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ティナ・ターナー死去. 半世紀以上を駆け抜けた正統で異端な黒人ロック・クイーン

どうも。

いやあ、これも残念ですね。


ティナ・ターナーが亡くなってしまいました。享年83歳。亡くなるのが決して不思議な年齢ではありませんが、それでも悲しいですね。

 僕の世代でティナ・ターナーといえば、真っ先にこれなんですよね。

この「Whats Love Got To Do With It」、邦題「愛の魔力」っていうんですけどこれが1984年の夏に全米チャートを急に上がってきて、1位をとったんですよね。びっくりしましたよ。

だって、この当時って、ビルボードのシングル・チャートに40代のシンガーが入ってくることなんてまずなかったんですよ。しかも全くそれまで聞いたこともない。中学生だから無理もなかったんですけど。それが突然全米1位にまでなって。

 この当時、ティナ・45歳だったんですよね。あの当時の高齢の記録に近かったんじゃなかったかな。今だったら珍しくもなんともない年齢なんですけど、それだけあの当時はポップ・ミュージックというのは「若い人がやるもの」と言う固定観念が強かったんですよね。うちの母親と1歳違いでして、普段、何も反応しなかった母親が、「自分と歳が近そう」と言う理由だけで興味持ちましたからね。それの思い出がすごく強いんですよね。

 今でこそティナ、死亡記事でも「ロックの女王」と言われますけど、最初はやっぱリスニング経験の少なさから、「ブラック・コンテンポラリーの人」だと思ってましたね。ちょうど先の曲の前の1位がレイ・パーカーJrの「ゴーストバスターズ」で、その前がプリンスの「When Doves Cry」で。プリンスもロックのイメージ抱くようになるの、もう少し後だったんで。

https://www.youtube.com/watch?v=qyU7BbQSm98

この辺り当時続けてヒットしてましたけど、「ああ、言われてみれば確かに」という感じではありました。

後、客演がすごくて

みてください。そうそうたる共演相手でしょ。これが立て続いて、「おばさん、すごいなあ」と、中3から高1の時の僕は思ってました。

さらにこれに追い打ちをかけて

https://www.youtube.com/watch?v=Gcm-tOGiva0

映画「マッドマックス3」にメイン・キャストで出演ですからね。本当に時の人だったんですよ。

 この動画の数々、1984年から85年のたった2年で起こったことなんですよね。いかに、神がかったブレイクだったかはこれだけでもわかると思うんですけど

そして1986年2月には来日してミュージック・フェアに出演。この時、バック・ヴォーカルをキヨシローがやったんですよ!これ、家でたまたま見てましたけど、びっくりでしたね。ギターが高中正義で、サンディ&サンセッツまで混ざってたんですね。

この時、絵的にすごかったことも含め、1番彼女をロックに感じましたね。これは日本の歌番組史上に残る名演だと思いました。

これ以降も80年代にティナはもう2曲の全米トップ10シングルを持ちます。

もう80年代後半に関して言えば、女性アーティストならマドンナ、シンディ・ローパー、ホイットニー・ヒューストン、ジャネット・ジャクソン、そしてティナだったんじゃないかな。それくらいビッグな存在でしたよ。

そしてティナがすごかったのはどうやらブラジルでもそうだったようで

1988年にリオのマラカナン・スタジアム、ブラジルで一番有名なスタジアムで、なんと18万人の動員を1日で作ったんですよ!これはその当時、ギネスブックに載っています。僕もブラジルに越した当時にこの話を聞かされて知っていました。その影響でティナ、未だにブラジルのラジオでよくかかってたんですよね。

90年代入るとヒット・アーティストとしての勢いは落ちるんですけど、そのかわりに

https://www.youtube.com/watch?v=0EVwA_BrRnA

1993年に映画「Whats Love Got To Do With It」が公開されました。これはティナの伝記映画で、ソロになる前にやってた当時の夫アイク・ターナーとのアイク&ティナ・ターナー時代の破綻した夫婦関係を描いたものでした。

ここでティナを演じたアンジェラ・バセットの演技が絶賛され、オスカーにもノミネート。この当時、スパイク・リーとかジョン・シングルトンといったブラック・ムーヴィーの女性で主演格といったら真っ先に彼女だったので、思い入れあるんですよね。今では、「ブラックパンサー」のティチャラ国王の母君の役で、それでこの映画以来のノミネートというので話題になってましたよね。

これは日本で公開になった時に僕も映画館に観に行きましたけど、それのエンディングだったかな、かかったこの曲がチャート・ヒットとしては最後のヒットでしたね。この曲でも、もう30年前なんだな。ちょっとゾッとしますけどね。この時、ティナ、大ベテランで54歳なんですけど、今見るとむしろすごく若いですよ。

この人、なんといっても脚の細さ!これ、男でいうところのジェイムス・ブラウンにも言えることなんですけど、脚の動きがとにかく美しく、たくましい!それがステージでの原動力となっていましたね。

・・・と、ソロだけで話を完結させても十分にビッグな人なんですけど、そうはいきません。その前史があったからこそリスペクトされてきた人なわけですから。

 そこで僕も遡りたくなるわけなんですが、

 遡るの難しいんだ、これが!

