『暗転するから煌めいて 胡桃沢狐珀の浄演』試し読み①
【作品紹介ページ】
誰も受からないオーディション ①
「志佐碧唯、二十二歳です!」
声量よし。滑舌よし。スタジオ全体に響きわたる、快活な声。
背筋を伸ばして正面を向いている。表情筋をぜんぶ使って健康的な笑顔をつくる。誰の目にも明らかな、新人女優のフレッシュさをアピールする。ふんわりとしたロング丈の白シャツに、すっきりとした水色デニムのコーディネートとも相まって、清潔感と爽やかさが演出できたはず。
出だしは好調。カラオケルームで散々練習した甲斐があった。すぐに次の言葉を続けようとした碧唯だったが、
「……あっ、違うわ」
さっそくやらかしてしまう。
「に、二十三歳です! 先月、誕生日を迎えました!」
余計な訂正を加える羽目になった。誰ひとり「それはおめでとう」だなんて返してくれないので、言ってから奇妙な沈黙が生まれる。
「とにかく志佐碧唯、女優です、よろしくお願いします!」
何とか建て直して自己紹介を終えた。落ち着いていこう。ええと、次は志望動機と自己PRだっけ。
くすくす。背後の待機列から漏れた笑いに、思わず碧唯はためらう。
「え、あの……?」
なんか変なこと言っただろうか。
「そりゃみんな女優でしょ」
目の前の審査員のひとりが口を挟んだ。「だって、ここに来てるんだから」
呼応するように、後ろの笑い声が大きくなる。恥ずかしいけど調子を合わせて「で、ですよねえ」と碧唯も頰を緩ませる。
うららかな季節、四月の頭。
映像制作会社のスタジオで、碧唯はオーディションに挑んでいる。
相変わらず何か月も結果を出せていない。久しぶりに書類審査をパスして、実技審査まで進めたのだからこの機を逃したくない。スタジオ内にいるのは三十人ほど。みんなが役を摑むために真剣な面持ちを崩さず、熱気が充満していた。笑いが起こったのは、今この時、碧唯の番が初めてのことだ。
「この映画に出演したくて応募しました」
碧唯は続けた。笑われたって関係ない。とにかく爪痕を残さないと!
「私には、憧れの女優がいます。その人みたいに素敵な演技ができるようになるのが夢です。ビッグになります、やる気は誰にも負けません! だからぜひとも、この映画に私を……」
「はい、一分です」
ストップウォッチ片手に、部屋の隅に立つ男性スタッフが告げる。
何とかやりきった……。
与えられた、自己PRの時間。碧唯は元気潑剌に夢を語った。
向かい合うのは、横並びに座った五人の審査員だ。左から順に、太ったおじさん、禿げたおじさん、ロン毛のおじさん、あご髭のおじさん、サングラスのおじさん。全員おじさん。この五人のおじさんに、女優としての可能性を見せつけなくては!
「キミ、演技経験はあるの?」
質問の矢が飛んできた。
「はいっ。シアター・バーンの舞台に立たせていただきました」
「シアター、バーン」
ロン毛のおじさんは首を傾げながら、碧唯がデビューを飾った劇場名を繰り返す。初めて聞いたといったリアクションで旗色がわるい。
「所属事務所は、ええと……?」
サングラスのおじさんがプロフィール用紙に目を落としながら、「ああー、事務所に入ってないのか」
突き放されるような物言いに距離を感じて、
「はいっ。いまはフリーでやらせてもらってます!」
と、碧唯は前のめりにしがみつく。
「ふふ、フリーって」
あからさまな冷笑を向けられる。まるでお話にならないとばかり。
「とっ、とにかく……やる気は誰にも負けません!」
よろしくお願いしますと、碧唯は勢いよく頭を下げた。
大丈夫、熱意は伝わっている。今のところ参加者のなかで声がいちばん大きい。誰よりも強く印象に残ったはず。
審査員のおじさんたちの反応は、いかほどだろう。まだ駆け出しで現場経験は少ないし、芸能事務所に入っていないのはマイナスポイントかもしれないが、これほど熱意のある若者は放っておけない、声も大きくて元気いっぱいだ、やる気のある者にやらせてみてはどうだろう、それがいい、同感です、異論なし、全会一致で賛成だ、キャスティングは決まりだな、いい映画になりそうだ、完成が楽しみですなあ、左様ですなあ、どうですか興行成功の前祝いに今夜一杯、いいですなあ行きましょう……碧唯の脳内で審査員による評議が繰り広げられる。
俯いたまま、碧唯は頰が緩んだ。
ついに役を勝ち取ったかもしれない。歓喜の雄叫びを上げたいのを我慢して、ゆっくりと姿勢を戻した。
前に並ぶのは、揃いも揃って膨れっ面。
まるで苔むした石仏のような佇まいで、五人が碧唯を見ていた。
あれ……?
