペックを誇ります。
「手をぐるぐるまわして、まわりのくうきをなくし、あいてをたおす」
「ひとさしゆびを十字にくんで、あいてを思うままに動かす」
といった能力だけで、対策スキルを持たない敵には完勝できそうですね。
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