スタレ黙示録‐奇跡の青薔薇と沈黙の金薔薇
創世学あるいはピノコニーの様子を見て「この知識が――これだけのIQやEQがあれば――いくらでも金儲けできるじゃないか!」と、金欲主体の市場原理下ではそのような見方に至る場合もあるでしょう。
まったくもってその通りであって、その気になれば人々を騙す楽な商売に自身が持っているいくらかの能力を費やすこともできるでしょう。もし時空操作能力なんてものがあれば、宝くじも競馬も何もかも勝ち放題です。
それと引き換えに数多の敗者を量産することになり、富が能力者へと一極集中する。そうなれば資本主義自由競争の市場原理も、本来意図されていた成長動機を醸成するシステムとして機能しなくなる。
あくまで極端に分かりやすい例として時空操作などの異能を取り出しているだけで、そのことは異能が存在していない地球環境においても同じことが言えるのです。
もしも均衡が正常に機能していると見なせる環境下で明らかに一般より突出した能力を持った人物が現れたとしましょう。
それはパワーバランスに著しい崩壊が起こらない・もしくは必要な変遷のため一時的にパワーバランスを乱すため意図的かつ制御的に存在することになる。
又「騙す」という能力の応用例を挙げましたが、騙すことが必ずしも否定される悪かと言えばその限りでもなく、エンターテインメントとして暗黙に相互承認される一時的な騙し合い化かし合いもあります。
そうでなければ仮装祭や仮面舞踏会などの交流の形式は生まれなかったし、それが生まれた結果として実際に楽しまれ続けていることを思えば、許されている騙し合いもある。
許されるものと許されないもの、何がどう違うのか。どのような条件の違いが初級・中級・上級の間に垣根を作り出し、最終的な承認訴求や課金訴求の形式へと繋がるのか。僕は何を黙って何を話せばいいのか!
人助けの衝動というのは、それは倫理契約からなる義務感や使命感にも言い換えられます。その契約にしたがって何らかの能力や行使権が与えられる。
かくしてその義務感や使命感の強制力によって、助けようとしても助けられない存在の元にスタックしてしまうこともあります。その現象自体は十分に現実的な話です。
ループリスクの伴う環境に立ち入る際は最低二人一組が安全マージンとなります。そこからの発展型で、二者択一を迫る選択肢の前で両方を試すべく二人で二手に分かれたとしましょう。
どちらの選択肢も一人では解決できないルートで、二手に分かれてしまった時点でスタックしてしまう条件だったとすれば、救いの手として三人目も必要になる。
そのことを思えば「さよならが改めて重い言葉にもなる」ということもある。そのことを告げられるのは第三者だけだということです。
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その需要と供給の次に生じてくる課題は、どのような環境と手段で用心棒の腕と意識が鈍らないように鍛え続けるか。またその試行段階で不本意に自然形成された派閥間闘争をどう治めるか、どう事前に事故を防ぐか。
かくして格闘技からボクシング・プロレスリングに至るまでの催しも公式に必要になる。それについては需要と供給のレイヤーの話であって、好き嫌いの話ではないのです。
だからこそ、逆に言えば好きでやっているわけでもないという層も出てくる。市場原理と生存本能の兼ね合わせで、やりたくないことでもやりたいと思うようにしながらやらなければならない環境に強いられ始動当初の望みが摩耗と共に薄れていく。
かくしてアニメとして≒夢として、より間接的な表現として現実と乖離させたり、主環境を現実から電子仮想環境つまりはビデオゲームへと移行させていくことで負荷緩和を図る働きかけへと繋がっていく。
好きである・快いと思える自身の本意の方向性に合っている方を選んで進めばいいものです。
僕はこうして文化史や地球の今後、地球を取り巻く宇宙全体の今後などの状況や条件、方針などを整理づけていくために脳を含め身体全体をそれに最適化させています。