この重たく沈んだ空気はなんだろう。肩透かしを食らっていると、「はいでは次」とスタッフが知らせる。
そばに女性が立っていた。後ろの待機列で、右隣に座っていた子だ。
こうして並ぶとよくわかる。年齢は同じくらいだけどスタイルが別次元。腰の位置が高く、輪郭もしゅっとしている。肌荒れを微塵も感じさせない白く輝くその顔は、邪魔者を見るような視線を碧唯に向けている。
「どいて」
追い立てられるかたちで、碧唯は席に退散した。
大きく息を吐く。力んだ頭の筋肉がほぐれて、軽い眩暈におそわれる。緊張したぁ……直前の一分間の記憶すらも朧げである。
ともあれベストは尽くしたはず。あとは果報を待つとしよう。
いまも審査は続いている。出番が終われば気楽なもので、ぼんやりと碧唯は前方を眺める。
「キミは脱げる? 水着シーンあるけど」
「はい、水着までは大丈夫です」
審査員の質問に、女の子が笑顔で応えている。
応募要項にも「水着シーンあり」と書かれていたのを思い出す。そういえば女性は総じて訊かれている。
自分だけ尋ねられなかったと、碧唯は気づいた。
秋葉原の寂れた雑居ビルの三階フロア。アニソンバー「にゃんにゃん☆しゅばびあんはーる」でバイト中の碧唯が、一通の新着メールをスマホから開封する。
「……不合格」
先ほど受けたオーディションの合否通知だった。
まさかの即日通達。もう少し、検討してほしかった。
「なになに、また落ちたのお?」
アーニャさんがカウンターごしに画面を覗き込もうと身を乗り出す。手を引いた碧唯は、首から下げたポーチにスマホを仕舞いこんで愛想笑いを浮かべる。
「どんまーい、碧唯にゃ」
隣で自分用のカクテルを作っていた虚無夢が、慰めの言葉とともにアーニャさんと乾杯する。オープンの十八時を迎えたばかりの店内には、よくシフトが重なる先輩キャストの虚無夢と、アーニャと自称する常連客のおじさんだけ。
「何のアレだったの?」
アーニャさんが尋ねる。「ドラマとか?」
「映画です。守秘義務があるのでタイトルは言えませんけど」
「残念だったねえ。映画館の大画面で、碧唯の活躍が観たかったなあ」
「うちもー」
虚無夢が抱き着いて、「そしたら自慢できたのにい~」と碧唯に頰を重ねる。心なしかアーニャさんの鼻の下が伸びた。
「おかしいと思ったんですよ」
客前で愚痴がこぼれる碧唯。「私だけ水着シーンOKかどうか、審査員が訊いてこなかったんです。ほかの人は確認されたのに……面接の途中で『こいつは無いな』って弾かれたってことですよね」
まったくもって腹立たしい。役のイメージと合わないから落とされたのか、脱ぐに値しない身体だと思われたのか、せめて前者であってほしいが、どちらにしても舐められた感は否めない。五人のおじさんズめ!
「水着かあ、それはしょうがない。碧唯はセクシーっていうより幼児体型だから」
「アーニャさん」碧唯は怒りの矛先を容赦なく向けて、「セクハラ発言はマジで出禁にしますよ?」
「ちょちょちょ、おま、褒め言葉なのに~」
早口で弁明するアーニャさんを前に、大きなため息が出てしまう。
もう何度目の不合格だろう。一向にオーディションに受からない。
「切り替えて、次いこ~、次~」
明るく励ましてくれる虚無夢。紫色のボブヘアーも、両耳を埋め尽くすピアスも、メタリック素材のジャージも、店の明かりに反射してとにかく眩しい。
「次があればいいんですけどねえ……」
事務所に所属していないフリーの身だと、一般公募のものしか受けられないからチャンスは限られてしまう。
女優を名乗ってはいても、エキストラを除けば出演経験は舞台が一度きり。俳優業のお給料はゼロ円が続き、週四で働くアニソンバーの時給が頼みの綱だった。いまだ実家暮らしだから、同居する母親にも妹にも肩身が狭すぎる。はやく女優として稼げるようになって家にお金を入れたい。一人暮らしで自立したい。
やはりオーディションを勝ち抜かなければ、未来は開けない!
