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なぜ、高崎でだるまがさかんに作られているのか?

結論:天明の大飢饉がきっかけとなり、農民の副業として始まり、江戸から全国各地へ販売されるようになったから。


日本のだるまの80%を生産している群馬県高崎市

高崎市では、日本の80%ものだるまが作られています。高崎駅には、だるま像があります。達磨寺で有名な少林山達磨寺の参道を中心に、だるま工房が見られ、お土産としても有名です。さらに、だるまをモチーフにしたお弁当箱にさまざまな食材が詰め込まれただるま弁当は、高崎駅の名物になっています。

高崎市のお正月

毎年元日、1月2日に高崎だるま祭りが行われ、日本一早いだるま市が行われます。さらに、1月6、7日に少林山七草大祭だるま市、9日には、前橋初市まつりの縁日で売られるています。

それでは、なぜ高崎市でだるま作りが盛んなのでしょうか?今回は、この謎について迫ります。

だるま

だるまは、達磨大師をモチーフにした日本の置物です。達磨大師は、インドから中国に禅を伝えたお坊さんです。禅と言えば、座禅、マインドフルネスとしてiPhoneを開発したスティーブジョブズなど、経営者にも取り入れられ、西洋からも注目されています。

高崎だるま

特徴

周りを鮮やかな赤色に染まり、くぼんだ白い顔、どっしり構えた楕円形のフォルム。見開いた目と引き締めた口。眉毛は「鶴」、髭は「亀」が豪快に描かれています。これは長寿を願って描かれています。両肩に「家内安全」、「商売繁盛」などの願いごと、お腹には「福入」と書かれています。

転がしてもすぐに起き上がる姿から、「七転び八起きで縁起が良い」とされています。明治時代、高崎は養蚕業が栄えており、蚕が古い殻を破って出てくることを4回ほど繰り返して眉になることから、縁起が良いとされています。また、転がしても起き上がる姿は、心の持ち方も表し、どんな困難にも対処できる落ち着いた心と忍耐力を表しています。

一年を何事もなく健康で平和に暮らせるようにという願いをこめて作り続けられています。

なぜ、だるまに目を入れるのか?

選挙中継で候補者の事務所の中に片目の入っただるまの映像を観たという方は多いと思います。運気を上げるためにすべきことは、左眼から黒眼を入れることが基本です。左は、阿吽の「阿(物事のはじまり)」、右は、阿吽の「吽(物事のおわり)」を示すと言われています。そのため、物事の始まりである左眼から黒眼を入れるとよいとされています。しかし、実際は順番は関係ありません。

眼入れは「心の眼の開眼を表現した」ことでだるまに魂を入れる行為。昔ながらの方法では、中心から外側に向かって丸く大きく描きます。だるまは、一度きりの縁起物でなく、願いを込めて右目に入れ、願いがかなってから左目に目を入れて寺を納めて、供養し、新しいだるまを買ってだんだん大きくすると良いとされています。

歴史

1783年、浅間山、岩木山など日本、世界中の火山で噴火が相次ぎました。特に浅間山は死者2000人を超える方々が亡くなりました。1789年、さらに火山灰が空を覆い、日光がさえぎれられ、作物が育ちにくくなり、大飢饉が発生しました。豊岡村(現在の高崎市豊岡地区)で東獄和尚が飢饉に苦しむ農民のために、山縣朋五郎にだるま作りを伝授しました。

作っただるまは、江戸に売られてました。当時、江戸で天然痘という病気が流行しており、庶民は病を恐れ、願掛けのためにだるまが求められていました。赤は邪気を払う色と信じられていたため、赤いだるまが売れました。

1859年、横浜開港により、海外へ生糸・絹織物輸出はじまります。これと同時に海外からスカーレットという赤の顔料が輸入されるようになり、生産量が増加しました。江戸だけではなく、川崎大師でだるま市が開催されるなど、全国へ売り出されるようになると、職人が増え、

現在では72人の職人がダルマ作りに携わっています。「高崎だるま」として商標登録され、年間120万個が生産されています。これは、全国のだるまの80%を占めてます。お土産用に様々な色、表情、大きさのだるまがあります。ストラップ、ハローキティなどコラボ商品も誕生し、時代とともに変化させています。

高崎だるまの作り方

かつては手作業で農業の冬の閑散期に作られていました。だるまの木型に一枚一枚、材料の紙を張り、天日乾燥させます。だるまの背を割って、中の木型を取り出し、切れ目を膠(にかわ)で張り合わせていました。1970年代から、機械により大量生産されるようになりました。現在は、紙を溶かした水槽にだるまの型を入れ、水分を空気圧で吸い出し、固まったら取り出して天日乾燥させます。 だるまの底におもりをつけ、倒しても自分で起き上がるようにしています。

色塗り

まずは下塗りとして、だるま全体に貝を焼いた白い粉をファンデーションのように塗り、上から赤塗りをします。かつては刷毛で一つひとつ塗っていました。現在は油性の塗料の入った容器の中にだるまを浸して着色したり、スプレーで吹きつけて色を付け、光沢があり、色落ちも少なくなりました。

顔入れ

まずはだるまの目の回りにぼかしを入れ、白目を塗り、小鼻と口を描きます。その後、胴に金彩を施し、「福入り」「家内安全」などの文字を描きます。最後に墨汁でマユとヒゲを描いて仕上げとなります。

少林山達磨寺

JR信越本線群馬八幡駅から徒歩15分ほどの場所にあります。奉納された色とりどりのダルマが目をひきます。元々、前橋城(現在の群馬県庁)をまもる寺院として建てられました。きっかけは、修行者が、信越本線沿いを流れる碓氷川に浮かんだ霊木を拾い、つくった達磨大師像を祀るための小屋として開いたこと。地域の人々の崇拝を受け、前橋藩5代藩主の酒井忠挙が方位除けの寺として立て直そうと考えました。しかし、寺の新設はご法度とされていたため、道場として建てることにしました。高崎市でだるまが作られたのは、少林山達磨寺が正式に寺院として認められた後です。

供養されるだるま

だるまを参道で買ってから、少林山達磨寺でだるまに目を入れていただき、1年間大切に保管しつつ、両目を描くことができるように精進する日々を過ごしたのでした。


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