かくして軍師のように策を張り巡らせる戦略的なアプローチや戦術的なトラップの提供は可能でも、僕個人が前衛的な戦いにそう多くのコストを割くことはできません。
真の祭りは来世にこそあるのだとすれば、祭りはその準備をしている時の方が楽しいと言い遺した岡本太郎の言葉が、この世を生きる僕らを「今を楽しめ」と背を押しているようでもある。
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今しがた腹時計と11時の間で相談してコンビニへ飯を買いに行ったのです。ご飯大盛りの生姜焼き弁当とハニーラッシー、一食分の冷凍食品三つを買いました。
七七が言った「今日は出掛けるべきじゃない」が気に掛かって、なるほど冷凍食品を買い込んで外出を控え今は時間を惜しむべきであると言いたかったのだろうと腑に落ちた。ごちそうさま。
今の僕の時間の価値、めちゃくちゃ高まってきてるんですよ。ただでさえ生きている間に全てを書ききれるかさえ定かでなく、書ききれなかった場合は後世の誰かに引き継がなければならない。
その進捗率如何で、その引き継ぎが容易のものとなるか至難のものとなるかも天地の差が開くのです。AIに万全な状態で引き継げるというのであれば杞憂に過ぎませんが、その「万全な状態かどうかの審判」が難題なのです。
ここまで伏せ字続きで何故このことは伏せ字じゃないのかって?一般における常識的な通念となっていかなければならない物事だからです。
個々の家庭においても自身の死に際に家や資産をどのような形で子孫へと引き継ぐかを事前に考えて処理しておけなければ、逆に負担ばかりを強いてしまうことにもなりかねない。それと同じことです。
岡本太郎が言った「他人の子も我が子のように愛せ」の言葉になぞらえるなら、半公式的な役回りを暗黙に約束する著名人の立場では、その相続・家族観がファン対応や会社経営などを通じてより広義な意味となる。
この曲のCoverを待っていたんだ。詠ってくれて・歌ってくれてありがとう誰かさん。待たずに待つのが待ち時間を楽しむ秘訣であると事前に伝わっていれば。
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僕なんてのらりくらりテキトーにあっちゃこっちゃ顔出しては去って、一処に留まることなく短期契約で転々としてきましたが、それら数々の思い出を忘れたことはない。背を向ける理由は一貫していたから。
それが何のためのことだったかって、全体図を上からではなく内から把握した上で連絡路をより細密に再構築するためだった。今はその設計図を練り上げて確定させるためのロードマップを確認している。
それは極端な例であって全てを巡らなければならないというわけではなく、一転・二転・三転と活動休止したり移籍したりというアクションを経たとしても、外部での活動に元いた場所との相乗効果を図ることはできる。
むしろ今のフェーズにおいては、それこそが大事であるとも言えるのです。その範疇の物事においては、確かに「僕が言うサヨナラはイタズラめいた軽さ」を孕んでいた。
人生に記憶継承・転生ありきの前提が加わるだけで「記憶の積み方」という方法論が醸成されることになるのです。いざ地球でのことに熟知してやることが無くなると思いきや、むしろ増えるんですよ。
スターレイル作内の結果論=現状論からして、開拓の進入移行で何名が開拓列車の招待を通じて外部の世界を知ることが適ったか。
「何名かは適ったと確実に言えること」が序盤の進捗として重要なのです。あとは、その背を見送った者が次の便でそれに続くか続かざるかです。
その最中に門出を尻込みする者たちに「帰還者」は、どのような土産話を持ち帰る?それ如何で留まるか旅立つかの判断も揺らぐ。
旅立った時とは違って、帰還者にも外部からの来訪者と同じだけの責任が伴っている。帰ってくる時にはもう「宇宙人」なのです。その時には自身と関係者で判断して決めなければならない。
まさか脚本と構成を先に選ばせた上で主役を決めさせられるとは思いもしていなかった。シェパードか黄泉か彦卿かで誰に主役として推したいかと聞かれたら彦卿を挙げたくなるじゃないか!