「オーディションって憧れるわ~」
虚無夢が斜め上を見ながら言う。斜め上には剝き出しの排気ダクトがある。
「や~、受けるたびに神経がすり減りますよ」
と碧唯。「ああー、自分は必要とされてないんだあーって」
そりゃあ自分は丸顔だし、背も低いし、セクシーさを求められると厳しいけど、頰にあるそばかすも含めて愛嬌があると思っている。体力にも声量にも自信がある。少しは現場経験を積ませてくれたっていいじゃないか。こんなにやる気に満ちているのに。
「うち、オーディション番組観るの好きでさあ、韓国アイドルとかのやつ」
「流行ってますよね、そういうの」
碧唯は観ていない。自分と重ねて胃がキリキリしそうだから。
「面白いよー。めっちゃ燃えるし、泣けるし、みんな好きーって応援したくなる。レッスンとかダイエットとか、超過酷なのに頑張ってて。碧唯にゃ、そんな世界で戦ってるんでしょ、ほんと尊敬する!」
「あ、ありがとうございます」
虚無夢のイメージとは違う気がしたけど、訂正しないでおいた。誰よりも目立って、己の存在をアピールしなければ、役者だって起用してもらえない。
――ですから、言ったではありませんか。
突如、背後から囁かれる男のひとの声。
――その考えがまず誤っているのです。
首だけで振り返った碧唯の鼻先で、細長い眼鏡が光る。
碧唯の背後霊である、御瓶慎平マネージャーが姿を見せていた。
――オーディションは目立てば勝てるものではありません。審査員が何を求めているか、見極めるべきなのです。
いつもの小言がはじまった。碧唯が所属事務所を辞めたのを機に、いろいろあって、取り憑いた幽霊マネージャー。こうして碧唯の背中に張りついてマネジメント業務を行っている。
――やる気は誰にも負けませんなど、まず根拠がありません。第三者に対して証明不可能な精神論を述べるより、客観的なものを提示してアピールしなければ……。
「でも熱意は伝わります」
いつもと同じ反論で、碧唯は遮る。
「気持ちで負けるなって、部活でも教わりましたから」
そうだ。高校時代、バレーボールのコートは戦場だった。相手チームに対して気が引ければ、及び腰になってボールが拾えない。ブロックでもアタックでも必ず押し負ける。「気持ちが負けを呼び込むのだ」と、顧問の鬼コーチに刷り込まれた。
――その昭和のスポ根、何とかしたほうがよろしい。
痛烈な物言いに、背中が一層重たく感じる。
「平成生まれですっ。というか、バイト中に出てこないで!」
思わず叫ぶと、きょとんとした顔を虚無夢が返す。
「何。どうしたの碧唯にゃ」
「あっ、ええと、その……」
「急にひとりでしゃべり出して。そういうキャラ作り?」
御瓶の姿は誰にも見えない。取り繕う言葉を碧唯が探していると、
「ひどいわねえ。出てこないで、なんて」
バックヤードから、巨体がぬうっと姿を見せた。
「あたしの店ですもの。たまには顔を見せますよ」
「あっ、あいりーん!」
虚無夢が友だちを呼ぶように声をあげる。
間がわるく現れたのは、愛梨。この店のオーナーだ。
「ごめんなさい、愛梨さんに言ったわけではなく……」
釈明するも、当の本人は意に介さず、「アーニャさんいつもご贔屓にどうもねえ」とカウンターごしに頭を下げる。
後ろを確認すると御瓶は姿を消していた。少しはタイミングを見計らって登場してほしい……。
「オーディションかあ」
愛梨が遠い目をする。裏で碧唯たちの話を聞いていたようだ。
「あたしも昔は、いっぱい受けたっけな」
「えっ。あいりんが?」
「そうよお、これでも昔はアイドルだったんだから」
「えー、そんなパンチあるルックスでアイドルなんて想像つかなーい」
虚無夢が言いにくいことを平気で言ってのける。確かに愛梨はアイドルとは程遠い。怒っていなくとも石仮面のように表情が乏しいから威圧感が半端ない。碧唯も最初はその大柄な一挙手一投足に慄いていた。
「地下も地下の、もはや地底アイドルだったけどね。懐かしいわ。不思議の国のアリスの恰好をした子がセンターで、あたしはその隣、アイアンメイデンっていう拷問器具を模した衣装を着て歌ったり、踊ったり……」
