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571日目(2022/10/12):刻石流水・スーパーボランティア尾畠さんの言葉

おはようございます。シューゾーです。

いつもnote記事を読んで頂きありがとうございます。

スーパーボランティアの尾畠春男さんのことは記憶に新しいと思う。

彼は山口県周防大島町で行方不明になった幼児を早く見つけたことで話題になった人です。

今日は彼の誕生日らしいので、彼の人生から思うことを書いてみます。

🌟尾畠春夫さんって?

尾畠春夫の生い立ち~プロフィールや嫁との出会いに名言も神レベル | 生い立ち〜今 (oitachi-ima.com)

中卒という身でありながら、将来は人の役に立ちたいということで、

山口県だけでなく、11年前の東日本大震災にも体一つで駆け付けた経験があります。

彼も今年で83歳となるのですが、
彼の名言でもある、この言葉についてネットで調べてみたので、
私なりの解釈を書きます。


尾畠さんの言葉から

🌟刻石流水

過去の記事を見た際にこういった記事があったので載せてみました。

この言葉自体は、もともと仏教用語という意味になっており、こういった意味がありました。

自分が人に対して行った施しというものは忘れたとしても、人から受けた施しを忘れてはならないという意味になりますね。

おばたさん自身は謙虚というか、人からのものを受け取った。ることというのはあまりありませんでした。

ボランティアの身分でありながら、人から物を受けるということはしなかった。

しかしながら、人から受け取った行為というものは優しく受け取ったということがあるみたいですね。

これっていうのは自分が人から与えられても受け取らないしかしながらそれに対しての行為や熱意というものは受け取っておくというものがとても良かったです。

気が荒い大分県民の中でもこういった話が出てくるのはとてもいいことなんじゃないかなと思います。
※気が荒いというのはあくまで私のイメージですw

尾畠さんがどうしてこういう言葉を覚えてたのかわかりませんが、この故事を意識していたのでしょうか?

次はこの人の生き方から考える私の将来について

🌟スーパーではなくともみんながボランティアになれる

当たり前ではあるかもしれないが、ボランティアというものにスーパーも何もないのだ。と思うのです。鍵を開業。ボランティアとwanoがなくてもできないというものがあるかもしれないが、はっきり言ってしまえば行動だけできるというのはなかなか難しいものなのです。

例えば、すぐにこういったことをやろうということに、対してすぐにできる人というものはどれ位できるだろうか?

継続するということでもそうなのだ、それは。

私自身も毎日記事を書いていて、やっているというのは中々できない。

私自身もどこかで体を張っていけるといいのかなと思いました。

それは自分の身が亡びるまででも・・・!

🌟まとめ

今日はスーパーボランティア尾畠さんの話を書いてみました。

本日もご覧いただきありがとうございます。

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