して脊髄反射で彦卿を選んだ後に気付いた。不感症気味の脚本家と、役者への要求値が厳しめの構成作家、明らかにそれに対応できるのは黄泉くらいのところで彦卿を抜擢してしまった…これは…助っ人が必要だ。
待て!ダメだバッハもダメだ!バッハもメモキーパー側のガチ勢だ…
故人がその死を自らの責任として認める分には、その生死の責任は故人から移動しない。
責任の所在が曖昧にされることによって許しが機能するダークウェブ・プライベート世界と違って公式世界はそのような責任論が厳格です。
Re:Creatorsの作風にしてもそうですが、Hoyo作品の多くは一見した表向きの意味に併せて裏の意味の含みが付随していることの方が多く、敵として現れるキャラクターの一言一言に真に敵意しかないかと言えばそうではない。
「意味が伝わるまでのこと」なのです。
細分化された言語上の「夢の種類」を明確に言い表せますか?「将来叶えたい望み」を示す場合もあれば「寝ている間に観る脳の自動情報処理過程」を示す場合もある。
あるいは、寝ている間のバイタルサインや周辺情報、天気や電波などの外因の影響を受けて作用した夢現象の変化までもが夢の内容に含まれている。それさえも言語化できない内は、結論を出すにも時期尚早というわけです。
「誰が何言ってるか分からねえ!もはや誰がこの台詞の役でも何も不都合はねえ!」この一言で当事した役者は「役者としては死ぬ」のです。誰がそのことで命や魂まで取ったというのだろう。
「記憶と生死の関係」と「分散型データベースにおける不死と死の双方の実現」これらをきっちり整理づけた上で司法にまで反映できなければ、行政的にそれらの管理を十分に行き渡らせることさえ適わない。
その環境において、自己責任型の個々の自治管理にならざるを得ないならば、何事においても他責は通用しなくなる。そこでは罪も罰もない。自由とはそういうものです。
まだ自身の行いの責任を自身で持てない子どもが、どうやってそんな環境で生きていける?子育てさえもまともに出来ない環境にまで落ちぶれてしまったなら、地球にはもはや何の価値も残らなくなるでしょう。
だから地球で誰が死に誰が生き残ることになるかは戦うまでもなく事前に決まっている。
創世学では何度も「倫理的承認と能力行使権限」の話はしていますが、利己的な欲求と知恵の共存というのも、相応に危険を伴うものとなります。危険物の取り扱いに資格を要することと同じ。そこに均衡と知恵の関係がある。
逆に言えば、利己的な欲求のいくらかを抑制することによって、更に得られる知識の高度や深度を上げることも可能となる道理がある。つまり如何に知恵の使徒でも虚無側の知識との間には溝があり、全知ではない。
バレンタインにAmazonでチョコレートを注文したとしても、それを受け取る時には注文したことを忘れていれば、その贈り物を純粋に喜ぶことができる。そういうのを知恵というのだ!
楽園が破綻する理由についてはいずれ改めてその題の記事にまとめるつもりですが、結論から言えば「眠りにつく理由」自体は変える必要はありませんし、楽園は楽園であっていい。
創世学では眠りが世界と世界を跨ぐ二重生活に関係しているという説を展開していますが「自己責任に基づいて自分で自分を変える具体的な方法」として、たとえ「一人の私」であっても「最低でも二人必要」なのです。
地球の世界観では少なくとも多くの人が、「現存する一人の私」だけを「私」の定義とするでしょう。
その理由は、たとえ隠されているだけであったとしても、異次元に存在するもう一人の私を明確に認識できない構造下で生きているためです。(記憶の流出・流入制限の規定でもあるのでしょう)
どちらかがメインでどちらかがサブとなるような関係図の中で、確実に片方がバックアップとなる。どちらかが変化を経て、それが望まぬ変化だった時、バックアップに基づいて元に戻すことができる。
逆にそれをやらないと命綱なしに崖道に飛び込んでいくようなものなので、人類の生き意地の汚いとまで言える強固な生存本能に照らせばとても変化≒成長を見込めなくなってしまう。
要するにそのバックアップ元となっているメインから見たもう一人の自分であるサブの存在が実質的に魂として機能していることになるわけです。
仮にでもその仕組みが実在することを前提に想像してみれば、やりようなどいくらでもあって一処に落ち着ける便利な唯一の答えなどないのかもしれないと考えられるようになります。
では、片方の自分が大きな変化を経て、もう片方の自分が元のままだったとします。それが元の自分の方においても望ましい変化だったと見なせる場合、もう片方の自分も同じ変化を辿るという選択も採れる。