結構、大変なんですよ。アイク&ティナ・ターナーを振り返るのって。

一応僕、ボックスとかベスト盤買って試したんですけど、選曲がイマイチだったり、すごく分かりにくかったりで、なかなか身につかなかったんですよね。ティナのベスト盤でいつも同じような曲だけ若干数はいるんですけど、それは全然聞いた気にならなかったし。

 無理もないです。CDの時代、アルバムがまとまった形でリイシューされてなかったから。

 というか、アイク&ティナ、ソウル・ミュージック的な文脈だとめちゃくちゃ浮くんですよ。なぜか、それはこの二人が、モータウンやアトランティックといった、強い母体を持つレーベルに所属してなかったから。だからこそ売れにくかったし、これらのレーベルのようにカタログ管理がしっかりして再発とかもされにくかったから、、タワーレコードのアイク&ティナのとこ見ても、入ってるCDなんていつもわずかだったんですよね。だから知りようがなかったんですよね。

 ただ!

 やはりサブスクの時代というのは便利ですね。今や、あれだけ聞きにくかったアイク&ティナのアルバム、今、全カタログ、Spotifyなどで聞けます!

僕も今回、これに気づいてですね、「ああ、やっとちゃんとディグできる」と思いましたからね。

で、この歴史における功績がまた立派なんですよ。そこを紹介したいと思います。

 初ヒットが出たの、1960年です。これが早いんですよ。その時期って、レイ・チャールズとかサム・クックの全盛時ですよ!ジェイムス・ブラウンがヒット出し始めとか、そんな感じで。そんな時代からティナ、活躍してたんですね。モータウンやアトランティックの全盛期より早いんですから。アレサ・フランクリンもジャズシンガーになろうとして下積みやってるような頃だった気が。

これが1963年のヒットなんですけど、これなんて、ものすごく異端児的ですよね。バンドの編成そのものはソウル・レビュー的なのに、曲、ガレージ・ロックみたいで、そこにティナの規格外の爆発シャウトでしょ?なんかもう、「ソウルに収まらないもの」をこの時から有してる感じがして。

 そし1966年には

その声の潜在能力をプロデューサー、フィル・スペクターに見込まれまして、アルバム「River Deep Mountain High」をリリース。これが一応、アイク&ティナでは「名盤アルバム」扱いされてますね。

これですけどね。名盤だと思いますけど、ただ、この1枚だけで片付けられそうになることはあるので、「それは違う」と言いたいですけどね。

 ただアイク&ティナ、それだけで終わってるわけでは全くないです。

 次のブレイク・ポイントが1969年にやってきます。

 この時もステージングが異例ですね。編成はソウル、ファンク系なんですけど、彼女のシャウトも、ダンサーの動きの激しさもソウルの域超えてるんですよ。もう天性の破壊力があるというか。


そしてビートルズやスライ&ザ・ファミリー・ストーン、CCRのカバーで大人気。Proud Maryは全米でも4位に上がる、アイク&ティナの最大のヒット曲になってます。でもアイク&ティナの全米トップ10はこの1曲だけなんです。いかに、リアルタイムで過小評価されてたかがわかるでしょ?

1973年にはこれがアイク&ティナとしての最後の大ヒットとなる「Nutbush City Limits」が出ます。すごいかっこいいファンク・ロックで、これが全英4位のヒットになります。ただ、イギリスでもトップ10入ったのはこれと「River Deep Mountain High」だけですね。

 ティナは70年代半ばにアイクの虐待に耐えられなくなったティナはアイク&ティナを解消するわけですけど、ちょうどその頃に

ザ・フーのロック・ミュージカル「トミー」に参加して、名曲「Acid Queen」を歌った、というわけです。

 そしてソロでキャリアの立ち直しを図るんですけど、最初はなかなかうまくいかず。

 それが好転したのが

1981年にロッド・スチュワートのゲストとして「Hot Legs」をサタディ・ナイト・ライブで歌ってウケたことです。気が利いてますよね。脚の綺麗なティナがこの曲歌うというのは。

これに気を良くしたティナは82年、テンプテーションズの1970年のヒット「Ball Of Confusion」のニュー・ウェイヴ風のカバーを発表したら、これがMTVで初めてビデオが流れた黒人アーティストになったんですね。

 そういうことが注目されましてアルバムの制作がメジャーで進みまして

このアル・グリーンの1972年の全米1位の名曲のカバーを皮切りに

名作アルバム「Private Dancer」が出るわけですけど、ここの第2弾シングルだった「Whats Love Got To Do With It」が全米1位になって、この記事の頭につながるわけです。

https://www.youtube.com/watch?v=c4CTO1Z7qLY

ティナはその後も重鎮的な活躍をしまして、2008年にはビヨンセと共演。ビヨンセにとっては憧れの人なんだそうですけど、「そうか、だから衣装にてたのか!」と今日気づきました。

2年前にはHBOでドキュメンタリーも出ていました。これ、見てなかったんですけど、せっかくの機会なので見てみようかと思います。

 もう、ここまで書いたら、すごい理由、わかりますよね。人種の壁を超えた、本物の歌唱力と最高のステージ・プレゼンスを持ったエンターティナー。桁外れの才能だったと思います。

さっきも言ったように、アイクとの泥沼の関係だったり、レコード会社の契約に恵まれていなかったことで過小評価が続いていたんですけど、その後の人生でそれもだいぶ取り返したのではないかと僕は思っています。

 






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