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世界戦連勝記録に見る、井上尚弥という男の「記録に残る」偉業とは

「記録よりも記憶に残ることのほうが重要である」というのは、アスリートの業績を語るときによく言われることではあるが、これは一面では真実ではある。だが、何十年も経てば、その選手の「記憶」を持つ人々もいずれいなくなってしまう。そのとき後世の人々が振り返ることができるのは、やはり「記録」のほうである、と個人的には思っている。

井上尚弥は現時点でも日本ボクシング史上最高の選手であることは間違いなく、本人も常々「記録にはこだわっていない」と公言している。しかし、その彼とても、前述のような事情から例外とはならない。いま彼の足跡をリアルタイムで見ている我々が誰もいなくなって「記憶」が失われてしまったあとにも、おそらく彼の「記録」は残る。それはそれで重要なことだと思う。

日本、そして世界の世界タイトル連続防衛記録

日本ボクシング界で不滅の大記録として知られ、何人もの名選手が挑んではたどりつけなかったのは、具志堅用高の世界タイトル連続防衛記録だ。

1976~80年にかけて積み上げられた具志堅の記録は「13回」。この数字は実に40年以上の長きにわたり破られることなく、日本歴代最高記録として君臨し続けており、そのあとには、山中慎介が12回、内山高志が11回、長谷川穂積が10回、日本人ではないが日本のジム所属選手としてはユーリ・アルバチャコフが9回と続く。絶対的に安定した王者として8回まで積み上げていた寺地拳四朗が矢吹正道に敗れて記録がリセットされてしまったのも記憶に新しく、それがいかに難しいことであるかがあらためて浮き彫りになった。

もちろん、世界的には具志堅の数字ですら足下にも及ばない大記録がいくつも存在している。

世界記録であるジョー・ルイスの「25回」を筆頭に、
23回 ダリウス・ミハエルゾウスキー
22回 リカルド・ロペス
21回 スヴェン・オットケ/ジョー・カルザゲ
20回 バーナード・ホプキンス
19回 カオサイ・ギャラクシー/エウセビオ・ペドロサ
18回 クリス・ジョン/ウラジミール・クリチコ
17回 柳明佑/ポンサクレック・ウォンジョンカム/ウィルフレド・ゴメス/ラリー・ホームズ/アルトゥール・グレゴリアン
といった錚々たる面子が名を連ねる。

連続防衛より現代では「世界戦連勝記録」に価値

そして、こと「連続防衛記録」でいうなら、井上尚弥の記録は現在のバンタム級と以前のスーパーフライ級でそれぞれ7回と、10回にも満たない。しかし、かつての「ひとつの階級で連続防衛を重ねる」ことが名チャンピオンの条件だった時代はとうに過ぎ去り、キャリアとともにウェイトを上げていきながら複数の階級で「より強い相手を求めて戦う」ことが広くその選手の評価を高めることとして一般化した時代にあっては、連続防衛回数よりも世界タイトルマッチでの連勝記録のほうが価値がある、というのが個人的な意見だ。

前述のような連続記録を持つ選手なら、基本的にはそれに1を足した数字が「世界戦での連勝記録」となる。ジョー・ルイスなら26連勝というのがその記録だ。

一方、現代的な「階級を上げながら強敵と戦う」スタイルで同じ26連勝まで到達したのがフロイド・メイウェザーJr.だ。

1998年に日本のファンにもなじみ深いヘナロ・エルナンデスからスーパーフェザー級王座を奪取してこれを8回防衛、2002年にはライト級でホセ・ルイス・カスティージョからタイトルを奪い、リマッチを含めて3回防衛、2005年にアルツロ・ガッティとスーパーライト級王座を争い勝利、防衛することなく2006年にはザブ・ジュダーに勝利してウェルター級王座を獲得、ウェルターで別タイトル戦を挟んだあと、2007年にはオスカー・デラホーヤを判定で下しスーパーウェルター級王者となる。ここまで17連勝。

同年末にはウェルターに戻ってリッキー・ハットンを倒し防衛、ファン・マヌエル・マルケスとシェーン・モズリーとのビッグマッチではあるがノンタイトル戦を挟んで、その後はウェルターとスーパーウェルターを行き来しながら、ミゲル・コットやサウル“カネロ”アルバレス、マニー・パッキャオといった強敵を下していき、最終的には2015年のアンドレ・ベルト戦での勝利で世界戦連勝記録は26まで伸びることとなった。

現時点での井上尚弥の世界戦連勝記録は「18」

さて、話はようやく井上尚弥に戻る。

彼がアドリアン・エルナンデスからライトフライ級王座を奪ったのが2014年、1回の防衛を挟み同年末にフライ級を飛ばしてスーパーフライ級に上げてオマール・ナルバエスを一蹴してベルトを獲得、7回防衛して2018年にはジェイミー・マクドネルを倒してバンタム級王者となり、先日のノニト・ドネアとの再戦での勝利でこれも7回目の防衛となった。

足かけ丸8年間で積み上げた世界戦連勝記録は「18」。これは前述の柳明佑やポンサクレックなどと並ぶ記録であり、さらに数字を伸ばしていく可能性は大である。これからの1勝ごとにかつてのレジェンドたちをひとり、またひとりと記録の上では越えていくこととなる。

ただ、ひとつの階級で戦うのか、複数の階級で戦うのかという違いはあるにせよ、これだけの殿堂級選手たちが揃いも揃って20数回の記録にとどまっていることも考えると、年齢的・物理的な、あるいは長期間一線で戦い続けることの心理的な側面からも、そう遠くない未来に彼にも限界が訪れる日が来るのかもしれない。仮にそれが25連勝くらいの数字であるとすると、残り7戦。年2~3戦を消化する現代のトップ選手のルーティンからすると、あと3~4年でそこに到達してしまう。

それだけでなく、現在のバンタムから1階級上のスーパーバンタムまでが適正で、さらに上のフェザーまでいくと体格負けするようになるのでは、という声もある。

しかし、記録がいつまで続くのかはともかくとして、幸運にも同時代を生き、そのデビューからいままでを見続けてきたボクシングファンとしては、井上尚弥という希代のボクサーがどこまでいくのかを見届けられるのはこの上ない幸運であると言うほかはない。

「記録よりも記憶」というテーゼはまさにその同時代性にこそ価値を見出す考え方だが、このまごうことなき「日本ボクシング界史上最高傑作」が両の拳を以て生み出す軌跡は、「記録にも記憶にも残る」ものであってほしいと願うし、そうなることを俺はまったく疑っていない。



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