しかし同時に、その道を進んだ時点で元の自分に戻るためのバックアップの一つ基点を失ってしまう。そのような変化の一つ一つを死と見なす・呼称するかどうかも、各々の趣向にもよるところでしょう。
創世学では地球に向けて「この高度文明においては数の管理も厳格にやり始めていかなければならない」という向きで固めていますが、そのことは更に文明が高度に発達した世界でも変わらない。
心配ならバックアップを一つではなく、二つ三つと増やすという選択肢もあります。しかし増やすばかりで減らすことをしなければ、変化のたびに増え続けていく。その増大も危機的な現象であり上限数を設ける観点が必要。
ともかく楽園は楽園でもちろん存在していていいのです。そこだけで留まって鍛錬を怠り成長を滞らせてしまった結果として、世界全体の進捗についていけなくなること自体が問題だということなのです。
かくして楽園をメインの拠点にしている者が、その拠点に住んでいる状態のまま成長を遂げるための具体的な方法として、眠りによる二重生活の実現は必要であり続けるわけです。
肝心なことは、楽園探訪がメイン側であるにせよサブ側であるにせよ、どちらかは外出させることもできるということ。そうやってバランスを取っていくわけです。
このことは多少の基礎的な物理関係を知っていて論理思考が可能な者なら、少し考えれば自ずと明らかになることなので、秘密事の知識というものでもありません。知るべき時機やその時の状態に個々の事情や趣向が伴うだけのこと。
たとえば情報工学の観点で、圧縮されているデータを高速で転送するのと未加工の生データを同じ速度で転送するのとどちらが安定するか。より密度が高い方が頑丈と言えるでしょう。
言い方を換えれば、肉声で太陽に向かって言葉を声にして張り上げるのと、言葉をモールス信号に変換した上でランプを点滅させるのとで、どちらがより正確に届くか。
その研究の延長線上に、より安定的で高速かつ低コストでいて欠損リスクの少ないデータの転送方法があるとすればどうか。
いずれにしても死と再生の間には、たとえ地球・太陽系宇宙内部に留まる同一人物の輪廻転生であったとしても、変換や転送の過程は死と誕生の間に伴っていることになる。
人より神の方がよほどギョッとするような過去の経緯を追ってきていると考える方が道理なんだ。その集大成抜きには創世に至るまでの知識の集成に辿り着けないから。
当然ながら神の魂を通じて虫の一生を経験した過去だって存在したかもしれない。人にたとえ虫とも思えるような側面が伴っていたとしても、神もまた一度は通った道かもしれないと思えばそういうものだと腑に落ちる。
食べられそうな物とそうでないものとを直感的に選り分け、それを口に運び、唾液を分泌して胃酸を調整し、吸収しやすい状態になるまで消化し、必要な栄養素を各器官まで運び、余分なものは排出する。
それら一連の生理的なメカニズムを、わざわざ手動で意識的にマニュアル操作できるかって出来るはずがないし、神でさえ出来たとしてもそんな面倒なことはやらないでしょう。自動化するに決まっている。
そのオートマクロのシステムの設計開発にあたって、まず手馴しと様子見にシンプルなプログラムから開発して試験しますよね。そのときに虫が生まれるわけです。
そうして安定性や他のプログラムとの相関性を確認できたプログラムの応用で更に複雑かつ精緻なシステムを構成していくと、魚や獣などが生まれ、人の高度知能に到達する。
その複雑すぎる身体機能に対して、生まれたての発達しきっていない人の脳が形成する意識で全ての機能を制御できるはずもなく、多くの生理は自動処理に身を委ねる他ない。
そこで、イルカやコウモリのように音波で空間認識できるわけでもなければ、暗視能力に優れているわけでもない人間に光のないところより光のあるところへ向かう自動機能が付随しているのは当然のことなんです。
じゃあいざ眠ろうという時まで光のあるところへ向かっていくかっていったら目を閉じて光を遮るし、電源を落とすなり光源を遮断できるならそうするでしょう。その時点で人は走光性の限りではないし虫でもない。
ある一つの運命に長らく執着し続けて、やっとのことでそこから抜け出したいと思った時、元あった癖がそれを邪魔する時、最も有効な手段はゼロへと立ち返ることにある。
ゼロたる中心点から全方位放射状にそれぞれの運命に向かって道が伸びているとすれば、他の運命に切り替えるにあたってそのまま横に移ればいいのかと言えばそう単純でもない。
未確認であるだけのものを虚無と呼び、その無知を自覚できないまま「存在するはずがない」と結論づけるのは典型的な賢者の傲りです。賢者の次に隠者が並ぶ理由くらいは考えた方がいい。
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