「拷問器具って、それアイドルなんですか?」
物騒なワードに思わず反応してしまう碧唯。
「世はアイドル戦国時代の真っ只中。平凡なキャラ作りじゃ見向きもされなかった」
「大変な世界ですねえ」
ライバルが多いのはどの業界も変わらないようだ。
「この店作ったのも、それがあるから。若い子たちを応援したくてね」
愛梨はそう言って碧唯に仏頂面を向ける。
「シフトは融通するから、頑張って」
「愛梨さん……」
なんて優しい人だろう。表情はこわいけど。
「ありがとうございます、くよくよせずに頑張ります!」
碧唯は思い直す。一喜一憂している場合ではない。凹んだ分だけ突き出てやる。
「なんという……胸アツ展開……」
そう呟いたアーニャさんを見ると、滂沱の涙を流していた。
「宣伝くらいは貢献するよ……碧唯のツイッター……『いいね』じゃなくてリツイートする……」
よくわからないが応援されていることは把握した。
碧唯は恵まれた環境に感謝をおぼえる。落ち込むたび、いつもここで元気づけられてきた。女優として売れたあかつきには、この店も、志佐碧唯が無名時代に勤めたバーとして注目を浴び、聖地となり、客足も増えるだろう。愛梨オーナーに恩返しがしたい。そのためにも結果を出さなければ!
決意を新たに、やる気がモリモリと漲ってくる。今ならどんなオーディションでも受かる気がした。さあ、どんな難関、狭き門だろうと、かかってこい。かかってこい!
首から下げたポーチがぶるぶると震え出す。かかってきたのは電話だった。
即座に期待してしまう。先ほどのメールは手違いでした、本当は合格です、あなたこそ主演に相応しい、ぜひ映画に出演してほしい、そんな連絡がやってくることを。
スマホを取り出して確認する。
先輩俳優・楠麗旺からの着信だった。都合のいいことばかり考えても、都合のいい展開になったためしがない。
着信音は続いた。
何の用だろう。失礼しますと、碧唯はバックヤードに駆け込んだ。
「もしもし……?」
「碧唯ちゃん、お疲れさま~」
耳元にフランクな声が届く。
元・国民的人気子役の麗旺とは、初舞台のときに知り合った。はじめこそ「一流芸能人様だ!」とミーハー心で接していたが、徐々に緊張は薄れつつある。
「どうしたんですか、電話だなんて」
声をひそめて尋ねた。曲がりなりにもバーのキャストとして勤務中に、イケメン俳優と話し込むわけにはいかない。端的に済ませねば。
「最近どうなの、仕事は順調?」
しかし麗旺はのんびりとした様子。
「いやまあ、苦戦中ですが……」
歯切れわるく、碧唯は正直に答える。
「だよねえ。事務所に入ってないとねえ」
さもありなんという調子で、うんうんと繰り返された。
「バイト中なんで、メッセでお願いします。あとで返信しますから」
碧唯が耳からスマホを離しかけると、
「つれないじゃん。お仕事、紹介しようと思ったのに」
「えっえっえっえっ!」
一転、スマホにかじりつく。
「麗旺さん、ほんとですか!?」
「声おっきいって」麗旺は笑いながら、「正確には、お仕事のチャンスかな。演技の選考はあるよ。知り合いの舞台演出家が出演者を募ってる」
「オーディションってことですよね、大丈夫です」
受けられるだけでも御の字だ。麗旺に手を合わせたくなった。
「よかった、じゃあ先方と繫ぐよ」
「ありがとうございます!」
「――だけど、碧唯ちゃん」
麗旺のトーンが変わる。
違和感をおぼえた。まるで受話口が厚く塗りこめられたように、スピーカーのノイズが途絶える。
「あの、麗旺さん……?」
存在を確かめるために名前を呼ぶ。麗旺がいなくなった気がした。
「覚悟……は、して……おい、て」
いや、麗旺はいた。電波が乱れる。細切れの声をかろうじて拾う。
「覚悟って、何がですか!?」
不吉な予感。摑みかかるように叫んだ。
「そ、のオー……ディショ……ン」
次の瞬間、鮮明に戻った声を碧唯はとらえる。
「誰も受からない――って噂だから」
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