見出し画像

『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業(59) 天の雲と海の雲

第45書簡を続けます。

《昨日午後正三を連れて(良三は病気がなほつたばかりだつたのでよしたのだ)浜寺へ行つた。すくなくも僕には空前の大景に接した。汽車を降りた時分から雷が聞えてゐた。親類(例の母の兄の家)へ行つて直ぐ海へ行つた。前は淡路と攝山(せつざん)との連峰に包まれ左は長く松ある岬に限られてゐる。海は稍(やや)浪があつて空は一面にはれ右の稍高い山の上に雲の峯が強く輝いてゐる。其最左のは一つ抽(ぬき)んで、衆を率ゆる様に高く高く中空に聳えて居つた。一面に雲が拡がつて居て海面は黒くなつて居る。浪は大分高くなり潮も満ちて居つた。右の第一丁許りの所に一人浴して居るのを見て僕も入つた。泳いだり少しすごい四方をながめたりして居たが不図見れば大粒の雨が落ちて来た。一寸位の白い泡を黒い水面にたてゝ消えて行く。僕は驚いて上る時分にざつと音を立てゝ降つて来た。先つきの人の白い浴衣が青い松原に馳け込むのを見ながら僕も着物を引つかけたまゝ大走りに馳け込んだ。雷がなりだした。ピカリッと光ると思つてゐると大空一面に鳴り廻る。従姉妹が戸をしめるやら蚊帳をつるやら大さわぎして真黒になつて皆蚊帳の傍へ固まつた。雷は益々荒れまはる。ピカッパチパチゴーゴーといふ胸のすく様なのが続けさまに十程なつた。丁度其日植木屋が来て居たのがこれも上り口へ来て何かいつて人を笑はしてゐる。もつと此方へ集らうと伯母がいへば此処で雷様の火にあたつて居まんねなんていつて人を笑はせる。併し笑は室にひゞける様で益陰気になる。植木屋もピカッと来るとワワと上り口から尻を下へ降ろす。伯母は首をちゞめる。口の内で桑原々々つていつてたにちがひない。》

ここから先は

935字
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?