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【MLB紹介#5】野茂英雄。衝撃のメジャー1年目。

WBC優勝を果たした、侍ジャパン。
中でも、大谷選手、ダルビッシュ選手、吉田選手、ヌートバー選手のメジャー組の活躍は目まぐるしいものがありましたね。

そんな日本人メジャーリーガーで最初に活躍したのが『野茂英雄』選手ですよね!


1995年にドジャースに加入

今回はそんな野茂選手のメジャー1年目についてご紹介しようと思います。

1995年にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。
契約金200万ドル(約1億7000万円)、年俸は10万ドル。近鉄時代の1億4000万円からわずか980万円になった。
背番号16は、親交のあった石橋貴明が、映画『メジャーリーグ2』で日本人選手役として付けていた背番号であることから選んだ。(メジャーでの馴染みの早さを意識していたのか…)

5月2日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で先発投手を務めメジャーリーグデビューを果たした。5回1安打無失点。7奪三振。と好成績を残した。
6月2日のニューヨーク・メッツ戦でメジャー初勝利を挙げ、
14日のピッツバーグ・パイレーツ戦で球団新人最多記録の16奪三振を記録し、24日のジャイアンツ戦では日本人メジャーリーガー史上初の完封勝利を記録。

29日のコロラド・ロッキーズ戦までで、
球団新記録となる4試合での50奪三振を達成。

同月は初の『Pitcher of the month』を獲得し、50.1イニングを投げ、2完封を含む6勝0敗・防御率0.89・WHIP0.82の好成績を残す。
前半戦を13試合の登板で6勝1敗・防御率1.99・WHIP1.07の好成績で折り返し、オールスターゲームに初選出されて先発投手を務め、2イニングを1安打無失点に抑えた。

あらゆる初記録を達成しまくる。

8月10日には自身が先発した試合が没収試合になりメジャーリーグで没収試合を経験した初の日本人ともなった。
後半戦も15試合の登板で7勝5敗・防御率3.03・WHIP1.03の成績を残し、シーズン通算で13勝6敗、

グレッグ・マダックスに次ぐリーグ2位の防御率2.54、236奪三振、リーグ最多の3完封を記録して初の最多奪三振のタイトルを獲得し、
チームの7年ぶりの地区優勝に貢献。


日米で『NOMOマニア』という言葉が生まれる程の人気を誇った。また、ゲーム実況のアナウンサーは野茂が数多くの三振を打者から奪うので、彼が三振を取るたびに日本語で「SANSHIN」と発言していた。(一時期の大谷選手の『Big fly!! OTANISAN!!』的な感じですね。)

シンシナティ・レッズとのディビジョンシリーズでは第3戦に先発したが、6回途中5失点で降板して敗戦投手となり、チームも3連敗で敗退した。

新人王の投票ではチッパー・ジョーンズを抑えて受賞をし、サイ・ヤング賞の投票でも4位に入った。

 日本人として2人目のメジャーリーガーなので初記録は沢山あるのはもちろんだが、メジャーリーガーと張り合って記録や成績を残すのは当時からしたら偉業であった。

 野茂選手がメジャーリーグへの扉を本格的に開けたのであった。

その後はノーヒットノーランを2回達成という意味不明?な記録を残したのであった。

そんなレジェンド野茂選手のトヨタの非売品ジャケットがオンライショップに入荷しています。

最後までご覧頂きありがとうございました。


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