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プロ野球半券ノスタルジア⑩                      懐かしきガラガラの横浜スタジアム                    ヤケクソの消化試合「2試合共通観戦券」

 横浜DeNAの観客動員が好調だ。8月25日時点で175万7558人で、このペースでいけばコロナ禍前の2019年以来となる200万人の大台に届く勢いだ。動員数だけでいえば阪神、巨人、ソフトバンクに次ぎ4番目だが、他の球団の本拠地が収容人数4万人を超えるのに対して、DeNAの本拠地、横浜スタジアムは収容人数が3万3912人と少ないため、ホームゲームの1試合平均収容率は約95%となり、ほぼ毎試合満員状態となっている。親会社がDeNAに替わって以降、エンタテインメント産業らしくファンサービスに力を入れ、横浜スタジアムの運営会社を買収、子会社としボールパーク化を図ったことが功を奏した。そしてなによりも交流戦で初優勝を飾るなどチームの強さが、ファンをスタジアムへと足を運ばせるのだろう。長らくBクラス常連のセ・リーグのお荷物的存在で、観客動員の実数発表が始まった2005年に97万6004人と100万人を割り込んだことを考えると隔世の感がある。
 

 今回ご紹介するのは、横浜「暗黒時代」真っ只中の半券。2007年10月8日の対ヤクルト戦。4位横浜と6位ヤクルトの対戦、裏ではパ・リーグのCSをやっているというバリバリの消化試合ということもあり入場者は6912人しかいなかった。しかも10月8日、9日2試合共通観戦券になっており、翌9日の試合に半券で再入場できるという、今では考えられない半ばヤケクソ気味の珍しいチケットだ。

シーズン安打日本記録を更新(当時)したヤクルト・ラミレス

・10月8日 横浜対ヤクルト23回戦 
ヤクルト 101010010 …4
横浜   40000001✖  …5
勝  木塚 3勝1敗
S  クルーン 3勝1敗31S
敗  シコースキー 1勝2敗1S
本  リグス3号(三浦)、吉村23号(藤井)

    先発は横浜が三浦大輔、ヤクルトが藤井秀悟という、とても消化試合とは思えない豪華な顔合わせ。初回にラミレスがシーズン203本目のヒットを放ちセ・リーグ記録(当時)を更新した。ラミレスは盛んに一塁ベース上でガッツポーズしたり手を叩いたりしていたのだが、花束贈呈どころか記録達成のアナウンスもなく、モロ無視のまま試合を続行。当時の横浜球団はビジターに対してのセレモニーはしていなかったのか、それとも消化試合だからケチっていたのか? この時点では新記録達成のラミレスがのちにDeNAを率い日本シリーズに出場し、その後任に打たれた三浦が就任するなど知る由もなかったのだが、何だか因縁めいている。

古田の現役最終打席

・10月9日 横浜対ヤクルト24回戦 
ヤクルト 000400000 …4
横浜   001100001 …2
勝 松岡4勝2敗
S 高津0勝5敗13S
敗 三橋2勝4敗
本 ユウイチ3号(三橋)、吉村24号(松岡)

 前日の帰り際に「本日の半券で明日の試合も入場できます」とアナウンスがあったため足を運んだこの試合。半券での再入場に加え、横浜のホーム最終戦ということで外野席は無料開放ということもあって観衆は前日よりは増えて1万4418人だった。序盤の展開はほとんど覚えておらず、はっきりいって退屈な試合だったのだが、最終盤に思わぬ見どころがあった。この年限りで現役引退を表明しホームで引退試合を終えていた古田敦也兼任監督が出場したのだ。9回表、にわかに球場に歓声が沸き、なにかと思ったらネクストバッターズサークルで古田がバットを振っていた。そして最後の「代打オレ」。レフト線に長打性のファウルを打つなど5、6球粘り、最後はレフト前へ2097安打目のクリーンヒットを放った。その裏一死からこちらもこの年限りといわれていた現ヤクルト監督の高津臣吾がマウンドに上がった。1点差にも関わらずヒットを打たれ、四球も出し、フラフラになりながらもなんとか抑え通算286セーブ目。これがNPBでは最後の登板だった。

 この2連戦には他にもヤクルトは青木宣親、館山昌平、横浜も村田修一、内川聖一、仁志敏久、石井琢朗、クルーンらが出場し、今思えばなかなかの豪華メンバーが出場していた。

 球場に客が入らず球団経営が成り立たなくなれば合併だ、再編だ、1リーグだと大騒ぎになる。球界全体のことを考えれば観客は多い方がいい。今日の満員の横浜スタジアムは結構なことだ。だが当日券でフラッと野球観戦ができないのは、馴染みのラーメン屋が雑誌に載って一見客の行列で入れなくなったようなさびしさがある。左右の座席に荷物を置き、前に足を投げ出す。そんなユルいプロ野球観戦ができた時代が懐かしくもある。

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